日程:12月2日(月)
会場:アテネ・フランセ文化センター(東京・御茶ノ水)
Various Directors / DCP / 英語・フランス語字幕版 / 日本語字幕なし
昨年末にイスラエルによる空爆で亡くなったリファート・アラリール氏(ガザ市出身の作家で教育者)が残した詩「もし私が死ななければならないのなら〈If I must die〉」のもとに、パレスティナへの連帯を示すために各国の映画監督や映像作家が1~6分の短編映画や短編映像を作り(あるいは提供し)、それらを繋いだものを各地の映画祭やアートセンターで上映していくという現在進行中のプロジェクト。日本からは杉田協士と山角洋平が参加。
全6プログラム
プログラム1(49分)
プログラム2(48分)
プログラム3(56分)
プログラム4(54分)
プログラム5(34分)
プログラム6(43分)
東京フィルメックス関連企画②
日程:12月3日(火)
会場:アテネ・フランセ文化センター(東京・御茶ノ水)
「オーバーハウゼン宣言」(1962)の参加者としてニュー・ジャーマン・シネマの誕生に関与したドイツの映画作家ペーター・シャモニ Peter Schamoni(1934―2011)は、『狐の禁猟期』(1966)『哀愁のトロイメライ』(1981)『春のシンフォニー』(1983)などの劇映画と並行してアートドキュメンタリーの分野でも貴重な作品を残した。1991年の作品『マックス・エルンスト放浪と衝動』が今秋日本でも公開されている。今回はシャモニ監督がコロンビアの世界的アーティスト、フェルナンド・ボテロFernando Boteroを追ったアートドキュメンタリー『ボテロ、メデジンに生まれてBotero Born in Medellin』(2007)を日本初上映。上映後、同作品の撮影を担当したエルンスト・ヒルシュ、コンラート・ヒルシュ親子を招いてトークを実施する。
企画立案:アンドレアス・ベッカー Andreas Becker(慶應義塾大学准教授)
主催:アテネ・フランセ文化センター 映画美学校
助成:DAAD(ドイツ学術交流会)
協力:慶應義塾大学文学部ドイツ文学科 渋谷哲也(ドイツ映画研究者、日本大学文理学部教授)
『ボテロ、メデジンに生まれて』Botero Born in Medellin
2007年 / 90分 / デジタル / 日本語字幕
監督:ペーター・シャモニ
トークゲスト:エルンスト・ヒルシュ(キャメラマン)、コンラート・ヒルシュ(キャメラマン/ペーター・シャモニ・アーカイヴ代表)
1932年、南米コロンビア生まれの芸術家フェルナンド・ボテロの生誕75周年を記念して製作されたドキュメンタリー。美術館の展示を回り、イタリア・トスカナ地方の工房やパリのアトリエでの創作の様子を垣間見せ、ボテロの生まれ育ったコロンビアのメデジンも訪れる。カラフルで豊満な身体描写の人物像で世界中の人々に愛されたボテロの芸術だが、後にイラク戦争後のアブグレイブ刑務所でのアメリカ軍の捕虜虐待事件をモチーフにした連作も発表するなど、彼の多面的な創造性と人間像に光を当てる。監督ペーター・シャモニはニュー・ジャーマン・シネマ第一世代の一人であり、これまで芸術家ドキュメンタリーを数々手掛けた(『マックス・エルンスト放浪と衝動』、『ニキ・ド・サンファル』等)。本作はその6本目にあたる。本企画は慶應義塾大学アンドレアス・ベッカー主催によるドイツ現代映画監督シリーズIm Apparatの一環であり、トークゲストに本作の撮影を担当したヒルシュ親子を迎える。息子コンラートはペーター・シャモニ・アーカイヴの代表者でもある。
東京フィルメックス関連企画③
日程:12月4日(木)
会場:アテネ・フランセ文化センター(御茶ノ水)
イスラエル第二世代の映画作家アモス・ギタイ監督が、エルサレムにある一軒の家の運命をパレスティナ・イスラエル問題のメタファーとして記録し続けた「家」三部作を一挙上映。
『家』The House
1980年 / 51分 / 日本語字幕
監督:アモス・ギタイ
パレスティナ人の家族が、デイル・ヤシンの虐殺(1948年4月)など戦火を恐れて避難した西エルサレム。ドルドルヴェドルシャフ通りにあった一軒の「家」は、1948年5月に独立したばかりのイスラエル政府に接収され、急増したユダヤ人移民たちに住居として割り当てられた。その30年後、今はユダヤ人の経済学の教授が所有し、増改築を進めている。石材が切り出される西岸ヘブロン近郊の石切場、占領地からの出稼ぎ労働者の石工、現在の所有者の教授、イスラエル独立以降の通りの歴史を見て来た近隣の人々、そして「家」の元所有者だったパレスティナ人医師ダジャーニ博士。ユダヤ人国家としてのイスラエルの根源にある解消不能な矛盾を静かに提起するギタイの第一作は、イスラエル当局によって上映・放映禁止処分を受け、ギタイは故国イスラエルを離れることとなる。
『エルサレムの家』A House in Jerusalem
1998年 / 89分 / 日本語字幕
監督:アモス・ギタイ
『家』の制作から約20年。ギタイは「家」の元所有者だったダジャーニ博士の息子(制作当時東エルサレムで開業)とその娘に話を聞く。一方でかつてイスラエル政府に接収されたドルドルヴェドルシャフ通りの「家」の現在の住人達は、それぞれに流浪の民だった記憶を抱えながら、どこかイスラエル国民であることに馴染めないのか、ヘブライ語ではなく英語やフランス語でインタビューに応じる。考古学の発掘現場では聖書の記述と矛盾する遺跡の調査中、その作業員は出稼ぎのパレスティナ人達だ。武器としてのキャメラが数千年に渡り諸民族の十字路だった歴史都市エルサレムの並列する地層を定点観察する中に、1993年のオスロ合意以降の和平交渉の限界があらわになり、今日から見るとパレスティナの地の不穏な将来を予見した作品とも言える。
『ニュース・フロム・ホーム、ニュース・フロム・ハウス』News from Home,News from House
2006年 / 97分 / 日本語字幕
監督:アモス・ギタイ
和平交渉が完全に行き詰まり、イスラエル政府がガザと西岸の占領地を隔離する分離壁を建て始めた頃、ドルドルヴェドルシャフ通りでは「家」の新築や増改築が進む。流麗なステディカム撮影のキャメラは物理的・精神的な分断に抗うように壁を超え、西岸ではかつて『家』では名を名乗らなかった石工のユーセフに再会、さらには国境を超えて「家」のかつての住人ダジャーニ家の足跡を訪ねてヨルダンの首都アンマンに向かう。ギタイを歓待する老女は、難民としての亡命先の中東各国で女性の権利の獲得に邁進した人物だった。一方、その彼女が育ったドルドルヴェドルシャフ通り「家」の10年前の住人達は今もそこに暮らし、未来に漠然と不安を感じつつ、イスラエル社会に居場所を見出しつつある。一軒の家の歴史に凝縮された歴史に未だ微かに残る共存の可能性を見出したかに見えた映画はしかし、西岸占領地で和解を不可能にしているのはなんなのかの、決定的な現実を突きつける。