【レポート】「タレンツ・トーキョー2018」オープンキャンパス 〜海外セールスと国際共同製作 一般的な傾向とアジア映画に焦点を当てて〜

第19回東京フィルメックスと並行して開催中の人材育成事業「タレンツ・トーキョー2018」のオープン・キャンパスが11月22日(木)にあり、メイン講師のひとりでフランスの大手映画配給・制作会社MK2 Filmsマネージング・ディレクターのジュリエット・シュラメックさんが「海外セールスと国際共同製作 一般的な傾向とアジア映画に焦点を当てて」と題して講演した。

シュラメックさんは、MK2 Filmsで映画のワールドセールスや共同製作を担当。同社は海外の著名監督の作品を600本以上扱っており、シュラメックさんもジャ・ジャンクー、パヴェウ・ハヴリコフスキ、黒沢清、河瀬直美、深田晃司、濱口竜介といった監督の作品を手がけてきた。講演では、セールスエージェントの視点から、国際映画祭で映画を売るための様々な戦略を具体的に紹介した。

今年のカンヌ国際映画祭のコンペティション作品21本のうち15本、昨年は19本中10本のワールドセールスをフランスの会社が扱った。「これにはフランス特有の歴史がある。シネマはフランスで発明され、カンヌもここで開催されます。映画館の入場料収入の11%を政府に納めて劇場や映画製作の支援に回す仕組みもある。このようにダイナミックでよく管理されたシステムの存在が先ほどの数字につながっています」とシュラメックさん。国際共同製作では、映画振興組織のCNC(国立映画センター)とフランス国内のテレビ局、配給会社の三者が主要な資金源。単に資金を出資するだけでなく、フランスの人材が製作にも関わるなどの「フランス的な要素」を盛り込むことも求められる。「共同製作とは、資金面だけにとどまらない、よりアーティステックなものなのです」

製作者から映画の国際的な権利を買い取って世界各地の配給会社に販売するセールスエージェントの仕事も「単に権利を売ってお金を儲けるだけではない」と言う。海外向けのタイトルの決定、ポスターや予告編などのマーケットツールの作成、プレミア上映の時期、プレス対応など、作品をより多くの国々に届けるために様々な戦略を立てる。また脚本段階から撮影後のポストプロダクション段階まで、資金面でのサポートも担当するという。
マーケティングでまず大切なのが、作品の題名を決めること。「すべての作品名は製作者や監督を交えて議論した上で決定します。数週間かかることもある。タイトルが、マーケットでの作品のポジションを決めることにもなるからです」

例えば、河瀬監督の『2つ目の窓』は奄美大島の海が中心的なモチーフなので、水をアピールした「Still the Water」に。深田監督の『淵に立つ』はそのまま英語に訳せなかったため、「音楽」と「家族の調和」という二つの意味を重ねて「Harmonium」と名付けた。濱口監督の『寝ても覚めても』も英訳は不可能。「決定するまでかなり大変でしたが、結局『Asako I&II』に。ゴダールなどのヌーヴェルヴァーグ作品のような新しさと古き良きエレガンスを兼ね備えた作品なので、このヌーヴェルヴァーグ的なタイトルは成功しました」

写真や予告編、ポスターの作成も重要な仕事。予告編は一般観客向けの「トレーラー」、バイヤー向けの「プロモリール」の2種類を作る。プロモリールは作品内容をより詳しく伝えるため、トレーラーよりも長めのことが多い。サンプルとして上映した河瀬監督の『あん』のプロモリールには、トレーラーには出てこないらい病をめぐる場面も登場した。

こうした戦略の主舞台となるのが国際映画祭。サンダンス、ベルリン、カンヌ、香港、ヴェネチア、トロント、釜山などの有力映画祭は期間中に会場内にマーケットを併設し、ここで作品の権利が取引される。どの映画祭でプレミア上映するかは映画のその後を決める重要な要素。「特にアジア映画は欧米の映画祭への参加が大きな意味を持つ」と言う。

日本映画の実例も詳しく紹介された。まず、MK2では初の河瀬監督作品となった『2つ目の窓』のケース。2014年5月のカンヌのコンペティションでのプレミア上映を目標にしたが、マーケティングは同年2月のベルリンから展開した。「年明け早々でどこの社もまだ映画を買っていないので資金的に余裕があり、カンヌ向けの作品への期待も高い。撮影が終わったばかりでしたが、ぜひともベルリンでプロモリールを流したくて、河瀬さんから直接ラッシュ映像を送ってもらって作成しました」。
 
カンヌのコンペ入りを果たすと、次の重要課題は上映日。「カンヌは水曜日に開幕し、翌週末に終わる。最初の週末から月曜日にかけてが一番人気のタイミング。コンペ作品は毎日17時・20時・22時の3回上映枠があり、20時が最もいいとされる。約20本の作品が揃ってこの枠を狙うのですから、まさに闘いです」。結局、上映日は火曜日に。時間はプレスがバイヤーや一般客が同じ会場で見る17時をあえて選んだ。「ジャーナリストは自分の好みははっきりしていても、その作品が一般受けするかどうかはわからない。だから、様々な客層と一緒に鑑賞し、終映後に観客の感想も聞ける17時にしました。悪くない選択だったと思います」。上映終了後のスタンディングオベーションは11分とこの年最も長く、SNSでも情報が広まり、作品は40か国以上に売れた。

河瀬監督の『あん』は、2年連続のカンヌは難しいだろうとヴェネチアのコンペを考えたが、製作者側の意向を受けてカンヌの「ある視点」部門に。「これはかなり難しい決断でしたが、上映枠にも恵まれ、世界70カ国に売れました。食べ物が出てくるので『2つ目の窓』より売りやすかった面も。公開も成功し、フランス、スペインでは大人気、スウェーデン、スイス、ドイツでもヒットしました」

国際的な知名度がある河瀬監督とは違い、深田晃司監督の『淵に立つ』の場合は、認知度ゼロからの出発だった。プロモリールをベルリンで上映してプリセールをいくつか決め、バイヤーの間に「日本から何かいい作品がカンヌに出るらしい」という噂を広めていった。カンヌの選定委員会にもかなり早い時期から接触した。「『深田晃司とは何者?』という状態だったからこそ、新鮮な目で見てほしかった。セレクションの終盤にはかなりの大作が入って来るので、その前に選考委員にいち早く見てもらい、新たな才能を”発見”してもらおうと熱心に動きました」。2016年のカンヌ「ある視点」部門に入り、審査員賞を受賞。「スリラーの要素があったので、日本映画がなかなか売れない米国の配給会社も食指を伸ばしました」

