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【第3回東京フィルメックス・コンペティション審査委員長】


アン・ソンギ 審査委員長からのメッセージ

私は時間ができると、2人の息子(多彬=ダビン14歳、弼立=ピルリプ10歳)と映画を見に行くのを楽しんでいます。どんな映画を見ようか決めた時から、息子たちはわくわくしはじめ、劇場の前に着く頃にはほとんどエキサイトしています。そして劇場内の照明が消え、本編が始まる時間になると、緊張して唾をごくりと飲みこみ、胸はドキドキしています。(いつだったか、次男の胸に手を当ててみたところ、あの小さな胸が本当にドキドキ高鳴っているのを感じました)
 映画に夢中になっている2人の息子の顔をそっとのぞいてみると、まるで遥か宇宙の彼方を旅しているような、夢見心地の表情をしています。
 『そうだ…! 映画というのはこうでなければ』
 映画が始まる前の期待感と胸のときめき……。
 映画を見ている間は、楽しさと夢を……。
 終わってからは、いつまでも心にしまっておきたい感動へ…。
 東京フィルメックスは期待と胸のときめきを乗せて、3回目の祝祭を始めようとしています。高鳴る心で幕を開け、今回、共に参加する作品を通して、私たち皆がひとつになったと感じられたとすれば、それはきっと私たちが映画を愛しているからなのでしょう。

ソウルにて
アン・ソンギ

アン・ソンギ(安聖基AHN Sung-ki)(韓国 / 俳優)



1952年、ソウルで生まれる。5歳の時にデビュー、15歳まで名子役として活躍したのち、一時映画界を離れる。映画界にカムバック後の『風吹く良き日』(80)で韓国を代表するスターへの道を歩み始める。以降70本に及ぶ映画で様々な役を演じ、韓国を代表する国民的俳優として確固たる地位を築く。
 早くから積極的に海外進出を行い、日本映画『眠る男』(96、小栗康平監督)やポーランド韓国合作映画『異邦人』(98)、韓中合作の『武士(ムサ)』(00、第2回東京フィルメックス・オープニング作品)、日本ロケも行われた『黒水仙』(01)にも出演。最新作は本年度のカンヌ国際映画祭監督賞受賞の『酔画仙』(02、イム・グォンテク監督)。
 韓国映画界では、単なる俳優活動にとどまらず、映画俳優協会副会長やソウル映像委員会(フィルム・コミッション)理事など、活気あふれる韓国映画の現在を支える重要な存在となっている。

【審査員】

アン・ホイ(香港/監督)許鞍華/Ann HUI        ※特別招待作品=『幽霊人間』(01)



1947年中国生まれ。香港大学卒業後、73年から75年にロンドン映画学校に留学。帰国してキン・フー監督に師事した後、テレビ業界でドキュメンタリーやドラマの制作に携わる。79年に映画界に移り、『Secret(瘋劫)』で監督デビュー。80年代の香港ニューウェーブの隆盛の中で、注目を集める。香港を代表する女性監督として活躍し、様々なジャンルの作品を発表している。主な監督作品に『男人四十』(01)『幽霊人間』(01)『スタントウーマン/夢の破片(かけら)』(96)『女人、四十。』(95)『極道追踪』(91)『客途秋恨』(90)『清朝皇帝』(87)『望郷』(82)など。

アミール・ナデリ(アメリカ/監督)Amir NADERI    ※特別招待作品=『マラソン』(02)



1945年、イランのペルシャ湾岸の都市アバダンに生まれる。スチール・カメラマン、映写技師、助監督などを経験した後、『Khoda Hafez Rafig (Good Bye Friend) 』(71)で映画監督デビュー。アッバス・キアロスタミとともに児童青少年知育協会をベースに活動。『ハーモニカ』(74)はイスラム革命前のイラン映画の傑作の一つとして知られている。若い頃からハリウッドで映画監督になる夢を抱いており、1976年にはニューヨーク・ロケによる『Shakhte Iran (Made in Iran) 』を監督。『駆ける少年』(86)、『水、風、砂』(89)で2作連続してナント三大陸映画祭グランプリを獲得し、イランを代表する映画作家としてその名を世界にとどろかせる。その後アメリカに移住し、1993年に念願のアメリカ映画『マンハッタン・バイ・ナンバーズ』を監督、同作品はヴェネチア映画祭で上映され、日本でも劇場公開された。1997年の『A.B.C. Manhattan 』はカンヌ映画祭「ある視点」に選ばれた。現在もニューヨークをベースに活躍している。最新作は『マラソン』(02)。

ジャン=ミシェル・フロドン(フランス/ジャーナリスト、映画批評家、映画史家) 



Jean-Michel FRODON
1953年、パリに生まれる。大学卒業後、10年間の教員生活を経て、81年から85年にかけて写真家として活動。83年からジャーナリスト/映画批評家として、週刊誌『ル・ポワン』に執筆を開始する。90年にフランスを代表する日刊紙『ル・モンド』に移籍、94年から映画欄のシニア・エディターを務める。
 98年から2001年には、高等師範学校(Ulm)にて、『スクリーン上の身体』の講義を担当。その一方で、2000年や2002年のカンヌ国際映画祭のオープニング・シンポジウムや、パリのラ・ヴィエットでの<Open Air Summer Film Festival>のプログラミング、映画とデジタル技術に向けた業界関係者の会議など、数々の催しを手掛ける。
2001年12月には、ル・モンドとパリ政策科学研究所の支援の下、インディペンデント映画に関するシンクタンク "L'Exception, groupe de reflexion sur le cinema"を設立。芸術家、哲学者、教育者、文化人といった人々が、映画の現状や映画と社会運動とのあり得るべき関わり方を語る、積極的な意見交換の場となっている。
映画批評の著書多数。著書『映画と国民国家』(野崎歓訳)岩波書店より10/20発売予定。

黒沢清(日本/監督) KUROSAWA Kiyoshi        ※特別招待作品=『アカルイミライ』(02)



Jean-Michel FRODON
1955年兵庫県神戸市生まれ。 立教大学在学中より8ミリ映画の自主製作・公開を手がける。大学卒業後、長谷川和彦、相米慎二らの助監督を経てディレクターズ・カンパニーに参加し、83年『神田川淫乱戦争』で商業映画デビュー。続けて85年『ドレミファ娘の血は騒ぐ』89年『スィートホーム』を発表。
92年にはオリジナル脚本『カリスマ』がサンダンス・インスティチュート(U.S.A.)のスカラシップを獲得し、研修の為渡米。95年より『勝手にしやがれ!!』シリーズ、『復讐』シリーズなど多数の作品を発表。97年『CURE』が東京国際映画祭に出品されたのを契機に、『ニンゲン合格』(98)のベルリン国際映画祭、『カリスマ』(99)のカンヌ国際映画祭監督週間、『大いなる幻影』(99)のヴェネチア国際映画祭と世界各国の映画祭から招待が殺到し、国際的評価を高める。それに続き、香港、エジンバラ、トロント、パリ、台北、ロッテルダム等の各映画祭でこぞって「黒沢清 特集」が組まれた。2000年には、パリを初めフランス数ケ所で『CURE』『ニンゲン合格』『カリスマ』が公開され、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品された『回路』(00)は、国際批評家連盟賞を受賞した。現在、日本で最も重要かつ著名な監督として世界中の熱い視線を浴びている。最新作は『アカルイミライ』(02)。