第5回東京フィルメックス デイリーニュース



11月20日(土)〜11/28(日)、開催の模様をデイリーでレポート!
※即日更新予定ですが、遅れる場合もありますので御了承ください。


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「特集上映〜ガイ・マディン」ガイ・マディン監督 単独インタビュー
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今回の東京フィルメックスで、“世界で一番奇妙な映画”というタイトルでトークイベントが設けられたカナダの異才ガイ・マディンだが、彼の作る映画は、まさにイベント名どおりの不可思議さ。狂気と幻想、夢と現実が交錯するドラマをサイレント映画の形式にはめこみ、誰にも真似のできない世界を作り出すのがマディン作品である。東京フィルメックスでは特集企画として、「世界で一番悲しい音楽」「臆病者はひざまずく」「ドラキュラ/乙女の日記より」という最近の長編3本と、「シー・ボーイ・スラップ・パーティー」「ソンブラ・ドロロサ」という短編2編(「臆病者はひざまずく」に併映)を上映し、なかば伝説と化していたこの異才の才気を余すことなく紹介した。長年、日本公開作が途絶えていただけに、今回の上映で、その世界に圧倒された方も多いのではないだろうか。













「私の映画には実は、すべてに自伝的な要素があります。「ドラキュラ/乙女の日記より」は、若いころに好きな女性を他人にとられ、嫉妬深い私は吸血鬼ハンターのように、“彼女を奪った男を殺してやる!”という気持ちを映し出しています。威張れたことではありませんね(笑)。「臆病者はひざまずく」にしても、恋愛関係において相手に復讐心を抱いてしまった経験を反映しています。人生の恥ずかしい時期についての映画を撮ることは、自分にとって有益なことです。それによって自分を理解し、力を取りもどし、自分が他人と変わらない人間であるということを自覚できる。実際、映画を作り終えて一週間ぐらいは自分が以前より良い人間になったと思えます。すぐにロクでもない自分に戻りますが(笑)」

 「ドラキュラ/乙女の日記より」はブラム・ストーカーの古典を脚色したバレエの舞台を、ダンサーを起用して映像化したもの。ドラキュラをはじめとする吸血鬼や、この存在に魅入られた側のキャラクターをダンスで表現する一方で、吸血退治に狂奔するヴァン・ヘルシングら人間の側を、マディン監督ならではのダークなビジュアルで物語として描いている。必然的に従来のドラキュラ映画とは異なり、ドラキュラよりヴァン・ヘルシングの方が怖いキャラクターに思えてくる。

「ブラム・ストーカーの原作に対する私の解釈は、ドラキュラがいてもいなくても、違いはないのでは?というものです(笑)。男たちは女性の性欲に嫉妬する。つまり、嫉妬はヴァン・ヘルシングに代表される男たちの世界の側にあります。彼らは、夢遊病の女性を性的なファンタジーであると考え、恐れています。一方、女性の側には、異世界からの男性への欲望がある。その関係性こそが原作の根幹ではないかと思うのです。この映画からドラキュラを取り除いたとしても、その他のキャラクターはやはり同じことをするでしょう。「乙女の日記より(原題:ページズ・フロム・ア・バージンズ・ダイアリー)」というサブタイトルをつけていますが、映画に登場するバージン(処女・童貞)のなかでもっとも堅物でもっとも最悪なのはヴァン・ヘルシングなのかもしれません(笑)」

 覗き穴から見る美術館のインスタレーションとして製作され、その短編10編をひとつにまとめあげた「臆病者はひざまずく」。先述のように、ここでもマディンのダークな内面を投影した物語が展開している。ユニークなのは、主人公の青年に、他人の手が自分の手として移植されるという設定。古典ホラーの好きなマディン監督ならではの発想である。

「「オルロックの手」という過去に6度映画化されている小説がありますが、そこから得ました。映画化には「狂恋/魔人ゴーゴル博士」という有名な1930年代の作品もあります。それぞれ良い映画ですが、自分に重なる部分がなかったので、自分のバージョンを作ってみようと考えました。自分の手では何もできず、それが他人の手になり、操られていくという物語は、相手の意のままになっていた過去の恋愛経験からきています。もちろん、人間は皆、自分の手を持っており、やろうと思えば自分の手で物事をコントロールすることができるはずですが、それには勇気が必要ですね。その勇気を得るための映画となりました」

 近作「世界で一番悲しい音楽」は、タイトルどおりの音楽を競うコンクールに集まった人々の攻防を、ブラックユーモアとともに描いている。コンクールの出場のために世界中の人々が集まってくるが、主人公のアメリカ人は、言葉巧みに異国の人々をバックバンドに誘い入れ、決勝へと勝ち進む。これは世界情勢の今を反映しているようにもみえる。

「登場人物の国籍をはっきりさせると、どうしても寓意的な意味を持ってしまいます。実際アメリカという国は、世界中に愛されている一方で世界中に嫌われている。また、アメリカは世界最大の大国で、裕福でもありますが、アメリカ人は同時にそんな自分たちを嫌悪している部分もあります。そういうことを含めて、アメリカ人を主人公にしたら面白いだろう、と考えたのです。単純に自分に正直に映画を作ろうとすると、当然登場人物の心理や動機を考えることになりますが、そこには自分の思想も入ってきます。人間の行動と国の行動というのは、そんなに違いはないと、私は考えています。その結果、自動的にニュース性は映画のなかに入り込んできますね。個人的な醜さを追及すると、結果として国家の醜さが立ち現れてくる、というわけです」

醜さのなかにもハッとさせられるような美しいシーンが挿入されるのは、マディン作品の特徴でもある。

「とりわけ「世界で一番悲しい音楽」の場合は、意図的に美しさを出そうとしています。美を感じるのは人間の心の働きの一部です。そして美は人を元気づけることもあれば、落ち込ませることもできる。そういう部分と、醜さのバランスはつねに考えていました」

 ここで一点、マディン監督の発言の訂正を。昨日のトークイベントで、1976年の有名な映画のリメイクの企画がマディン監督のもとに持ち込まれ、そのタイトルを公表できる段階ではないので、オリジナル作品の“主人公の名前はグレッグとパイパー”というヒントをいただいたが、これは監督の記憶違い。正しくは出演俳優の名で、“グレッグとリー”とのこと。さらに、“ある種のホラー映画”という新たなヒントも提供してくれた。興味のある方は調べてみてはどうだろう。

(取材・文/相馬学)




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