濱口監督の『寝ても覚めても』も、同じ戦略を使い、ベルリンからセールスを立ち上げた。こちらも海外ではまだ無名の監督ということでプロモリールに力を入れた。「最初に作ってもらった映像はいまいち。この作品には女性の感覚が必要だと考え、個人でやっている別の映画編集者に改めて依頼し、素晴らしいプロモリールを作ってもらいました」。今年のカンヌのコンペでプレミア上映され、米国を含む28地域に販売された。

「作品の成功はディテールの良し悪しにかかっている。どの作品を誰にやってもらうかの選択は重要。ディテールにとにかくこだわれ! と申し上げたい」。パートナーの配給会社を決める際も、「会社の大きさよりも、映画を理解し、一緒に戦略を構築し、どうすればその国で成功できるかを具体的につかんでいる点を重視する。私たちが映画セールスに賭けるのと同じパッションを持って配給してくれる相手を見つけることが重要です」と話す。

こだわりの一端を示すポスターの数々も会場のプロジェクターで紹介した。『淵に立つ』ではシーツの間から浅野忠信さんが顔をのぞかせるカットを採用した。「とてもパワフルな写真。新鮮でスリリングな作品だということが一目でわかり、好評でした」。カンヌのバイヤー向けに作成した『寝ても覚めても』のポスターは、ヒロインが開いたドアの向こうに2人の男性が立っているカットを使った。「『これは何だ?』と思わせる謎めいた雰囲気。この映画の本質である一人二役ということも訴えたかった」。
 
ただし、手塩にかけたポスターやタイトルが公開時には別のものになることも珍しくない。『淵に立つ』のフランス公開用ポスターは障子の向こうに日本庭園が広がる和室でオルガンを弾く人物のカットに。『寝ても覚めても』は美しい女性を前面に押し出したいという配給会社の希望でヒロインのアップに桜を散らした。「フランスでは『日本映画のポスターには桜が必須』とも言われ、これが標準パターンになっています」。ポスターを見比べることで、バイヤー向けと観客向けのアピールポイントの違いや、世界各地のマーケットの嗜好が伝わってくる。

参加者との質疑応答では、国ごとの販売戦略の違いに関する質問が複数寄せられた。芸術作品なのでバージョンを変えることはぜす、検閲でカットが必要な場合は契約しないことも。また、中国向けでは検閲が厳しい劇場用とより緩やかな配信用に分けて権利を販売するケースもあるという。イスラム圏では性描写のほか豚肉もタブーになるため、中東の航空会社に機内上映用作品を売る際に「ソーセージの場面をカットしてほしい」といった「珍しい条件」が加わることもあるという。いずれの場合も「製作者側とその都度相談して対応しています」。映画学校の学生からはセールスエージェントにアプローチする方法を尋ねた。「私たちとの窓口になるのはプロデューサー。なので、若い監督はいいプロデューサーと組んでほしい。監督・プロデューサー・セールスエージェント・各地の配給会社が信頼とスキルを備えたで適切なコネクションを持つことが大切です」
 

シュラメックさん自身が濱口監督の存在を知ったのも、信頼する知人の勧めがきっかけだった。「土曜日に子供をシッターさんに預けて『ハッピーアワー』に駆けつけ、大いに気に入りました。配給のパートナー選びもプロモツール作成も、結局は人と人とのつながりが一番大切です」。細部を大事にし、目標に向かって様々なアイデアを実行に移し、それぞれの分野で信頼できる仲間を増やす。そんなベーシックなことの積み重ねが、様々な国の観客に映画を届けている。

文責:深津純子 撮影:吉田(白畑)留美

【レポート】国際批評フォーラム「映画批評の現在と未来を考える」シャルル・テッソンさん基調講演

第19回東京フィルメックスの関連イベントのひとつ、国際批評フォーラム「映画批評の現在と未来を考える」の基調講演が11月22日(木)に有楽町朝日ホールスクエアBで開かれ、フランスの映画評論家のシャルル・テッソンさんが、現代の映画批評の役割や将来像などについて自身の体験を交えて語った。

テッソンさんは1979年から映画評論を始め、フランスの映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」などに執筆、同誌の編集長も務めた。アジア映画にも詳しく、黒澤明監督やアッバス・キアロスタミ監督に関する著書を刊行。2012年からは、長編2作目までの新人監督を対象にするカンヌ国際映画祭の批評家週間のアーティスティック・ディレクターに就任。また、パリ第3大学(新ソルボンヌ大学)で教鞭を取り、外国映画の製作費を助成するフランス国立映画センター(CNC)の「シネマ・デュ・モンド」の会長も務める。

多彩な顔を持つテッソンさんだが、「私自身は、映画評論家という言葉はあまり好きではない。アーティスティック・ディレクターとして見ていただきたい」と語る。「批評家週間では、その名の通り、プロの映画プログラマーではなく批評家が作品を選びます。単に映画を批評するだけでなく、国際的な観衆に向けて映画を選ぶことはいい経験になっています。多様な映画を見る機会に恵まれるし、これはどういう映画なのか、世界やフランスにとってどんな意味を持つのか……と、様々な疑問を持つことができる。以前よりも実際的な形で映画を見るようにもなりました。時には作り手から話を聞いて参考にすることもあるし、先方から『長すぎない?』などと聞かれればそれにも答える。一人の観客として見たり、製作者と同じような立場で見たり、自分の中で様々に思考を変えるのです」

批評家としての仕事では「映画との対話」を大切にしているという。「映画とは何か、映画はどのように進化しているのか、美的な観点、倫理的な観点はどうか、映画をめぐる関係性、現代の映画にその作品が何を持ち込んでいるのかといったことを考えます。つまり『対話』するのです。そうやって様々な思考をめぐらすことが、映画批評につながるのだと思います」

仕事の中心になるのは試写会で新作を見ること。「時間に限りもあるのですべてを見ることはできないけれど、なるべく多くの作品を見るようにしています。映画を扱うメディアは多いけれど批評家にとって新たなチャンスになるものばかりではないので、おのずとエネルギーは見ることに注がれる。それは大切なことです。文化のアドバイザーと言ってもいいかもしれませんが、映画を50本見て、一番おすすめのものは全ページ、2番目は半ページ、最後は写真無しでほんの数行書くといったことを毎週毎週やっています」

