TOPjuryjuryspecialfocusticketschemaplinkevent



特集上映では、映画史にとって重要でありながら日本では未紹介の作品にスポットを当てます。
今回は、<知られざるロシア映画>と銘打ち、2000年のロカルノ国際映画祭で反響を呼んだ"ソビエト時代のもうひとつの映画史"から傑作2本、──製作当時、ヴェネチア映画祭に選ばれながら政府の圧力により出品を取り下げられたという『夕立ち』と、巨匠アレクセイ・ゲルマンが助監督として参加している『再生の街』を上映します。『再生の街』の骨太な叙事詩ドラマ、『夕立ち』のヌーヴェル・ヴァーグを思わせる瑞々しさに、衝撃を受ける貴重な映画体験となるでしょう。


再生の街 / Workers' Settlement



July RainJuly Rain

Workers' Settlement

ソ連/1965年/138分/モノクロ/2.35
監督:ウラジミル・ヴェンゲロフ
出演:オレグ・ボリソフ、リュドミラ・グールチェンコ
(製作:レンフィルム)



解説:空襲により視力を失い、自暴自棄になって酒に溺れてゆく前線の勇士の転落と再生を叙事詩的に描く骨太な大作。『フルスタリヨフ、車を』(98)の巨匠アレクセイ・ゲルマンが助監督として参加している。2000年のロカルノ映画祭で初めてロシア国外で上映され、世界を驚かせた。
ストーリー:戦後の焼け跡にある一家が戻ってきた。戦場で失明したレオニードは、自暴自棄になり酒に溺れる。耐えかねた妻のマリヤは、息子のレーニャを連れて家を出るが、レーニャはひとり、父親の所に戻ってくる。やがて父子は電車の中で歌を歌い、生計をたてるようになる。町は徐々に復興の道を歩み、レオニードの戦友も復員してくるが、レオニードのありさまを厳しく批判する。新しいアパートでの生活が始まり、工場での新しい仕事も軌道に乗り始めたレオニードは酒も止めて、マリヤが戻ってくるのを待ち続けるが、レーニャは家族を捨てた母のことを許すことができない。だが、レオニードが病気にかかったことを知ったマリヤは夫と息子のもとへと戻る。彼女にとっても、家族と離れて暮らした年月は重く苦しいものであった。やがて、サマースクールへ出かける息子を見送る、夫婦の姿があった。


【監督:ウラジミル・ヴェンゲロフ】Vladimir Vengerov
1920年1月11日、ロシアのヴォルガ河流域の都市サラトフに生まれる。50年代から映画監督として活躍し、『Porozhnij reijs (A Trip Without a Road) 』(62) で63年モスクワ映画祭銀賞を受賞。因みに、この年のグランプリはフェリーニの『8 1/2』であった。その他の代表作に、トルストイの小説「生ける屍」を映画化した『Zhivoj trup (The Living Corps) 』(68)などがある。



夕立ち / July Rain



July RainJuly Rain

July Rain

*従来は直訳で「七月の雨」と訳出されている
ИЮЛЬСКИЙ ДОЖДЬ
ソ連/1966年/109分/モノクロ/2.35
監督:マルレン・フツィエフ
出演:エヴゲニヤ・ウラロワ、アレクサンドル・ベリャフスキー
(製作:モスフィルム)



解説:『私は20歳』(64)が日本でも紹介されている名匠フツィエフの知られざる傑作。理想を失った60年代の青春群像をヌーヴェル・ヴァーグを思わせるタッチで繊細に綴る。製作当時ヴェネチア映画祭に選ばれたものの、ソ連政府の圧力により出品を取り下げられたという。
ストーリー:1960年代モスクワ。レーナは前途有望な若い科学者ウォロージャと出会い、付き合うようになる。友人達と一緒に過ごすうちに、中身のない会話、うわべだけの関係、ウォロージャのシニカルな実用主義にレーナは疑問を感じる。皆で出かけた南への旅行で、レーナはウォロージャに求婚されるが、彼女は拒絶し、ふたりは別れる。モスクワへ戻ったレーナは、第二次世界大戦で戦った退役軍人との交流会のため、ボリショイ劇場へ出かける。退役軍人たちに囲まれて、レーナは自分の幸せを感じる。



【監督:マルレン・フツィエフ】Marlen Khutsiev
1925年グルジアの首都トビリシ生まれ。44年よりトビリシ映画撮影所で特殊撮影美術助手として1年間働いた後、モスクワの国立映画大学に入学。50年に卒業制作『Gradostroite Ii(都市建設者)』(フェリックス・ミロネルと共同監督)で監督デビュー。ミロネルと共同監督の『Vesna na Zarechnoi Ulitse(河向こうの通りの春)』(56)を経て、58年に『Dva Fyodora(二人のフュードル)』を単独監督する。60〜62年に製作し青春群像を活写した『私は20歳』はフルシチョフの怒りに触れ、大幅修正を余儀なくされたうえ封印されるが、65年に公開されヴェネチア国際映画祭審査員特別賞など世界的に評価される。次作の『夕立ち』(67)がソ連政府の圧力によりヴェネチア映画祭出品取り下げとなる。その後、長篇劇映画では、『Byl mesyats mai(それは5月だった)』(70)『Posleslovie(あとがき)』(83)を監督。『Beskonechnost(無限)』(91)で92年ベルリン映画祭アルフレッド・バウアー賞とエキュメニック賞を受賞。現在、ロシア映画監督協会会長を務めるほか、モスクワの国立映画大学で後進の指導にあたっている。