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2009年11月21日 第10回記念シンポジウム<映画の未来へ>第3部:セッション2

s2_5.jpg 11月21日、東京フィルメックス10周年を記念して明治大学アカデミーホールにて開催された第10回記念シンポジウム〈映画の未来へ〉。 北野武監督によるマスタークラス、黒沢清監督、是枝裕和監督によるセッション1に続くセッション2は、シンポジウムの最後を飾るべく、華やかなゲストをお迎えして行われた。 セッション1で登壇して頂いた黒沢監督、是枝監督に加え、日本を代表する俳優である寺島進さんと、西島秀俊さんのお二人が新たに登壇。それぞれの10年の歩み、また映画祭のあり方などをお話いただいた。

司会の林 加奈子東京フィルメックスディレクターが、寺島さんと西島さんとの出会いのエピソードから話を始めた。寺島さんについて「10年前には地下鉄でも会うことがあったのに、もう今じゃ会えませんからね。以前、フィルメックスが誇る国際スターということでトークイベントをさせていただきましたが…本当にそうなりましたね」と感慨深げに話す林ディレクターに、寺島さんは「10年前の俺は映画俳優として生まれ映画俳優として死んでいく、とか俺の体には映画の神が宿っているとか、テレビなんか俺はやらねえよ、なんてイキまいてたけどこの10年、まるっきりテレビに浮気しちゃってねー」と照れ笑い。

s2_1.jpg そんな寺島さんに林ディレクターは「軸足をしっかりと映画に置く、と腹に据えたから、テレビもコマーシャルも何でもやろう、そして自分が映画に出たときにテレビやコマーシャルで初めて寺島進を知った人たちが映画を観てくださるのであれば、何でもやってやろう、というお話をされたことがあって、いい話を聞いたな、と思いました。そういうところに寺島さんの映画への愛や覚悟が表れてますよね」。「あの当時はぶれちゃいそうで怖かった…今はもうぶれちゃってるけどね(笑)」と寺島さん。「でも、あるときフィルムの持つ緊張感が自分に宿ったような感じがして…映画俳優として自分の心の軸がぶれてなければいいかな、と」。「北野武監督がマスタークラスで寺島さんをとても評価していらっしゃいましたが、映画の未来は寺島にある、ということだと思います」と林ディレクターに言われ、寺島さんはしきりにハンカチで汗を拭ってみせて観客を沸かせた。

西島さんは第5回東京フィルメックスではオープニング作品として出演作の『カナリア』が上映され、舞台挨拶に登壇、翌年の第6回では審査員を務めた。ちなみに林ディレクターの初対面の西島さんへの印象は「映画好きそうな人だな、と思った(笑)」。熱心に審査員を務める姿を見て、本当に観る立場としても映画が好きな方だ、と再確認したという。
この10年を、西島さんはどう感じているか、という質問に「10年前に何をやっていたのか調べてみたら、ちょうど黒沢監督の『ニンゲン合格』(1999年)に出演していた時だったんです。僕は(寺島さんとは)逆にテレビ出身なので、やっと映画に出られるようになった頃でしたが、映画に出ている俳優とテレビに出ている俳優というのは違っているように僕には見えたので、映画の俳優の演技に近づきたい、こういうことをやりたい、その頃はそんなことばかり考えてましたね」と答えた。それから10年を経て、変化を感じることはあったのだろうか。「俳優の立場からすると、映画に出ることは何かすごく難しいことだと感じていた。現場に行っても何か違っていて。映画の俳優さんたちは不可思議で演技も独特で、僕にとってはちょっと異様な人たちだった。けど今は、映画に出るということが簡単になっているというか、俳優は映画にも出るしテレビにも出るし、芸人さんだって映画に出るし…映画俳優というものの垣根がなくなっているように感じます」

s2_2.jpg ここでテレビでの仕事について、林ディレクターから黒沢監督に話が向けられた。黒沢監督は「2時間のドラマを手掛けたことはあるが、スタンスは変わらないから、特に映画との違いは感じなかった」という。また、以前テレビ局の出資で製作された映画『回路』(2000年)について、「僕に依頼するからには、テレビっぽく良く出来た作品などはよもや望んでいないだろうと(笑)。テレビ局が映画を作ってそれがほぼ確実に大ヒットする、という流れはもう少し後にできたけど、当時はむしろテレビでは出来ないこと、変わったことをやってくれ、と好きにやらせてくれた。いい時代でしたね」と黒沢監督。
市山東京フィルメックスプログラム・ディレクターは、黒沢監督のテレビ作品『降霊』(2001年)について、あまりに怖くて観ている途中何度も後ろを振り返ってしまった、というエピソードを披露した。この作品のプロデューサーが映画好きで、テレビでは極めて珍しく16ミリフィルムで撮って欲しいと依頼されたそう。また、この作品は海外の映画祭にも出品され、ロカルノ映画祭では3000人収容の体育館のような会場で上映されたとのことだが、大会場に反響する音と映像はさぞかし恐ろしかったことだろう。