批評を書くためには自分の意見を表明しなければならない。だが、好き嫌いだけを語る文章は「あまりにお粗末」。健康診断や車のパーツ点検のように、音響や撮影などを部分ごとにきりわけて評価するやり方も「あまりいいとは思わない」と言う。

「私自身は、映画を見たら一晩ほど時間をあけたい。映画評論家として年に400本以上見ていますが、2カ月前に見た作品に心が捕らわれたのなら、それが私にとって意味のある映画だということになります。映画を見てから現実に戻るわけですが、そこに変革が現れる。2か月に再度見る時には、自分の頭の中にあるものと現実の間に乖離が生じます。アイデアがどんどん頭の中で膨らみ、2回目に見るときはさらにレベルが上がっていることもある。間に経験をはさむことは有益です」

若い頃は一生懸命メモを取りながら映画を見たが、いまはほとんどの場合、記憶に頼っているという。「私にとって重要なのは、映画が何を望んでいるかということです。映画は時に傲慢で、時に荒々しく、時にはシャイなこともある。つまり、見る者に語りかけて来るのです。それをどう受け止めるか。予想外の展開に虚を突かれることもあるし、肩透かしを食らうこともある。単に美しいと感じるだけだったり、何が何だかわからないことも。それでいいのだと思います。そんな風に、映画とは何か、映画はどうありたいのかを経験することは大切です」

ただし、現在の視点だけで映画を判断すると見落とすものもある。「映画批評家としては、様々な映画文化を旅して、現在だけではなく過去に何が起きたかもとらえたい。1984年に香港に行き、様々な映画を発見したことがあります。後にウォン・カーウァイ監督の作品を見たとき、それらの映画を想起しました。ある映画がそもそもどういうところから来たのかを知った上で批評を書くのと、知らずに書くのとでは大違い。自分が映画史に通暁しているとは申しませんが、過去の蓄積を活用することは重要だと思っています」

批評家の仕事を長く続ける上では、楽観性も大切だという。「物事を前向きにとらえず、『昔の方がよかった』と言うだけの人は、別の仕事を探した方がいい」。テッソンさん自身も、楽観主義者を自認する。批評家週間の作品選定で様々な国の新人作品と向き合う際は、その国の歴史や社会背景に関心を寄せ、映画に近づこうと心がける。「そうしない限り、新しい発見はできません」

楽観性と並んで大切にしているのは寛大さ。「映画よりも賢い映画評論家を私は好きではありません。『自分はなんでも知っている』『君が何をしたいかわかるけれど、僕の方が賢いよ』と言うような映画批評家は苦手なのです。自分の感情を表現し、たとえ失望したとしても、映画を寛大に受け止めたい。『君が何を言いたいのか全部お見通しだ。作りたいのはこういうことだろう』と頭ごなしに決めつけるのはよくないし、危険だとすら思います。寛大さや好奇心は映画批評家にとって重要な要素。少なくとも、私自身はそういう要素を持って作品と向き合うことを心がけています」

そうやって出会ってきた映画作家の名前を世界地図に落とし込んでいくと、時代の変化がわかるという。「1950年代の『カイエ・デュ・シネマ』は欧米色が強かった。そこに例外的な存在としてに黒澤明や溝口健二らの作品が加わりました。60年代になるとヌーヴェルヴァーグの大島渚や吉田喜重ら新しい監督が現れた。セルジュ・ダネーはメキシコの商業映画に着目し、インド、香港、エジプトなどにもハリウッドとまったくつながりのない大衆映画が人気を博していた。1980年代にはアジア映画が世界中の批評家の注目を集めました。今ではどの国にも映画があることが知られ、国際映画祭でも上映されています」「批評家も、例えばタイやシンガポール、インドネシアとその他の地域はどう違うのかといった地政治学的なことも考えるようになりました。欧米中心の時代には“その他大勢”扱いだった国がそうではなくなってきた。こうした国々の作品にも虚心坦懐に向き合わなくてはいけない。いまは批評家にとって、いい意味で競争が激化しています」

では、映画批評家を取り巻く状況はどうなのか。映画大国のフランスでも、「映画批評をメインにして食っていくのは厳しい」という。「新聞などの伝統的メディアに書く人もいますが、1ワードいくらで書くしかない人もいる。映画館でのトークショーなどの副業をする人もいますが、出演料が出るとはいえ、それだけで生活できる額ではない。けれども、大学で教えていると、素晴らしいことに批評家志望者の若者はけっこういるんですね。ネットにも志望者はたくさんいる。生活を支えられる仕事かどうかはさておき、批評家の数は増えているのかもしれません」

逆に、新興国では批評家の不在を嘆く声をよく耳にするという。国際映画祭で脚光を浴びても、自国の批評家がいないため、地元の観客にきちんと作品の存在が伝わらないのだ。「フランスで好評だったカンボジア映画も自国ではきちんと見られない。コロンビアでは政府が新人監督に助成しているのに、批評家がいない。ジョージア(グルジア)の国立映画センターのディレクターも『作品を国際映画祭に出しても、いざ上映するとさっぱり。国内に有力な批評家がいないので観客を導けない』と話していた。これは問題です。カザフスタンやアゼルバイジャンでも新しい監督が育ち、東京フィルメックスのタレンツ・トーキョーでもラオスなどの企画発表を聞いた。作品は次々作られ、政府も支援しているけれど、映画が完成した後はどうなるのか。人々にこんな作品があるんだよと知らせる役割がこれらの国々には必要です。フランスとは違う意味での戦いがあるのです」

批評家として活動して40年近くたった今も、他の人が書いた批評を読んで様々な発見があるという。「彼には見えたが私には見えないものがある、それは何故なのだろうと考えることがあります。ひとり一人と作品との関係を批評家が作ってくれるのです」。ただし、ネット時代の到来で、批評の形は揺れている。「新興国では映画と観客をつなぐ批評家の役割が極めて重要です。それぞれの国でも、批評は転換点にあるのかもしれません。ヴェネチアやカンヌの声を反映する必要はないのかもしれないし、そこから出てくる批評を参考にしてもいい。批評を通して、世界中でいろいろなことができるのではないか。私はそんな風に考えています」

