第5回東京フィルメックス デイリーニュース



11月20日(土)〜11/28(日)、開催の模様をデイリーでレポート!
※即日更新予定ですが、遅れる場合もありますので御了承ください。


DATES NAVI


トークショー「世界で一番奇妙な映画〜ガイ・マディンの魅力に迫る」
TOP LINE INDEX



 今年の東京フィルメックスで特集が組まれたガイ・マディン監督は、知る人ぞ知るカナダの異才。日本で劇場公開された作品は、12年前の「ギムリ・ホスピタル」「アークエンジェル」のみだが、サイレント映画の手法を使ってシュールな世界を見せつける独特の作風は海外でも高く評価されている。まさに“奇妙な映画”と呼ぶべき作品を次々と送り出すマディン。このトークイベントは、そんな一筋縄ではいかない異才のスタイルを知るうえで、とても興味深いものとなった。















市山「ガイ・マディンさんは「ギムリ・ホスピタル」「アークエンジェル」の後も引き続き、個性的な映画を撮っていらっしゃいますし、一貫してインデペンデントで活動してらっしゃいます。名前が知れてくると商業映画に進出する監督もいますが、作り方は一貫してインデペンデント・スタイルで、刺激的な作品を次から次へと送り出しています。ここで最新作の長編3本と短編2本を上映できることを、とても嬉しく思います。それではガイ・マディンさん、ひと言お願いします」

ガイ・マディン「ありがとうございます。この映画祭の精神は素晴らしいと思いますし、東京という街も大好きです。この場でぜひ、映画を観ていただいた後の感想なり批評なりをお寄せいただいて、私は自分の身を守るためにこの場に座っています(笑)」

市山「ではまず会場で、質問のある方はどうぞ」

「マディンさんの映画が日本で上映されるのは12年ぶりとなるのですが、この間にCGの発達によって映像表現の可能性が飛躍的に広がりました。一方で、マディンさんは当時と変わらないレトロなスタイルの映画を撮っているわけですが、ご自身の創作活動がテクノロジーの進歩という点で、どう関わっているのかお聞かせください」

マディン「新しいテクノロジーには批判的ではありません、むしろ好む方です。ただ技術的な方法によって語られる物語というのは、古いものもあるし新しいものもある。私はそれらすべての映像言語を利用したい。映画は百十年しか歴史がないわけですから、そのなかにある選択肢を幅広く利用していきたいと思います。それから、多くの映像作家は製作年に流行っている映像言語しか使わず、それ以前のものを無視する傾向にありますが、私は忘れ去られ、捨て去られたようなものを拾って、私のパレットに備えておきたい。私は1929年に作られたカメラを使っていて、もうボロボロなので光の漏れもありますが、一方ではデジタルペインティングのようなものも使用しています。それらを組み合わせて、ひとつの作品を作り上げる、という試みを続けています」

「現在はどんな作品を?また次回作はどのような作品が出てくるのでしょう?」

マディン「イザベラ・ロッセリーニと短編を作っているところです。イザベラの父で映画監督のロベルト・ロッセリーニは1906年生まれですが、その生誕百年を記念したものです。イザベラが脚本を書いていて、彼女が父親に宛てた、偉大なネオレアリズモの巨匠に対するラブレターのようなものですね。他にもロッセリーニのレトロスペクティブが世界中で実施されるので、その時に上映できるよう仕上げる予定です。それから来年1月末から低予算の長編に取り掛かります。これは灯台で暮らす孤児たちの物語です」

市山「デビュー作を取る際にはいろんな選択肢があると思いますが、サイレント映画の形式を模倣していますね。こういう映画がガイ・マディンさんの作品には多いですが、なぜこういうものを撮ろうと思ったのですか?」

マディン「ひとつの理由は、サイレント映画は非常に人工的な世界だからです。サイレントでモノクロで、アンリアルな世界を提供しているうえに、“これはアートだ”と不遜に構えているような雰囲気があります。しかもアートとはいえ、質の良くないアートであったりする。裏を返せば、サイレント映画はリアルであったり誠実であったりする必要がないのです。そのこと自体が、通常の映画とは違う期待を観客に抱かせるものです。心を開いたかたちで自分の映画を観てくれる、そんな気がしますね。役者に、たくさんセリフを言わせる際にも不自然な人工性が生きてくる。人工的であればあるほど、本質に近い感情に迫れると、私は考えています。カナダであろうと日本であろうとウクライナであろうと、同じような感情を持つ同じ人間に、同じように伝わる手法だと思います。これは作家や画家、詩人などのアーティストが真剣に芸術に取り組む姿勢と変わりません。これらの芸術家はリアリティを自分たちの表現に取り入れるのではなく、間接的に表現しようとしています。それに、こういう手法は何より私にとって心地よいやり方ですね。」