これまでテレビで数々のドキュメンタリーを手掛けてきた是枝監督だが、テレビドラマを手掛けるつもりは?と林ディレクターが話を向けると、「関西テレビの深夜枠で20代の頃1本だけ手掛けて…以来キャリアから封印してます(笑)」とのこと。市山Pディレクターも「え、やってたんですか?知らなかった。」と言うほどそれは奥深く封印されたキャリアのひとつのようだが、「やらせてくれるんだったら、連ドラやってみたいんです。映画と最も違うシステムの中で作られるものだし…ってあちこちで言って回ってるんですけどね」と是枝監督。
次に海外での仕事やオファーについて話が及んだ。林ディレクターから海外の監督と仕事をされた感想を聞かれ、西島さんは「自分は映画の中でバーンと出て目を引くタイプではないので、監督と個人的にお会いしてお話をして、オファーをいただくスタンスに変わりはないです」と答えた。日本映画のみならず、海外からのオファーについて尋ねられた寺島さんは、「脚本読ませてもらって良ければ、っていうスタンスは変わらないんで。あとは、勘で。ジャッジはいつも一緒ですから」

s2_3.jpg お話の中に映画に対する愛情をにじませてきたゲストの皆さん。ここで、映画を観るようになったきっかけの話題に。
「スケベ心で観る感じ」だという寺島さんは、映画館の暗闇で観る、緊張感や集中力が生まれ、お客さんの呼吸や笑いを共有する空間というのは、ライブ的でもありナマモノだ、と感じるそう。「学校をサボる口実としても使える(笑)」とも。映画館そのものが寺島さんにとって特別な場所だったようだ。
一方、西島さんは「この世界に入ってから色んな現場で監督やスタッフの方にすすめられて観るようになった」そう。「最初のうちは観てまず、何だ、これは。分からん、全然分からん、と。そこで自分の今までの価値観とぶつかるわけです。でも、きっとどこかが面白いんだろう、と。でも何か感じるものがあって色々観ていくうちに、面白さがだんだん分かってきた感じですね」。

続けて「(東京フィルメックスの上映作品を)自分で選んでおいて言うのもなんですが、よく分からない映画が多い(笑)。分からないけど何かすごいという映画」と、市山P・ディレクター。
黒沢監督は「映画を観て、あれ?とかおや?と思ったその瞬間がまさに映画を観ている瞬間だ」という蓮實重彦さんの言葉が忘れられないという。「どんなに面白い映画でも一瞬面白さが途切れる瞬間がある。それに気付いたらもう映画はやめられない。フィルメックスはたぶん、そういう映画の宝庫なんじゃないですかね」と黒沢監督。それを受けて西島さんは「正直、フィルメックスのプログラムは映画の説明があんまりされてないし、どんな作品なのかよく分からないで観るんだけど、どの作品も観てみて驚きますね。作品のセレクトがバラバラだし、そういう映画祭ってあんまりないと思う。だから空き時間があれば、僕は(会場に)います(笑)」

それに対し林ディレクターは「過剰な情報によって、観て驚く楽しさやドキドキ・ワクワク感を削いでしまうのは観客の方に失礼な気がするから…」とコメント。
「(作品のラインナップは)意図しなくても結果的にバラバラになりますね。審査員の方は困るだろうな、と思いながら毎年選んでます(笑)」と市山ディレクター。「映画祭はある種のお祭りであって、色々なものがあっていいと思っている」。

10年前、アート系の映画を取り巻く環境は厳しくなりつつあった。市山ディレクターは「そんな中でフィルメックスを立ち上げ、そんな作品を日本での公開に繋げていきたいと思ってきました。しかし、経済状況は悪化する一方で、アート系作品の劇場公開も減少し、いまやフィルメックスでやらないと他で観るチャンスがない、という作品が増えている。そういう意味でのニーズが高まっていることが良いことなのか悪いことなのかは分からないが、フィルメックスが上映の一つの場として重要になってきていると感じます」と語った。

林ディレクターは「東京フィルメックスは今後も、作り手の自由なチャレンジを支援しながら、回を重ねてゆきたい」と宣言し、およそ5時間にわたるシンポジウムを締めくくった。


(取材・文:大坪加奈/写真:関戸あゆみ)

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投稿者 FILMeX : 2009年11月21日 19:00



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