質疑応答でも、テッソンさんは「対話」の重要性をたびたび説いた。「製作者にとっては批評家は怖い存在。どうしたら健全な関係を作れるのか」との質問には、キアロスタミ、ジャ・ジャンクー、ホン・サンスら様々な監督との交友に触れ、双方がホスピタリティーを持って語り合える関係作りの大切さを語った。映画批評家をしていて良かったと感じるのはどんな時かという問いには、「いい映画を見たとき」と即答。「しばらくは別の映画を見たくなくなる。極上のワインを飲んだ後に、他のものでぶち壊しにしたくないのと同じです」

 批評家週間やシネマ・デュ・モンドの仕事で世界各地の新しい才能を発掘してきただけに、各地の状況に話が及ぶとひときわ言葉に熱がこもった。「いまは南アジアのプロジェクトに優秀なものが多い。このエリアは注目です」。東京フィルメックスでも出会えることを期待したい。

文責:深津純子 撮影:村田麻由美

【レポート】『華氏451(2018)』Q&A

11月23日(金)、有楽町朝日ホールで「特集上映 アミール・ナデリ」の『華氏451』が上映された。本作は、本を読むことが禁じられた世界を舞台に、違法に所持された本を摘発、焼却処分する“ファイヤーマン”として働く男の姿を通して、管理社会を痛烈に風刺したドラマ。原作はレイ・ブラッドベリの名作SF小説で、1966年にはフランソワ・トリュフォーが映画化したことでも知られる。上映後には脚本を担当したアミール・ナデリさんがQ&Aに登壇。客席からの質問に答える形で、製作の舞台裏を語ってくれた。

登壇したナデリさんは、まず共同で脚本を手掛けたラミン・バーラニ監督との関係を説明。2人の出会いは、ナデリさんがニューヨークのコロンビア大学で仕事をしていた時。何度も挨拶してくるバーラニ監督を当初は避けていたものの、やがて根負けしてその理由を尋ねたところ、「あなたの映画を見て育ったので、いつか一緒に仕事がしたい」と答えたことから、親しくするようになった。以後、バーラニ監督の『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』(14)でも共同で脚本を執筆するなど、映画製作において密接な関係を保っている。

そんなバーラニ監督についてナデリさんは「弟のような存在」と語り、「繊細で頭がよく、アメリカ文学にも精通。男優の演出が上手で、素晴らしい演出家」と評価。お互いに馬が合うらしく、「2人でチームとして仕事をして行こうと考えている」とのこと。

本作の製作に当たっても、「物語は現在のアメリカ社会に当てはまる。今の時代、こういう小説を映画化しなければいけない」と2人で話し合い、アメリカの大手製作会社HBOに提案。これが認められて製作がスタートした。ナデリさんがイラン出身で、バーラニ監督の両親もイランからの移民であるため、「イラン人2人がこの映画を作ったんです」と冗談交じりに語り、場内の笑いを誘った。なお、ナデリさんのクレジットは脚本のみだが、実際には編集も手伝っているほか、作品の雰囲気づくりなどにも関わっているとのこと。

また、製作に当たってはフランソワ・トリュフォー監督の66年版も意識。「トリュフォーの作品はもちろん素晴らしいが、ロマンティックな雰囲気。今、同じように作るとバランスが崩れるので、今回は女性の出番を減らそうと話し合った。また、アメリカ社会の話に置き換えるのも難しかった」と、再映画化の苦労を語った。

さらに、大規模な作品のため、出演者の顔ぶれも豪華だ。主人公モンターグを『クリード チャンプを継ぐ男』(15)、『ブラックパンサー』(18)のマイケル・B・ジョーダンが演じるほか、『キングスマン』(14)、『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』(17)のソフィア・ブテラなど、ハリウッドスターが顔を揃える。中でも強い印象を残すのが、マイケル・シャノン。2度のアカデミー賞候補歴を持ち、『シェイプ・オブ・ウォーター』(17)などでも活躍する名優だ。任務に忠実でありながら、複雑な内面を覗かせるモンターグの上司を巧みに演じている。

ナデリさんは「マイケル・シャノンは『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』にも出演しており、我々のスタイルを良く知っている。ハンフリー・ボガートのようにモダンで頭がいい」と称賛。さらに、「この映画では3人のキャラクターを中心に撮った。マイケル・B・ジョーダンもソフィア・ブテラも素晴らしかった」と、主要な役を演じた他の2人に対する賛辞も忘れなかった。

本作は日本での劇場公開は未定ながら、映画専門チャンネル「スターチャンネル」で放送予定。今回の上映を見逃した人も、この機会に視聴してみてはいかがだろうか。

取材・文: 井上健一 撮影:村田麻由美

【レポート】『マジック・ランタン』舞台挨拶、Q&A

11月20日(火)、有楽町朝日ホールにて特集上映「アミール・ナデリ」の一本として、最新作『マジック・ランタン』が上映された。古びた映画館で映写技師として働く若者ミッチを主人公に、現実と幻想、映画へのオマージュが混淆された現代のお伽噺。上映に先立ち、ナデリ監督が舞台挨拶に登壇した。

特集上映では、ナデリ監督の自伝的映画であり、自らの初恋を描いた『期待』(74)に続く、2作目の上映となる。ナデリ監督は本作について、「いつか『期待』(74)のような作品をつくりたいと思っていました。長年、女性への愛を心のどこかに隠し、山を壊したり、火事を起こしたり、数々の乱暴を行いましたが、やっとその気持ちを取り出してこの映画をつくりました」と紹介。「私の作品を観たことがある方は、この作品を観ると驚くと思います。私も自分が作ったと思えない。私が作ったことを一度忘れて観てください」と観客へ呼びかけた。

上映後のQ&Aに再び登壇したナデリ監督は、本作の制作のきっかけとなった不思議な出来事について語った。ナデリ監督はアメリカで半年間、溝口健二監督の映画の修復に携わっていた。ある晩、暗い道を歩いていたとき、人の気配を感じて振り向くと、なんと溝口監督が立っていた。そのとき、溝口監督から背を押されたような気がして、この映画をつくる決心をしたのだという。ナデリ監督が以前、知人からDVDをもらい、「何度も何度も観た」と言うのは溝口監督の『雨月物語』(53)。「夢と現実を行き来する、魔法使いのような映画。いつか自分でも作りたいと思っていました」と語った。

