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2009年11月28日 トークイベント「アミール・ナデリの世界」

ナデリ監督 1.jpg11月28日、有楽町朝日ホール11階スクエアにて、来日中のアミール・ナデリ監督のトークイベントが開催された。イラン出身で80年代末からアメリカで活動している。『マラソン』(2002)『サウンド・バリア』(2005)『べガス』(2008)、また第4回東京フィルメックスの特集上映「イスラム革命前のイラン映画」では、イランで撮られた1974年の『期待』が上映されている。今回で4回目の来場とあって、リラックスしたムードの中、大いに語ってくれた。

まずは最新の短編『Fortune Cookie』が上映された。2009年7月にニューヨークのチャイナタウンの博物館がオープンしたのを記念し、アメリカ在住の10人の監督が短編を制作する企画の一本。オバマ政権誕生後、チャイナタウンはどうなっていくのか、というテーマのもとに作られたという。「短いので2回見てください。こんなに短い映画を撮ったことがなかったので、皆さんに理解してもらえるか不安なんです(笑)」というナデリ監督の言葉に、会場は笑いに包まれた。

フォーチュンクッキーとは、クッキーの中に運勢の書かれた紙が入っているもので、チャイナタウンのレストランでサービスとして出されているもの。映画では、クッキーを割って紙を取り出すシーンが延々と続く。「チャイナタウンに行くと誰もがフォーチュンクッキーを手にして、中身を確かめている。それはとても身近なものです。現在のアメリカでは、みんなが幸運を探している。それを示したかったのです」と、題材とした意図を語った。

袋を開け、クッキーを割る、その音が印象的。ナデリ監督はテーマを伝えるために最も重視するのは「サウンドと編集」と語る。「どれだけ台詞から離れられるのか、ということを常に考えています。市山さんはこの映画を「ナデリ監督そのもの」と表現してくれました」

次に「自分にとってとてもパーソナルな場」と言う東京フィルメックスについて語ってくれた。
「パーティに行くとみんな、最初に出てくる前菜を慌てて食べてしまうから、メインディッシュの頃にはみんなお腹いっぱいになってしまいますよね。でも、パーティを開いた人が一番食べてほしいのはメインディッシュです。
映画祭に行くと前菜がたっぷり出てきて、メインディッシュはちょっとだけ、ということがよくあります。でもフィルメックスには前菜はまったくない(笑)。それがとてもいいと思う。これはほんとうに大切なこと。他の映画祭では、映画を見ないでパーティばかり。挨拶とかお世辞に終始してしまう。フィルメックスでは映画を見ることに集中していられるのがすばらしい。
ここでは監督たちも一緒に映画を見るし、私も他の場所で見た作品でももう一度見ます。この深みのある非常に美味しいメインディッシュを味わうことに必死なんです。今日は朝スリランカの映画を見て、お昼にメルヴィルと小津を見ました。一日ですばらしいごちそうを味わえる、これこそがフィルメックスなんです。
もうひとつ、監督たちと話をする機会を与えている点が素晴らしいと思います。この映画祭の関係者は非常に映画に対して誠実です。だから、私たちも正直な気持ちで映画を観ることができる。
もうひとつ、フィルメックスでは、他で見られないアジアの若い監督の作品を扱っている。また、日本映画の歴史には多くの宝が眠っている。『お父さん、元気?』のような映画は、他の場所では大作に飲まれてしまうような作品。しかし、フィルメックスではそれを私たちにじっくり味わわせてくれる。他の映画祭では一人の観客にすぎないのに、フィルメックスは私たちを映画監督にしてしまいます。市山さん、林さんをはじめ、ここに参加しているすべての方に感謝したい」

ナデリ監督 2.jpg「自分はイランの南部アバダンに生まれ、イランでは6本の長編といくつかの短編を作りました。その時代の私の映画は忘れられたも同然なのですが、フィルメックスでは上映してくれました。2003年の「イスラム革命前のイラン映画」特集で、私と、私の仲間たちの作品が11本上映されました。一体どこからこれらのプリントを集めて来たのかと、非常に驚きました。そして、これらの映画を見た人は絶対に映画監督になるだろう、と思いました。それから、現在イランで映画を作っている若い監督の作品も上映していますね。ここで出会った若い監督に、私の作品を見たと言われとても嬉しかった。これらのイラン映画を観ることができるのはフィルメックスだけなんです」
「フィルメックスでは日本のクラシックもやっているが、これは本当に宝。少しでも才能を持った人なら、これらの宝を見ただけできっと映画が作れると思います。会場にいらっしゃった観客の皆さんの中から、将来必ず映画監督が生まれると思います」

