『私が女になった日』
マルジエ・メシキニ インタビュー

Q. マルジエさんが映画製作に関わるようになったきっかけをお話しください。

A.  ある時、サミラが学校を辞めて映画を勉強したいと言い始めたのをきっかけに、夫のモフセンが私設の映画学校を創設することになりました。私もまた、この学校で映画の勉強を始め、4年間のうちにサミラの『りんご』、『ブラックボード−背負う人−』、モフセンの『サイレンス』、『ドア』の助監督をつとめました。この『私が女になった日』は、私にとってはこの映画学校の卒業製作のような作品です(注.マルジエはモフセン・マフマルバフ監督の2番目の妻で、亡くなった先妻の妹である。 従って、先妻の長女であるサミラは姪にあたる)。

Q. この映画のアイデアはどこから生まれたのでしょうか?

A. この映画のロケ地となったキシュ島をモフセンと散歩していた時、モフセンが第1話のストーリーを話してくれました。私はそれが自分に合っていると思い、最初の監督作品の題材にしたいと思いました。これは、自分自身だけでなく、アジアの、あるいは世界中の女性に共通 する話なのではないか、と思ったのです。女性には誰でも、ある日突然、自分が女性であり、男性とは違うと自覚する時がやってきます。なぜ女性というだけで不公平になるのか、と考えたところから、第2話と第3話のアイデアが生まれました。第1話では、宗教と言うよりは、長い年月のうちに根づいた習慣が女性の自由を奪うということが描かれます。第2話では、男性の役割がこれに加わります。夫は民族や神すら口実にして、妻の自由を奪おうとするのです。

Q. 第3話のエンディングは様々な意味にとれるように思えますが、これはハッピーエンドととらえていいのでしょうか?

A. このエンディングは、見ている人が属する社会によって(つまり、女性が解放されているかどうかによって)、ハッピーエンドにも、その逆にも見えると思います。私自身は、これはハッピーエンドだと思っています。


監督プロフィール:1969年、テヘラン生まれ。モフセン・マフマルバフ監督の『沈黙』(98)、『キシュ島の物語』 (99)の「ドア」、サミラ・マフマルバフ監督の『りんご』(97)と『ブラックボード-背負う人-』の助監督を務める。本作が長編初監督。

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