観客からの最初の質問は、印象的な音の使い方について。ナデリ監督は「映画は音のためにつくっているようなもので、最初から考えている。いつもは映画音楽を使わないが、ハリウッドの近くで映画をつくると音楽を入れないといけないな、という気持ちになった」と明かした。『CUT』(11)や『山<モンテ>』(16)では、自然音や効果音を音楽の代わりに使った。本作で劇中に鳴る不思議な音は、『山<モンテ>』(16)で使った音を入れたという。

また、扉から女性の手が現れるシーンは『期待』を踏まえたものかとの質問には、「そうです。あの『手』のためにこの作品を撮りたかったのです」と答えた。キャスティングのとき、なかなか自分のイメージに合う女性がいなかったが、腕に目のタトゥーを入れているソフィー・レーン・カーティスさんに会ったとき、この人だと思った。夢と現実を行き来するイメージを、その腕が全て語ってくれるのではないかと思ったという。

本作には、ナデリ監督が「『映画に愛をこめて アメリカの夜』(73)のときから恋をしている」というジャクリーン・ビセットさんも出演している。事務所はなかなかOKしてくれなかったが、フランスの映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』でナデリ監督の特集が組まれ、幸いビセットさんが読んでいた。本人から映画に出たいと連絡があり、出演が決まったそうだ。ナデリ監督は「ビセットと最初に会ったとき、私の映画に出るなら、毎日ベジタリアンの私にサンドイッチをつくってほしいと言ったら、彼女は約束を守ってくれました。現場のランチはビセットの手作り」という羨ましいエピソードも明かしてくれた。

まだ多くの手が挙がっていたが、ここで時間となりQ&Aが終了。ナデリ監督は「カット!ありがとう!」「次の映画で!」と観客に声をかけ、舞台を後にした。

追記
第17回東京フィルメックスで上映された『山<モンテ> 』(16)は、2019年2月よりアップリンク吉祥寺での公開が予定されている。

文責:宇野由希子 撮影:明田川志保

【レポート】『ハーモニカ』舞台挨拶、Q&A

11月23日(金)、有楽町朝日ホールにて、「特集上映 アミール・ナデリ監督」より『ハーモニカ』(’74)が上映された。本作は、1970年代にイランで制作されたアミール・ナデリ監督の初期作品のひとつで、自伝的作品でもある。上映前には、ナデリ監督が「Good Morning! Good Morning!」とにこやかに登場し、「他の国とは違って日本ではこうして朝早くからシネフィルが集まってくださいます。ありがとうございます」と挨拶した。


上映後にあらためて登壇したナデリ監督は、開口一番、「とても悲しい作品でしたね」と、久しぶりに本作を鑑賞した感想を語った。本作は、ナデリ監督が、イランの子供向けの映画を制作する児童青少年知育協会を拠点にしていたときに制作された作品で、今回は福岡市総合図書館所蔵の35ミリフィルム上映となった。

当時は純粋な気持ちで映画を作っていたため、海外で上映されることを念頭に置いていなかったというナデリ監督。イラン革命当時、『ハーモニカ』と『タングスィール』(’74)がイラン革命を後押ししたと周囲から言われたという。子供たちは『ハーモニカ』を観て、大人たちは『タングスィール』を観て行動を起こしたと。自分は政治的な人間ではなく、ただ、自分が体験した、貧しい町に暮らす子供たちの生活を描きたいと思っていただけで、後から政治的な意味合いを持つようになったと説明した。

また、ナデリ監督は、ハーモニカを権力の象徴のようにとらえたという観客からのコメントに対しても、敢えて権力というもの、権力者というものを意識していたわけではなかったと応えた。ただ、「この映画を観ると、人類の歴史を語っているようにも思えます。子供たちの姿がとても痛々しいです」と、やや複雑な表情を浮かべた。しかし、イラン革命後にアメリカからイランに戻ったとき、学校にはアミールという名前の子供が多く、作品を観た母親が子供に名前を付けたのではないかという話を聞いたという。本作がイランの社会に与えた影響の大きさを物語るエピソードだ。

本作では子供たちの生き生きとした表情が印象的だが、登場する子供たちはすべて素人で、現地で選ばれたという。「自分が撮りたい映像の中に、子供たちを入れるのは大変でしたが、子供たちもカメラの中で普通の生活をしてくれたので助かりました」と撮影時を振り返ったナデリ監督。

さらに、ラストカットで一変する画面の色についての質問を踏まえて、カラー(色彩)について話が及んだ。ラストカットの色は意図的で、「子供たちの中で革命が起きたような感じ」にしたかったそうだ。当時、モネ、ピサロ、ゴーギャン、ゴッホの作品を観て、印象派を意識した色彩(カラー)に力を入れていたナデリ監督は、ゴーギャンやゴッホのように、自然でプリミティブな映像で子供たちの姿を撮るために、自動車やプラスティックなどモダニズムの象徴となるものを消したという。児童青少年知育協会では、自由に何でも作ることができ、フィルムも豊富に用意された環境だったため、1シーンに20テイクかけることもあったとか。

東京フィルメックスでは、「特集上映 アミール・ナデリ監督」と題して4作品を上映してきたが、急遽、追加作品として『タングスィール』の上映が決定した。「『タングスィール』は革命そのものです。ぜひご覧ください!」と、ナデリ監督の呼びかけでQ&Aは終了。朝早くから駆け付けた熱心な観客から、大きな拍手が寄せられた。

文責:海野由子 撮影:吉田(白畑)留美

【レポート】『夜明け』Q&A

11月21日(水)、有楽町朝日ホールにてコンペティション部門の『夜明け』が上映された。本作は、是枝裕和監督のもとで演出助手を務めてきた広瀬奈々子監督の長編デビュー作で、地方の町に現れた青年をめぐる人間関係の中に生じる複雑な感情の機微を紡いだ作品。上映後には広瀬監督が登壇し、「今日はお集まりいただきありがとうございます。先日、完成披露させていただき、Q&Aは日本で初めてなので楽しみです」と少し緊張した面持ちで挨拶した。

まず、市山尚三東京フィルメックス・ディレクターから、原作ベースの作品が多い中で、オリジナル脚本で映画化した本作の着想について訊かれ、広瀬監督は次のように応えた。
「大学卒業の年に東日本大震災があり、就職先が決まらず、悶々とした時期を過ごしながら、社会との関わり方に悩んでいました。その頃のことをベースにしようと考えました。当時、謳われていた絆や家族愛などに懐疑的な視線を加えたいと思い、関係性の美しい部分と闇の部分と両方を見つめようと思いました」
特に具体的な事件やニュースをベースにしておらず、企画を書いては是枝監督に見せるということを十数本繰り返して、ようやく認めてもらえたのがこの企画だったという。「映画化にあたっては、是枝監督からサポートを受けることができ、とてもラッキーでした」と述懐した広瀬監督。