会場からの質問を受け付けると、イラン映画に対する政府の検閲についての質問が相次いだ。それに対し、ナデリ監督は「検閲は映画にとって決して悪いことではない」と強調した。
「制限があるから、みんな新しい道を探していく。ライバルがいれば競争の中で高め合うようなものです。トムとジェリーのような検閲との戦いは昔も今もイランにあります。昨日「ニッポン☆モダン」特集で、清水宏の『親』(1929年)を観たのですが、制限の中で作られたのだろうということが伝わってきました。しかし、その中で戦い、自分の映画として作り上げた。だから、何十年もたった今でも残っているのだと思います。私の映画も、検閲のために何年も上映できないこともあった。しかし、上映できなくても映画は残ります。このチャレンジがあったからこそ、今日のイラン映画への国際的評価があると思う。家にはドアはひとつだけじゃない。玄関が閉まっていても、台所の窓からだって入れる。私たちもそれをやりましたよ」

ナデリ監督 3.jpg イランを離れ、海外で活動しているナデリ監督。続けて、異国で暮らし、創作活動を行うことへの強い思いを語った。
「ある人間が置かれた状況から出るべきか留まるべきかということは自分で決めるべきだと、私は思っています。そのリスクは自分で負うことになる。リスクに必ずしも見返りが生まれるわけではありませんが、経験はついてきます。だけど、話題作りのためとかヒーローになるために国を出ることには、何も伴わない。野心を持つには覚悟も必要です。自分のスピリット、全てをかけなければならない。答えはひとりひとり違う。私自身は、外国の映画に対する志向が強かったので、出るべきだと思いました。そのとき、イラン国内で評価を得ているのだから出るべきでない、と言ってくれる人もいました。でもそのリスクを背負ってでも自分は出ようと思った。イランで映画を作っている時も、新しいものを作ることにリスクを負っていました。みんなが歩きたくても怖くて歩けない道を、自分自身で作ろうという思いが私にはありました。自分でトラックを借りて森に行き、木を切って橋を作り渡ってみせて、「大丈夫だよ」と示したかったのです。それには20年かかり、苦しい時期もありましたが、それについては成功したと思っています」

「インターネットであらゆる情報が手に入る時代ですから、場所がどこであれなんでもできる、という考えが皆さんにはあると思います。でも、自分の土地の上にしっかり立ってから、移動した方がいいと思います。かつてベルトルッチに、「あなたはイランから何を持ってきたのか」と尋ねられたことがあります。わたしは映画の経験だ、と答えました。それを持ってから、新しい土地に渡ったのです。その経験を持ってこそ、新しい経験が生きる。アメリカに渡ったばかりのころの自分の映画を観ると、技術はあってもテーマの扱いが浅い。それはアメリカでの経験が浅かったせいです。過去を整理し、自分を確立してから新しい映画を作った。芸術家でもスポーツ選手でも、自分の生まれた土地で、自分のルーツをしっかりと知り、自分を確立してから移動した方が成功すると思います。ルーツの価値はお金と同じ。円にもユーロにもドルにも換えられる。これを私はダブル・ライフと呼んでいます。一つの人生を経験し、その後新しい環境で新しい人生を始める。最初の人生で自分が確立されていないと、新しい土地に渡ったとき、夢やエネルギーが弱まってしまう。それがゼロになったら、新しい土地でさまよう羽目になる。新しい人生に挑む前に、自分を強くしておく必要があるんです。
移民すると、映画の世界に生きるとともに、普通の個人としての日常生活も送らなければならない。創造へのエネルギーと、日常生活へのエネルギーをうまく配分しなければ、うまくいかなくなるおそれがある。私はアメリカに移民してきたとき、タバコや酒をやっていたし、肉もたくさん食べて太っていました。そのうち、こんなに重いものを抱えて生きていたら絶対どこかで転んでしまう。それですべてを止めました。新しい生活のために節制し、テイクオフの準備をしたのです。エネルギー、夢、野心のバランスを取るのはとても難しいことなのです」

期間中は毎日会場を訪れて作品を鑑賞し、スタッフやゲストと積極的に言葉を交わしていたナデリ監督。溢れ出る言葉から、そのバイタリティが映画への愛と情熱に支えられていることを感じさせてくれた。


(取材・文:花房佳代、撮影:秋山直子)

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投稿者 FILMeX : 2009年11月28日 15:00



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