2005年11月25日
「サウンド・バリア」 Q&A
映画上映後、アミール・ナデリ監督を迎えてQ&Aが行われました。
市山ディレクター:監督から一言どうぞ。
ナデリ監督: まず申し上げたいのは、これは音についての3部作の1本目だということです。この前に私は3本映画を作っていますが、それはニューヨークに移り住んでからの新しい人生、経験についての映画でした。今見ていただいた映画は長い間構想していたもので、このストーリーも、映画も作るのが大変だろうということ、また、皆さんに見ていただくのも大変な経験だろうということは初めからわかっていました。しかし、私は何かとりつかれたような、非常に強い欲望を持っている人間なものですから、映画や人生を映画、音、編集といったものを通して経験していくということを大事にしてきました。この映画ができたのは、この物語を信じているからです。実際に皆さんがこれをどう受け止められたかは分かりませんが、私にとっては信じられるものなのです。25年間映画を作ってきましたが、その中でいろいろな映画を見てきました。いわゆる伝統的な、古典的な方法で物語を作る映画も作ってきましたし、そのような方法で映画を作ってきた多くの監督を知っていますし、優れた映画もたくさん見てきました。しかし、私は今ご覧いただいたような方法、すなわち、自分なりの方法でしか映画は作れないと思っています。私は自分の祖国のイランでは9本の映画を作りましたが、うち3本はいわゆる古典的な、伝統的な方法の映像スタイルを使いました。しかしその後、音と比較的少ないダイアログで何かを語っていくという自分なりの方法を編み出していきました。1975年に作った「Waiting」という映画以降、この新しい手法を使っていると思います。このスタイルを認めてくれるイランの観客の人たちも少数はいましたけれども、私にとってはこれしか信じられないので、この方法をとり続けています。ニューヨークに移り住んでから10年間、初めのうちは自分自身、人間としての自分自身を見つけ出すのに時間がかかりました。そして、映画の方法も次第に確立していったのです。正直言いますと、この自分の人生の選択は間違っていなかったと私は大変嬉しく思っております。皆様にも感謝申し上げたいと思います。ご質問があればぜひお願いします。
市山: 今お話にありました「Waiting」という作品ですが、実は2年前に東京フィルメックスで行われました「イスラム革命前のイラン映画」特集で、「期待」とい題名で上映をしました。これは本当にすばらしい傑作で、多分ここにいらっしゃる方はご覧になった方もいらっしゃるんじゃないかと思います。
Q:前回フィルメックスで上映された作品(「マラソン」)と本作共に、舞台はニューヨークで撮られたようなんですが、それ以外の場所で撮られる構想はおありでしょうか。
ナデリ監督: 正直に申しあげますと、私がイランを離れた理由というのは、次に構想をしている映画のためにだったんです。2年後に完成させようと思っている作品なんですが、それは「月」についての映画です。当初からこの映画の完成には20年かかると思っていました。もっと映画的な経験を積んで、ニューヨークに来て、1つの映画のスタイルを確立してから取り掛かろうと思っていました。さきほどおっしゃった「マラソン」、それから今回の作品を経て、ようやく私は心の準備ができたのです。ですので、次の作品は月を舞台にした映画にしたいと思っています。この作品を通して音という要素に対する私なりの回答が見えるのではないかと思います。私がイランを離れたことについて色々なことを言う人たちがいます。馬鹿なことを言っている人もいます。例えば、政治的な理由で離れたとか、あるいは自分の映画を嫌いな人が多かったからだとかいろいろなことを言われましたけれども、その時には月についての映画を作りたいから離れるんだとはとても言いたくありませんでした。ただ、私が経験を積んで、いずれその映画を作るための準備をしたいと思ってました。今まで12人の人が月に降り立っているんですが、私はそのうちの6人と会って色々話を聞いています。そして、実際にNASAにも行って、月に降り立つ経験がどういうものかということも自分で身をもってやってみました。
Q:主人公の少年に対し、演出をどのようにされたのかを聞かせてください。
ナデリ監督: この少年は私が住んでいるニューヨークのダウンタウンの近くに住んでいます。彼が5歳の時に彼のことを知って以来、ずっと彼で映画を作りたいと思ってきたんですね。6年間待ちました。毎年、彼がどういう成長を遂げているか、どういう顔をしているか、どういう肉体になっているかを確認しながら6年待っていたんですが、彼が11歳になる前の年に、撮ろうと思いたって、秘書に少年の父親とコンタクトを取れるようお願いしました。電話が来たときに、自分の構想について話をしました。家族に同意を得て、3ヶ月間、この少年に耳の聞こえない訓練をしたわけです。例えば、話をするときにも、彼は口を使ってしゃべるのではなく、筆談するようにしたり、私たちに話しかけるときも声を出さずに唇だけで話すようようなそんな訓練をしたんです。このように彼に耳が聞こえないという経験を学んでもらったのです。もう1つ、彼は元々太っていたんですが、その数ヶ月の間にスリムになってもらいました。彼の家族は私たちの企画、構想、映画というものを信じてくれていたんですが、少年は当初あまり嬉しく思ってなかったようですが、数週間立つうちに、段々と楽しむようになり、映画に入り込んできました。始めから私たちは伝統的な物語の語り口や演出の方法を取るつもりはありませんでした。つまり、AからZまでこのようにやるんだよということを教えて、その通り演じてもらうということですが、それは非常につまらないことですし、面白くない映画になると思い、そのようにはしませんでした。むしろ、耳の聞こえない人のムードあるいは雰囲気のようなものをそこで生み出すことが重要なことだと思っていたのです。今おっしゃったテープのシーンですけれども、撮影には2週間かかりました。そして58テークという非常に数の多いテーク数を重ねて撮りました。非常にクローズアップの多いカメラワークですし、大変困難な撮影でしたけれども、あれはポストプロダクションでいじったものではなくて、本当にその場、現場で撮られたものです。女性の声などが錯綜するテープを実際にその場で流すことをしなかったので難しかったんです。そして、カットの短い編集を施しました。この映画は全部で1752ものカットで構成されているんですけれども、10分間の非常に長いショットが1つあります。私がこの映画を作ったのはこの10分間のロングショットと最後の部分を表現したかったからなのです。少年は非常に喜んでくれています。先週イタリアのトリノ映画祭で賞を受賞しまして、彼も演技の賞を取り、いろんな人と自分の経験について話をすることができて、大変喜んでくれてていたようです。最後に東京フィルメックスにお礼を言いたいと思います。また招待いただき、嬉しく思っています。また、皆さんがこの場にいらしてくださって、最後まで観ていただいたことを嬉しく思っています。果たして楽しんでいただいたかどうかは分かりませんが、1つの経験をしていただいたのではないかという確信はあります。「カット!」
投稿者 FILMeX : 2005年11月25日 18:40