次に、シナリオの書き進め方について、シナリオの構想では最初から結論があったのかどうかという点とアテ書きだったのかという点について話が及んだ。最初から結論があったかどうかという点については、「どこに決着するかわからないまま書き進めていた」と語った広瀬監督。気持ちと行動が一致しないシーンを作りたかったことや、上手く感情表現ができない人間が好きなので拙いまま終わりたかったこと、立ち止まって初めて行先を考え自分の足で自立に向かう終わり方にしたかったことなど、物語の着地点に至るまでの経緯を説明してくれた。

また、アテ書きだったかどうかという点について、小林薫さんに関しては先にオファーしていたそうだが、主人公に関してはアテ書きというわけではなかったという。「なかなか筆が進まない時期に柳楽優弥さんの名前があがり、柳楽さんの顔を思い浮かべると、柳楽さんの生きる欲求のようなものが筆を動かしてくれました」と広瀬監督。ただ、柳楽さんは師匠である是枝監督が見出した俳優だったことから、広瀬監督自身は、柳楽さんを主演に迎えることに抵抗があったそうだが、「その因縁が面白く作用するかもしれない」という予感もあったようだ。

続いて、その柳楽さんにどのような演技指導をしたかという質問があがった。広瀬監督は、「私が指導するというよりも、柳楽さんに引っ張ってもらいました」と述べた。役作りに関しては、柳楽さんが考え過ぎずに現場にいることを望んでいたため、できるだけリアクションに徹する、つまり、周囲のキャラクターに揺さぶられて反応するようにしたという。難しい役どころだったので、何度も話し合いを重ねたとか。

さらにカメラマンとはどういう経緯で組むことになったのかということに話が及んだ。カメラマンの高野(大樹)さんは、是枝監督が懇意にしているカメラマンのお弟子さんのような方で、これまでも何度か一緒に仕事をする機会があったという広瀬監督。「高野さんが撮る画は、被写体と微妙な距離を保ち、被写体に対する奥ゆかしさみたいなものがあって好きです」と述べ、カメラマンとの強い信頼関係に自信をのぞかせた。

ここで、会場で鑑賞していたアミール・ナデリ監督が挙手し、広瀬監督に次のような賛辞を贈った。
「素晴らしい映画をありがとうございました。エンディングも、ペースも、役者の演技も素晴らしかったです。見せすぎず最小限にとどめているところもとても良かったです。これからが楽しみな監督が出てきて、まさに、あなたのような人材が日本の映画界に必要だと思います。今後を期待しています。Cut!」

最後に、広瀬監督は、自身が撮影で一番感動したシーンのエピソードを披露してくれた。それは、主人公が海に出てくるシーンでのこと。「夜が明けてバックショットを撮り終えカットをかけたのに、柳楽さんが海を前にして動こうとせず、今、撮ってくれといわんばかりの背中をしておられたので、慌ててカメラを持って回り込み、光が射す柳楽さんの表情を撮りました。素晴らしいカットが撮れたなと思いましたが、後でご本人に聞いたところ、単に私の「カット」の声が聞こえなかっただけだったそうです」と語ると、場内は笑いに包まれた。

本作は、2019年1月18日より、新宿ピカデリーほか、全国ロードショーが決定している。日本映画界の期待の星、広瀬監督の今後をこれからも見守っていきたい。

追記
『夜明け』は授賞式にてスペシャル・メンション(※)を授与された。
※選外ではあるが特に審査員が触れておきたい作品がある年に授与される

文責:海野由子 撮影:吉田(白畑)留美

【レポート】『アイカ(原題)』Q&A

11月23日(金)、有楽町朝日ホールにてコンペティション作品『アイカ(原題)』が上映された。モスクワの産院から脱走した25歳のキルギス人女性のアイカは、産後間もない体を酷使しながら借金返済のために働き、奔走する。モスクワに出稼ぎに来るキルギス人女性の過酷な日常を臨場感あふれる映像で描いた作品。カンヌ映画祭で上映され、主演のサマル・イェスリャーモワさんが最優秀女優賞を獲得した。
上映後のQ&Aに、セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督が登壇し「本日はありがとうございます。日本で2作目の上映を嬉しく感じます」と喜びを伝えた。

ドヴォルツェヴォイ監督作品の日本での上映は、2008年に東京国際映画祭にて上映された『トルパン』(08)以来。本作のストーリー設定のきっかけは「モスクワの産院で約250人のキルギス人女性が出産した新生児が放棄された」というショッキングなニュースを見たことだという。「私自身カザフスタン出身で、キルギス人女性はこんな冷酷な人達ではないとよく知っていたので、なぜこんな事件が起きたのかと興味を持ち、この設定を思いついたのです」と明かした。

会場からの質問に移ると、主演のサマル・イェスリャーモワさんをキャスティングした経緯と演出について質問が上がった。イェスリャーモワさんはドヴォルツェヴォイ監督の前作『トルパン』(08)でも主役を務めている。今回の主人公アイカは難役で、演じられるのはイェスリャーモワさんしかいないとオファーしたそうだ。「彼女はこの難役を演じられるか心配していましたが、私は逆にその姿を見て、彼女ならやれると確信しました」とドヴォルツェヴォイ監督。

過酷なシーン撮影が続く中で、モチベーションや感情をコントロールしてもらうことは難しかったが、イェスリャーモワさんの持っている才能を引き出すことを心掛けたという。「肉体的にもハードな撮影だったと思うが、常に全力で演じてもらうのは無茶なので、彼女の体調に合わせてシーンを撮影していきました。彼女自身の考えや感覚も尊重しながら彼女の持ち味を引き出せたと思います。独身で子供もいない彼女にとっては未知の世界を演じる不安もあったと思うが、体調面も含めよく演じてくれました」と、主演のイェスリャーモワさんを称えた。

