11月19日、有楽町朝日ホール11階スクエアにて、東京フィルメックスと国際交流基金との共催で、今回特集上映が組まれたリッティク・ゴトク監督の魅力を語るシンポジウムが開催された。監督のご子息リトバン・ゴトクさん、東海大学教授でベンガル史研究の臼田雅之さんをパネリストに迎え、インド映画のエキスパートである映画評論家の松岡環さんを司会進行役として、これまで日本では知られざる存在だったゴトク監督の作品世界や文化・社会的背景について、その姿に迫る貴重なお話を聞くことができた。
まず松岡さんから、日本では80年代に幾度かゴトク作品の上映が行われたものの、その機会は非常に少ないものであったことが説明された。
続いて、リトバンさんが日本で紹介されることへの謝辞を述べた。
「父は日本の巨匠である溝口健二、小津安二郎、黒澤明を深く尊敬していました。それは単に優れた映画作家であるということだけでなく、“Natinal cinema”――国民的或いは民族的映画という概念をいかに構築するか、といっても国家主義という意味でのナショナリズムではなく、民族なり国が持っていた長い伝統をいかに映画の中で生かしてゆくか、ということに関わっています。前述の監督たちが例えば能といった日本の伝統を組み入れながら、物語に近代的フォルムを与えていったのと同様に、父もまたインドの文化的伝統を現代のメロドラマに取り入れた作家なのです」
次にリトバンさんは60年代に書かれたゴトク自身の文章を紹介。そこでは河を行き交う舟を眺めて少年時代を過ごし、漁師たちが喜びの歌を歌う様子や、雨季の最初の雨が降り出す瞬間に強い高揚を覚えたことが生き生きと語られている。「父は写真的真実、或いは現実の記録としての映像に根ざした作家ではなかった。さまざまな記憶の断片から詩的に立ち現れてくるのが、父の映画なのです」
ここで臼田さんから、ゴトク作品の舞台となったベンガル地方の社会について説明がなされた。
「ベンガルは歴史的に、東と西の二つに分かたれてきました。東部、すなわち現在のバングラデシュはムガール帝国時代に開墾の担い手となったムスリムが多いフロンティア地域。一方西ベンガルには古くからヒンドゥー教徒が居住していました。1947年にインドがイギリスから独立した時、この二つの地域は東パキスタンとインドの西ベンガル州に分離しました。この時(ヒンドゥー教徒だった)ゴトクは西ベンガルに移りました。この出来事から彼は、故郷を喪失した根無し草の問題を映画の中で徹底的に主題化することになったのでしょう」
その自然環境もまたゴトクの映画に大きな影響を与えていると臼田さんは言う。
「この地域には三つもの大河が流れており、アマゾン川流域をイメージしていただければ近いでしょう。特にベンガル東部に生きる人々にとって河は生活を刻むものです。その流れは生命や宇宙の流れに例えられます。また河は毎年のように流路を激しく変え、人の住む村が呑み込まれることも珍しくありません。その意味では恐怖を与える存在でもあります。ゴトク作品において河がどのように描かれているかに注目すると、興味深いと思います。水の様子によってそれを見る我々の心の奥底にあるものを呼び起こすのが、彼の映画なのではないでしょうか」
分離独立の後ゴトクはカルカッタに住むことになったが、故郷への想いはどのようなものだったのか、という松岡さんの問いにリトバンさんは次のように答えた。「父は故郷への想いについて多くのことを映画で語っていました。『ティタシュという名の河』を作っているとき、父が現在バングラデシュとなっている故郷の思い出を話しているのをよく聞きました。この作品には河の氾濫で破壊される村が登場しますが、それでも文明は滅びない、そのあり方を変容させるだけであるというメッセージが込められている。村がなくなっても、人々は別の場所で何かを始めるのです」
ゴトクが映画作家になったきっかけについて、リトバンさんは次のように語った。「『人々を立ち上がらせるため』だと言っていました。父は詩人や劇作家を志したこともありましたが、詩や演劇よりも多くの人に影響を与えることができる映画を作ることにしたのです。映画は人間のエモーションと知性を刺激する、現時点での最良の手段である、と」
そのように人々を鼓舞することがゴトクにとってなぜ重要であったのか、臼田さんからその背景が補足された。
「第二次世界大戦中、ベンガルでは反英民族運動が起こりました。ゴトクはこのような動乱の時代に政治活動に身を投じ、共産党の指導下に設立された「インド人民演劇協会」に参加しました。これはインドの共産主義運動史において特筆すべき活動で、下位カーストや少数民族、地方の文化を取り上げることによって人民に到達することが可能になるとしたのです。このことがゴトクの思想に大きな影響を与えていたと思われます」
「ゴトク監督は亡くなるまで共産主義に共感していたのでしょうか」と松岡さんが訊ねると、リトバンさんは「父は終生“個人的マルクス主義者”でした(笑)」と答えた。「父は54年に文筆活動によって党から除名されましたが、映画や芸術がインドの政治状況の中でいかなる意味を持ちうるか、という関心を持ち続けていた。とはいえ、政治的信念を映画に押し付けようとしたことはありませんね」
松岡さんがゴトク作品に描かれる豊かなベンガル文化について触れると、それを理解するにはその中心都市カルカッタにおける当時の文化的状況を知ることが重要である、と臼田さんが応じた。
「カルカッタは1912年まで英領インドの首都で、インドの中で西洋文化が真っ先に入ってくる場所でした。18世紀にはイギリス人のための娯楽施設として劇場が作られ、19世紀末には初のベンガル語演劇も上演されています。この時の興行主はロシア人で、つまりカルカッタは植民地状況下ではあるものの、様々な国の人々が集まるコスモポリタンな都市だった。イギリスから持ち込まれたシェイクスピア劇と、インドの伝統的なサンスクリット古典劇が上演されることによって演劇が発展し、19世紀後半から20世紀前半のベンガルでは多くの優れた演劇人が輩出しました。これらの遺産により、カルカッタの演劇は「人民演劇協会」に繋がるのです。ゴトクの“ナショナリズム”は偏狭でない民族主義。西洋文化を消化しながらも、自らの足で立つ大地を見つけることが出来たという点で意義深いものであると思います」(臼田)
「作品には民衆芸能や吟遊詩人、ノーベル賞詩人タゴールの詩に曲をつけた歌が登場したり、土着の文化が重要な役割を果たしています。『理屈、論争と物語』でも歌がたくさん使われており、娯楽的な要素も多いですね。この作品は主人公をゴトク自身、その息子役を当時8歳の可愛らしいリトバンさんが演じています。ロードムービーで、非常に刺激的で面白い作品です」(松岡)
シンポジウム終了後も、会場に残った観客がパネリストに熱心な質問を寄せる場面が見られた。ベンガルの激動の歴史と圧倒的な自然の中に生きる人々の姿が深く胸を打つ作品を作り続けたゴトク監督。この特集上映を契機に、「インドの巨匠」として日本の観客にも広く知られることを期待したい。
ゴトク監督の『非機械的』は11/20夜にシネカノン有楽町1丁目で、『理屈、論争と物語』は11/25有楽町朝日ホールで上映される。また、今回の特集上映の4作品はフィルメックス終了後の11/26、11/27にアテネ・フランセ文化センターでも上映が行われる。
(取材・文:花房 佳代)
投稿者 FILMeX : 2007年11月19日 20:00