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11月21日(金)14:45 -朝日

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11月26日(水)15:55 -HTC

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フランス、イスラエル、キプロス、ドイツ / 2025 / 150分 /
監督:ナダヴ・ラピド(Nadav LAPID)

2023年10月7日のハマスによるイスラエル襲撃後、売れない音楽家のYは生活のために、ガザ殲滅を叫ぶ、あからさまに好戦的な歌詞の新しい愛国歌の作曲というオファーを引き受ける。彼は芸術家として、そして市民として良心の呵責に苛まれることになるが、彼のダンサーの妻ジャスミンもまた、そんな彼の姿に疑問と距離を感じ始める...

猛烈な政治的風刺と深い悲しみが同居する本作は、10月7日以降のイスラエル社会の集団的心性を痛烈に描いた、怒りに満ちた挑発的なドラマだ。従来的な物語の枠組みからは逸脱し、感情の激しい乱気流をそのまま映像に焼き付けたような形式がとられている。物語はダンサーの妻と共にテルアビブのパーティ文化の狂乱の中で生きる売れない音楽家Yが、ガザへの報復を煽る愛国歌制作の仕事をオファーされることから動き出す。Yは自身の国家と芸術的良心との間で引き裂かれ、そこから痛ましい自己糾弾が始まる。過去作『シノニムズ』や『アヘドの膝』でも追及されてきた国家の同一性への問いは、今作ではかつてないほどの凶暴さで突きつけられており、現在の世界が直面する倫理的葛藤を、魂を削るような個人の証言として映し出している。本作はカンヌ映画祭の監督週間でワールドプレミア上映された。

©BertrandNoel

監督:ナダヴ・ラピド(Nadav LAPID)

1975年テルアビブ生まれ、現在はパリ在住。初長編『Policeman』(2011)でロカルノ映画祭審査員賞、第3作『シノニムズ』(2019)でベルリン映画祭金熊賞を獲得。続く『アヘドの膝』(2021)はカンヌ映画祭で審査員賞を受賞し、第22回東京フィルメックスで上映。2023年12月、ガザ爆撃の即時停止などを求める世界の映画人の公開書簡にアキ・カウリスマキ、ペドロ・コスタ、ビクトル・エリセ、黒沢清、濱口竜介らとともに署名した。

監督ステートメント

《題名について》 この映画が扱っているのは、イスラエルという一国の状況を遥かに越えた話です。「No」の視点から主題を語るアプローチはもはや時代遅れ。世界を支配する権力について語る最善の方法は、その権力に押しつぶされることかもしれません。蟻が象に向かって叫んでも限界があります。服従こそが、もはや唯一の真実なのです。劇中で主人公のY.は息子に言います。「できるだけ早く諦めろ。服従こそが幸福だ」と。私のこれまでの映画の登場人物は、怒りや抗議、反逆の領域を広く探求してきましたが、今回はその逆です。過去作には、子どもの詩や男の叫びによって、私たちが住む世界と「住むべき世界」の隔たりが少しでも埋められるのではないかという幻想がありました。失望すると分かっていても、そう信じたかったのです。私はずっと、壁や閉ざされた扉に頭をぶつける登場人物に親近感を覚えていました。今もなお扉という存在には惹かれますが、そこに頭をぶつけるのはもう終わり。もはや古い行為です。いま描くべきは、閉まりかけた扉のわずかな隙間を身をよじって通り抜けようとする人物です。それこそが、現代の世界、この時代のアーティストの真実をより明確に示していると思います。Y.は、あらゆることを受け入れ、無条件に身を捧げる。私にとって初めての「受動的な主人公」です。その受動性は、映画的に驚くほど刺激に満ちています。彼は絶えず勢いよく動き続け、踊り続ける。しかし、その意志と欲望は去勢されてしまっているのです。

《ガザ情勢の映画への影響について》 (ハマスの襲撃事件が起きた)2023年10月7日はパリにおり、多くの人々と同様に、イスラエルで起きていることに衝撃を受けました。私は映画作家なので、事態に打ちのめされる一方で、数時間後には「いま映画を作ること――特にアーティストが置かれた状況を巡る準備中の企画を撮ることに、どんな意味があるのだろう」と自問するようになりました。慎重にパソコンを再起動して脚本を見直すまで、十日以上かかりました。(前年春に書いた)脚本の最初のセリフは、今も映画に残っています。参謀総長がY.を歌のバトルにけしかけるセリフです。二番目のセリフはY.の妻が「参謀総長を勝たせてあげて」と彼に言う場面。私にとってこの二つは、10月7日の攻撃と結びついています。イスラエル軍が被った完全な敗北がその後の報復の主な理由になっていますが、10月7日の事件の前から、イスラエルという国の状況はほとんど変わっていない。なので、脚本は完全に書き換えるのではなく、修正に留めました。私は、生と死が日常の一部である国の出身です。そこがイスラエル人監督とフランス人監督の大きな違いかもしれません。イスラエル人監督は、国家からも、自国の政治からも逃れられない。どれだけ逃げ隠れしても、国がきっと見つけ出しに来るのです。

Y.のガザに対する戦争行為が愛国歌の作曲に帰着するアイデアは気に入っています。爆撃機や砲撃がガザを襲うなか、Y.は音符を連射するのです。10月7日の2週間後、私は何が起こっているのか理解したくてイスラエルに戻りました。友人、知人、ロック歌手、映画監督……多くの人に会って話を聞きました。音楽や映像などそれぞれのやり方で、誰もが戦争のために働き、それが大義になっていました。アーティストも戦争に加担した。イスラエルのアートが選んだのは、戦争の側に立つという道でした。

《戦時下での撮影について》 映画の題材や、そして一部は私自身への反感を理由に、多くの技術スタッフに映画への参加を拒否されました。人生で初めての経験です。毎日のように、違うクルーが現場を去って行きました。この映画に関わりたくない理由を率直に説明してくれた人たちとも、かなり激しいやり取りがありました。イスラエルのメイクアップアーティスト全員が極めて強い愛国心の持ち主だと判明し、セルビア人のメイク主任を雇わなくてはなりせんでした。私自身は何も変わっていないのに、この国の現実の方が変わってしまったと痛感しました。俳優たちも同様です。当初は出演に意欲的だったのに、エージェントから「やはり辞退したい」と奇妙な言い訳を添えた電話が次々かかってきました。ショックでした。チーム全体がほとんど疑心暗鬼の状況に陥りました。キプロスでの撮影中にレバノンとの戦争が勃発し、日程短縮も余儀なくされました。戦争の真っただ中での撮影は、製作チームに多くの困難をもたらし、製作費も膨らみました。ガザを望む場所で黒煙の立ち上るなか撮影した時は、録音の音声が現実の爆発音だらけ。ガザを見下ろす丘でキスシーンを撮りながら、撮影終了までに何人が命を落とすのだろうと思わずにいられない、そういう現場でした。クルーの一員の父親は、ハマスに殺害された人質でした。別のスタッフは、息子が兵士でガザを爆撃していると話していました。「愛の丘」として知られる場所でロケした日は、爆発が相次ぎました。そこは立ち入り禁止の軍事区域だったのでごく少人数のクルーでゲリラ撮影していたのですが、途中で軍が介入し、撮影中止を求められました。こちらに関心を示す若い将校と出くわしたのは幸運でした。彼はクルーと映画談義を交わした末、6時間だけ撮影許可をくれました。
(2025年5月のインタビューから抜粋)

上映スケジュール

11月21日(金)14:45 -

有楽町朝日ホール

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11月26日(水)15:55 -

ヒューマントラストシネマ有楽町

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