手持ちカメラによる臨場感あふれる映像が強く印象に残る本作。撮影監督は、前作『トルパン』も担当したポーランド人の女性で手持ちカメラのコントロールに長けていたという。さらに監督自身も撮影していたと明かし「今回のカメラワークで特に重要視していたのは、人物の目の動きでした。目の中の風景が語るもの、訴えるかける表現をいかに撮るかということに集中しました。困難な撮影環境の中で、手持ちカメラで被写体を追っていくという撮影をよく成し遂げてくれました。本作は、彼女の中にある目を通して、そこで何が起きているかを表現したかった映画なのです。映画には、見えるものと見えないものがあるが、今回は、見えない部分を重要視したのです」と語った。撮影方法は半分がデジタルで、半分は16mmフィルムで撮影したという。16mmフィルムを使用したのは雪中での撮影に耐えるためで、地下鉄内のシーンでは小さなポケットカメラを活用したと撮影技法の工夫を明かしてくれた。

全編を通して背景にあるのが、豪雪に見舞われるモスクワの厳しい冬の風景。この大雪はもともとの設定だったのかという質問に「当初のシナリオでは春を想定していたのです」と、会場を驚かせたドヴォルツェヴォイ監督。「撮影予定が遅れ、たまたまモスクワで記録的な大雪となった時期にクランクインとなったのですが、私はもともとドキュメンタリー監督なので、この状況を使わなければと感覚で思いました。本作にとって、雪は大きな舞台装置であり、重要な登場人物なのです。雪という存在を通して、人々の生活、生き方を凝縮させた思いを表現できると思いました。主人公のような母親にとって、自然とは人々を育て養うもの、大地の恵みだと感じるのが一般的でしょう。しかし今回は大雪という背景を使うことで、逆に自然の怖さを表現したかったのです」と述べた。

最後に、主人公の背景を説明してくれたドヴォルツェヴォイ監督。「キルギス人女性がモスクワで働くのは、キルギスの1年分の給料を1ヶ月で稼ぐことができるからです。彼らは劇中のシーンのように、狭い部屋にひしめき合って住み、貧しい食事を食べ、一日中働いて故郷へ送金するのです。モスクワは家賃も高く、彼らキルギス人は床があるだけの一間を借りて生活をしているのです」。

本作は、今後国内でも公開を予定している。ニュースだけでは読み取れない、過酷な女性の現実がリアルに描かれた本作、日本でも多くの方へ届いてほしい。

文責:入江美穂 撮影:明田川志保

【レポート】『自由行』Q&A

11月22日(木)、有楽町朝日ホールにてコンペティション部門の『自由行』が上映された。本作は、『私には言いたいことがある』(’12)以来7年ぶりとなるイン・リャン監督の新作で、東京フィルメックスでは4作目の出品となる。上映後にはイン・リャン監督が登壇し、「この作品は古い友人と語り合うような意図で作りました。馴染みの観客のみなさんがいるフィルメックスで上映していただくのにふさわしいと思います」と、観客との再会を喜び、監督自身が過ごしてきたこの6~7年間の総括となる本作について語ってくれた。

本作は、当局との問題を抱えたため中国を離れて香港に暮らす女性映画監督が、夫と息子とともに台湾の映画祭に参加する一方で、中国本土からツアー客として台湾にやってきた母親と久しぶりに再会するという物語。中国から香港に移住して創作活動を続けるイン・リャン監督の境遇を投影した作品である。イン・リャン監督は、本作が実際に体験した台湾旅行に基づくこと、実体験で再会したのは自分の妻の親である点が異なることを説明。制作の動機としては、現在5歳の息子が、将来成長して、なぜ祖母に会うために台湾へ行ったのだろうかと考えたときに、本作から解きほどいてもらいたいからだという。また、「中国人は何世代にもわたり苦難に見舞われてきました。国家に対する怖れを直接的に表現することができません。私はその部分を映画で変革したいと思いました」と続けた。イン・リャン監督は来場していた夫人と息子さんを観客に紹介し、観客から温かい拍手が寄せられた。

また、劇中の女性監督が自らを「異邦人」と称する場面について、イン・リャン監督は次のように説明した。「人生の中で、自由というものに価値があるとするならば、自由を得られないということは、すなわち失望です。故国に自由がなければ、自由の価値を手放すか、あるいは、手放さずに故国を離れるという選択肢があって、故国を離れた時点で国籍を越えた異邦人となるのです。」

続いて、主人公を女性監督に設定した点やシナリオについて話が及んだ。脚本は、イン・リャン監督、監督夫人、香港の小説家チャン・ウァイさんの3人で担当。チャン・ウァイさんが参加したことにより、自分たちには近すぎて見えていないことが、見えてきたという。主人公を男性監督として描くと、100%監督自身のことだろうと言われてしまうため、自分と同じような境遇の多くの人たちの集団的な経験を組み込むために、女性監督に設定したという。また、チャン・ウァイさんが母娘を題材とした作品を得意としていたことは、母娘の関係性を描く上で良い効果をもたらしたようだ。

最近、香港の永久居留権を得たというイン・リャン監督。香港に移り住んだ当時は、多くの困難があったそうだ。「多くの人たちの支援を得て、7年経ち、ようやく永久居留権を得ることができたのが今年の9月28日のことです。まさに、雨傘運動が起きた日と同じ日で、特別な意味合いがあると思います」と振り返った。しかし、香港では、多くの監督が大陸の目を怖れて作品を発表できないという問題があるという。それでもイン・リャン監督は、「状況がどうあれ、自分が語りたいことがあれば、映画で表現したいことがあれば、そして、それを観てくださる観客の方がいるのであれば、私は撮り続けていくと思います」という力強いメッセージを残してくれた。会場からは大きな拍手が寄せられ、質疑応答が終了した。

本作は、11月25日(日)にTOHOシネマズ日比谷スクリーン12にてレイトショー上映される。イン・リャン監督のさらなる飛躍に期待したい。

文責:海野由子 撮影:吉田(白畑)留美

【レポート】『ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト(仮題)』

11月22日(木)、TOHOシネマズ日比谷12にてコンペティション作品『ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト(仮題) 』が上映された。舞台は中国貴州省の凱里。父の葬儀のために久しぶりに帰郷し、ネオンに彩られた街を歩く主人公ルオの脳裏に、過去の記憶がよみがえる。約1時間にわたるワンカットの3Dに挑戦した、野心的な作品だ。上映後のQ&Aにはプロデューサーのシャン・ゾーロンさんが登壇した。

シャンさんは、2010年の東京フィルメックスの人材育成事業「ネクスト・マスターズ・トーキョー」(「タレンツ・トーキョー」の前身)の修了生。本作の中国での劇場公開直前のタイミングのため、プロモーションなどに多忙で来日が叶わなかったビー・ガン監督の代理で出席した。

