インド、イギリス、カナダ / 2025 / 112分 / 監督:ローハン・パラシュラム・カナワデ(Rohan Parashuram KANAWADE)
ムンバイに住む青年アナンドは、父の死に際し、伝統的な葬送儀式のためインド西部の故郷に帰る。親族たちから結婚を急かされ息苦しさを感じる中、彼は幼馴染の青年バリヤと再会する。彼も同様に結婚のプレッシャーに晒されており、共に過ごす時間の中で、秘めていた互いの絆は深まっていく。10日間の喪が明ける時、この関係はどこに向かうのだろうか。
都会で暮らす主人公アナンドは、父の逝去に伴う10日間の服喪儀式のため、故郷の村へ帰省する。農村の伝統と親族からの結婚圧力に直面する彼にとって、幼馴染のバリヤとの再会を経て、彼と親密な時間を過ごすことが、次第に唯一の逃避場所になっていく……。本作は地方の農村における文化的な背景を忠実に描いていく一方で、静的なカメラワークとロングテイクによって、登場人物たちの感情の機微を徹底したリアリズムで映し出していく。クィアな物語によく見られる悲劇的な側面を極力排しつつ、親子の間に見られる稀有なまでの相互理解も並行して描かれ、登場人物たちの間の心の交流を通じて、困難さの中での愛と受容の可能性がささやかに提示される。この成熟したビジョンと人間の本質に迫る誠実な洞察こそが、本作を特別なデビュー作たらしめている。サンダンス映画祭ワールド・シネマ・ドラマ部門のグランプリ受賞作品。
監督:ローハン・パラシュラム・カナワデ(Rohan Parashuram KANAWADE)
ムンバイのスラム街で、運転手の父と専業主婦の母のもとに育った独学の映画監督。インテリアデザイナーとして働きながら映画作りを学び、『U Ushacha(U for Usha)』(2019)、『Khidkee(Window)』(2017)、『Sundar(Beautiful)』(2016)などの短編を製作、世界各地の映画祭で上映された。初長編の本作は、ベネチア・ビエンナーレ・カレッジ・シネマなどで開発された。
監督ステートメント
『サボテンの実』は、2016年に先祖の村で私が経験した服喪の期間を、極めて個人的な視点で再解釈した作品です。私はムンバイのスラムで運転手の父と専業主婦の母のもとに育ち、両親は私の性的指向を理解していましたが、村の親族には知らせていませんでした。服喪中、親戚たちは慣習に従い「1年以内に結婚しろ」と私に迫り続けました。その執拗な圧力が悲しみに影を落とし、私は当時は果たせなかった逃避への憧れをいっそう募らせることになりました。
この映画では、主人公が疎遠だった幼なじみと再会し束の間の休息を体験する姿を通して、癒しや自由の可能性を探ろうとしています。再会のひとときは優しい絆を育み、悲劇で始まった物語は希望や肯定へと向かいます。
真実味を出すために、撮影した地域出身の俳優を起用しました。文化的な偏見からクィアな役柄への抵抗感が強く、俳優探しは困難を極めました。3年がかりで探した末に選んだのが、舞台で経験を積んだブーシャン・マノージとスーラージ・スマンです。6年来の友人でもある2人の関係性は、登場人物の絆や親密さに深みを与えてくれました。生活感があり親近感を抱かせる彼らの風貌も、クィアの人々を理想化された存在ではないふつうの人間として描き、物語を人間味あふれるものにするうえでとても重要でした。
私の個人的経験に根ざしたこの映画は、インドの貧困層に属するクィアの現実を映し出し、「クィアな経験は上層階級特有のもの」という偏見を問い直そうとしています。都市と農村の双方の話を織り交ぜることで、クィアネスは特殊なものではないと訴え、社会のあらゆる階層に生きるクィアの存在を祝福することを目指しました。
劇中の両親のキャラクターは、私の両親がモデルです。ふたりは愛と知恵によって、私のセクシュアリティを何の軋轢もなく受け入れてくれました。葛藤を誇張するのではなく、こうした受容の側面に力点をおくことで、この作品はクィアの語りを再定義し、希望もたらす新たな視点を提示しています。
農村の停滞した時間や静寂を描くため、固定ショットを用いました。ロマンスを基調にした物語ですが、劇伴は使っていません。都市と農村の空気感を音のレイヤーで表現し、繊細な情感を際立たせようとしました。
ロケ地は母が生まれ育ったKharshindeという村です。村には天然の水源がなく、何十年も前に人造湖が掘られました。映画の水辺のシーンがその場所です。掘削の際、まだ10代だった母も働いていたそうです。あの風景に母の人生が重なっていると知ったことも、私にとって非常に深い意味を持つ経験でした。