市山「普通の…というと何が普通か?ということになりますが…いわゆる一般的な劇映画を撮ろうと思ったことはありますか?」

マディン「(苦笑)…ありますよ。ただ、その途端に頭が痛くなって、どうしたらいいのかわからなくなる。実は今、1976年に作られた、ある有名な映画のリメイクをやらないか、という話がLAのプロデューサーからきています。これはあまりにも奇妙な提案なので、いっそ試してみようか…という気持ちになっています。それが出来上がれば、通常の映画になるはずですが、私のことだからたぶんダメにしてしまうでしょう(笑)」

市山「それが何かは秘密ですか?」

マディン「言ったら殺されます(笑)。言いたいけれど言えないので、ちょっとヒントをあげましょう。1976年製作の映画で、主人公の名前はグレッグとパイパーです。ちょっと喋りすぎました(笑)」

市山「これまでハリウッドから、そういうアプローチはあったはずですよね。ホラー映画を撮ってくれ、とか。あっても断り続けていたとか?」

マディン「「世界で一番悲しい音楽」を撮った後に、たくさんオファーがきて、それに全部“ノー”と言ってやろうと考えていましたが、“ノー”とたくさん言うほどではありませんでした(笑)。いくつかはプロデューサーも自信があったようですが、私には向かないと思いました。もしかしたら、“ノー”と言われると思っている方が多いのかもしれませんね。奇妙なオファーならお受けする準備がありますよ(笑)」

市山「他に会場から質問はありますか?」

「F.W.ムルナウの作品などの影響があったのかな、とお見受けしますが、好きな監督はやはりサイレント映画の方が多いのでしょうか?」

マディン「確かにムルナウは大好きです。それにエーリッヒ・フォン・シュトロハイムからも影響を受けました。マレーネ・ディートリッヒを起用していたころのトーキー時代のジョセフ・フォン・スタンバーグも好きですね。たくさんの方からカール・ドライヤーの影響を受けているのではという指摘を受けましたが、これは後に観て好きになりました。私の家系はスカンディナビアの出で、私の血の温度の低さがドライヤーと共通しているのかもしれません。これだけ名前を並べると、私のことを“映画好きの監督”と思われるかもしれませんが、私の映画を観るために映画学校で勉強しないといけない、ということはありません。“終わったらテストがある”なんてことはありませんから、教養とは関係のないところで観ていただければと思います」

市山「ちなみに日本映画はどうですか?」

マディン「子どものころは「ゴジラ」ですね。もちろん昔の。じつはモスラが大好きで、今日街を歩いていたら偶然モスラのフィギュアを見つけて、思わず大金を使うところでした(笑)。大人になってからは市川崑ですね。他では、何年かまえに娘と一緒に「鉄男」を観ましたが、親子で「鉄男」を観るのは不愉快ですね(笑)。あとは「リング」、もちろん北野武の映画も観ています。自分でももっと日本映画を観るべきだなと思いますが、実は我が家の近所のビデオ店の規模が小さいので、なかなか接する機会がない。小さなウィニペグという街に住んでいるので、ご容赦ください。映画祭で接するのが数少ないチャンスですが、それも自分の作品のプロモーションに時間をとられてしまう場合が多い、というのが現状です。そうそう、衣笠貞之助の「狂った一頁」は好きですね」

市山「「狂った一頁」はドイツ表現主義の影響が指摘されていますが、マディンさんの作品にも共通するものがありますね」

マディン「表現主義は一言で定義すると、主人公の内的な風景が外的に表現されるものと聞いています。これは私には嬉しいことでした。これで美術をディレクションする理由が見つかった、これをやっていくと表現主義にいたるんだな、と考えたのです。私は心が暗いので、映画の中に影をたくさん使うようにしましたが、これが表現主義という作風につながっていると思います。他に表現主義のよいところは、お金が節約できること。照明を節約すれば製作費が安く上がります。また、私の語りたい物語は多くの場合ダークなものとなりますので、そういう意味でも効果的でしょう」

マディン「先ほどサイレント映画がどうして好きか、という質問がありましたが、それに少し補足します。映画は夢のようと言われていた時代がありますが、技術が洗練され、映画の内容が現実に近づき、映画自体が文学性を重視するようになって以来、あまり言われなくなってきています。1920〜30年代は劇場に行くことは、夢の中に入っていくようなことでもありました。現代ではむしろ“ワクワクする映画、感動する映画を観たい”といわれるようになっています。しかし、優れたサイレント映画には、まるで魔法かけられたように夢の中に入っていくような、そういう効果を持っていると思います。自分は、その魔法をかける側に身を置き、最良の方法として古い映画の技法を使うということを試みてきました。デビッド・リンチの「イレイザーヘッド」も、サイレントであり、モノクロです。現実から遠いところにある世界を提示するという点は、私と共通している部分がありますね」

(取材・文:相馬学)




BACK




フィルメックス事務局から、最新のトピックスをお届けします。「フィルメックス瓦版」