『私が女になった日』
ティーチイン

  美しい髪を半分ショールから見せた、端正な顔立ちの監督が舞台に現れると盛大な拍手。イランで女性として監督をする困難さはと、質問はまず女性観客から出た。五百人の男性監督に十人の女性監督という現状の中で、毎朝スタッフに自分が監督だと言い聞かせなければいけなかったが、そういう現状を作り出したのは、むしろ女性の自信のなさの歴史が作ったのではと。どこの映画祭でも同じ質問を女性から受けるとやんわりご意見。伝統は守っていかなければいけないかという質問に、自分はこの作 品でイスラム宗教やイラン社会を批判したかったのではなく、女性の自由を奪ってきたのは伝統という名の体制だと思っている。宗教はむしろ人間に自由を与えたと思っている。しかし、私はこの作品で全世界の女性が置かれている状況を普遍的に描写したかったのだと答え、イランで唯一の無関税地であるキシュ島の美しさと、テヘランでは女性に禁止されている自転車がここでは乗れるという状況がこの撮影を可能にしたいきさつを語った。女性、男性によらず、人生の最後に残されるのは夢だという言葉が印象に残った。

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