観客からはまず、3Dのシーンの撮影手法についての質問が挙がった。
シャンさんは「長回しはビー・ガン監督がどうしても譲れないところでした。ただ、3Dカメラでの長回しは難しく、2Dのカメラで撮影し、後から3Dに変換しました」と説明した。3台のカメラで撮影し、ワンカットに見えるよう、2回繋いでつくっている。ドローン撮影も取り入れ、様々な手法を駆使した。撮影には2度挑戦したが、1回目は何テイク撮っても失敗。人気俳優が出演している作品のため、なかなか彼らのスケジュールを確保できなかったが、今年2月に全員が集まり、再チャレンジした。5日間で準備し、2日に分けて撮影。5テイク中2テイクが成功したという。

劇中、馬が突然暴れ出す場面がある。どうやって撮影したかとの質問には、「あのシーンは天の采配です」とシャンさん。馬も何回もやらされて疲れきっており、怒りを爆発させたタイミングだった。そこへやはり疲れ切っていた主人公二人が登場。映画の雰囲気とも合っていたことから、そのまま採用したそうだ。

主題歌には中島みゆきさんの「アザミ嬢のララバイ」が使われている。ビー監督はこの曲を聞きながら脚本を書いていた。そこでシャンさんは、この楽曲を映画で使えるよう奔走したが、ビー監督は最後になって「使わない」と言った。そのため、カンヌ映画祭では別の中国の曲がかかっている。しかし、シャンさんが「すでに予算超過している作品なのに、この曲のために高額の楽曲使用料を払っているのだから、使わないのはおかしいだろう」と言ったところ、ビー監督も同意し、この楽曲を使うことになったのだという。

最後に、「3Dは上映の機会が限られる面もあるのでは」と観客から指摘されると、「いいご質問をありがとうございます」と答えるシャンさん。中国では80~90%の映画館が3Dに対応しているので問題はない。しかし、例えばフランスでは40~50%と各国で状況が異なる。そのため、2D版と3D版の両方を提供することにしているが、「製作サイドとしては、できるだけ3Dで観てもらいたいと考えています。これは技術的な面ではなく、映画の美術を追求した結果、3Dの方がいいと判断したためです」と訴えた。

なお、本作は2019年夏に日本の劇場公開が予定されている。ビー監督の長編第1作『凱里ブルース』(15)も併せて公開される可能性があるとシャンさんから発表されると、会場からは一際大きな拍手が起こった。


※深夜にもかかわらず多くの方が残ってQ&Aに参加してくださいました。

文責:宇野由希子 撮影:明田川志保

【レポート】『シベル』Q&A

11月21日(水)、有楽町朝日ホールでコンペティション作品の『シベル』が上映された。本作は、トルコの山岳地帯にある村を舞台に、言葉を喋れない少女シベルの逞しい生き様を通じて、様々な問題を浮き彫りにしたドラマ。上映後には共同で監督を務めたチャーラ・ゼンジルジさんとギヨーム・ジョヴァネッティさん、そして主人公シベルを演じたダムラ・ソンメズさんがQ&Aに登壇。客席からの質問に答える形で、作品の舞台裏を語ってくれた。

 これが三作目となるチャーラ・ゼンジルジ監督とギヨーム・ジョヴァネッティ監督のコンビは、前作「人間」を全編日本で撮影している。そこでまず、ジョヴァネッティ監督が「5年前、日本で映画を作りました。今日は東京に戻ってこられて幸せです」と日本語で挨拶した。

Q&Aでは、まずジョヴァネッティ監督が物語の舞台となった地域について説明。豊かな自然と森の風景が印象的なこの村が存在するのは、トルコ北東部の黒海に面した山岳地帯。トルコの他の地域と比較して森林が多いのが特徴で、その反面、生活するには厳しい環境でもある。「そういう地形的な事情により、人々は昔から口笛で会話する文化を育んできました」。その口笛を使った独特の会話法は、本作で重要な位置を占める。口のきけないシベルは、全ての会話を口笛で行なうからだ。

シベル役のダムラ・ソンメズさんは、劇中でその口笛を見事に使いこなし、力強い演技と併せて見る者に鮮烈な印象を残す。だが、彼女にとっては「全てが初めての経験」。当初は「何から手を付ければいいのかわからなかった」のだという。そこでまず、長い時間を掛けて監督たちと一緒に口笛で会話する文化について学び、自分のリズムで喋れるように、言葉を口笛に「翻訳」する作業を実施。さらに、ひとつひとつの動作と口笛のタイミングがシンクロするまできめ細かい練習を積み、シベルという主人公が出来上がった。

ゼンジルジ監督は、そんなソンメズさんについて「信じられないほどの努力を積んだ」と絶賛。これに応えてソンメズさんが劇中と同じように口笛を吹くと、客席から大きな拍手が送られた。
さらにゼンジルジ監督は、日本人に馴染みの薄いトルコの村を舞台にしたこの物語で描かれた社会的な問題について説明。
「映画を製作する時は、地域性を意識しながらも、普遍的に描くことを心がけています。この作品で扱った問題は、トルコに限らず、全世界で起こり得る事」と前置きした上で、2つの問題を挙げた。

まずひとつ目が「女性に対する社会の不平等」。近年は世界的な問題でもあるだけに、「もしかしたら、日本も似たような状況にあるのでは」と指摘した。

さらに、2つ目の問題として「父権社会、家父長制が女性に与える影響」を挙げると同時に、「父権社会、家父長制が男性に与える影響も意識した」と補足。そして、「どれほど(女性を公平に扱う)進歩的な家庭で育った男性でも、社会に出て何らかの問題に直面した時は、元に(旧態然とした家父長制、父権社会的な態度に)戻ってしまう可能性がある」と問題を提起した。

この他、ヨーロッパでインディーズ映画を作る難しさや合作映画におけるプロデューサーの重要性など、日本では知りえない欧州の映画製作を巡る事情についても説明。数々の質問に、予定時間をオーバーしながらも丁寧に応じてくれた。

『シベル』は11月23日(金・祝)21:15より、TOHOシネマズ日比谷12にて2度目の上映がある。上映後の舞台挨拶では、この3名に加え出演のエルカン・コルチャックさんも登壇予定だ。

取材・文:井上健一 撮影:明田川志保