デイリーニュース
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2005年11月20日

「バッシング」 Q&A

司会:東京フィルメックスの公式サイトでも監督に事前にインタビューをさせていただいて、お話を伺ったことがあるんですが、詳しくは(公式サイトを)お読みいただければと思います。その時に監督から今回、この「バッシング」で今までのすごく画作りにこだわった作り方から、逆にスタッフも5-6人に絞って、スタイルを意識的に変えてドラマを描いていこうということに集中したと伺いました。どんどんそぎ落としていって、その中で集中を密にしていこうという、そういうような"演出の力"というのを私は感じ取らせていただいたのですけれども。

監督:何度か作って、本を書いて自分で監督して、というふうになっていくと限界を感じるというか、基本的には、最初に本があって、役者さんが最終的にいて、これで大体もう決まりだなというか・・・いい役者さんというか役にあった役者をキャスティングできるかで映画の80%くらいが決まってるなという。だから、後の20%はどうするかですが、今までは頑張って自分でイメージしたり絵作りしたりしてやっていたんです。自分で、役者にここはこうしてとか言ってると、言っている先からつまんなくなってるんじゃないか、だめにしてるかもという不安があって、役者さんにはなるべくこうやってとか言わないようにしました。

Q:主人公の有子さんのキャラクターがかなり激しく、すさんでいて、見ているときにはバッシングがあまりひどいので、だんだんとこんな性格になってしまったのかと思っていたのですが、途中からどうも元々こういう女性なんだということがわかってくる展開になっていました。そういう設定にすることで、彼女が海外に行くのがボランティアではなく、現実逃避に見えてしまうんですが、なぜそういう性格の女性に設定されたのか意図を教えてください。

A:こういう話というのはどう作るのかが非常に難しいです。非常にいい人にも悪い人にも描くことは可能ですが、そこらへんにいる女の子、どっちにも偏らない女の子、すごく素敵な女の子でもないし、とんでもない女の子でもない、欠点もあるけど、いいところもあるという普通の女の子にしようとしました。

Q:この作品をみて、海外の方の反応はどうでしたか?この作品はとても日本的な話だと思います。昔ですと部落差別とかいったものがあって、最終的には個人的差別になったような、とても日本的な感じがする作品ですが・・・これを海外に持っていかれてどうでしたでしょうか。

A:カンヌでプレス試写が終わって、とても沢山のインタビューがあったんですが、大体聞かれることは同じで、映画のどこからが本当のことで、どこからがフィクションなのかということでした。「映画で描かれているのは全部フィクションで、中東(イラク)で人質に遭った人が帰ってきてバッシングにあったというのは本当のことです」と言ったのですが、「どうして帰ってきた人がバッシングに遭うのか分からない、それはどうしてなんだ?」と説明を求められました。しかし、何て言っていいのか分からないんです。日本人のメンタリティの問題があるのかなとも思いますし。先日、同志社でマスコミの勉強をしている学生さんたちと一緒になる機会があった際に、そこの先生でアメリカ人が講師から聞いたのは「実際にアメリカでもそのようなことが起こっていて、ひょっとしたら日本よりもひどいかもしれない」ということでした。まぁ、そういう質問しかなかったですね。映画に関しての質問というものはあまりなかったんで、ちょっと寂しかったですけど。

司会:実際のプレスの方はそのような見方をされたかもしれないですが、公式上映を拝見したところ、上映の後ですごく暖かい拍手があり、知人の外国人などからはすごく深く内に響くような印象を受けた記憶があります。実際、カンヌの後も、この映画はほかの映画祭に招待されたりという形で広まっていってますね。

投稿者 FILMeX : 2005年11月20日 17:00


 
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