デイリーニュース
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2005年11月19日

「スリー・タイムズ(原題)」 侯孝賢監督Q&A

Q:監督の映画に対する思いや創作する姿勢について

A:創作というのは道と同じで、どこまで行ってもたどり着けない、どこまでいっても終わりのないものです。創作という道の途中でいろいろと自分を見つめ、反省したり、しっかりと見つめて行くということです。またいろんなものを観察していき、またそして人間について思索していくわけです。人間とはどういうものであるのか、それとどういう風に向き合っていくのか、というこの創作の道というものは尽きないものが沢山あって、ずっと歩いていってもたどり着けない、尽きることがないという道が創作といえます。もちろんその歩いていく過程でもしかして自分が創作というものになれきっていないか、自分の能力がどれくらいあるのか、またなぜその映画を撮っていくのか、そういうものを考えながら歩いていくのがこの創作の道だと思います。ですから、尽きることのない道であると考えています。

小説を読んだり、映画を見たりするとき、若い時と年齢を経てからそういうものを鑑賞したときの感覚というのは全く違ってくると思います。それは、台湾の政治状況が台湾の歴史というものを繰り返しいろいろと考えさせてくれる場合にも同じように当てはまると思います。例えば、政治の中でいろいろなことが歪められているし、その真実がどこにあるのかが分からなくなってくるようなことがありますが、その繰り返しが歴史となっているわけです。それは私が映画を撮る中で、もう既に自分が撮り終えたと思っていたものをまた繰り返すということと似ています。自分はまた自分の撮ってきたものをこれでいいのかどうか、絶えず自分で問いかけながら、先ほど創作の道が自分を問うもの、自分を見つめなおしていくものだといいましたが、そのようにまた繰り返し歴史と同じように、撮り続けていくわけです。

Q:この映画は3つの話で構成され、3組の男女が主人公で、時代も、設定も、背景も、ストーリーも異っているが、同じ俳優が演じているというだけでなく、どの話の主人公も似たキャラクターに見えたのは意図してそういう演出をしたのですか、それとも何か違う目的があったのですか。

この3つの物語の中で、1966年、1911年、2005年と設定されていますが、最初の計画では、66年の部分を私が撮って、あとの2つのストーリーをもう2人の若い監督と一緒に撮る、すなわち3人が1話ずつ撮るという計画でした。それを釜山のPPP(釜山国際映画祭で行われるPusan Promotion Planという企画マーケットのこと)に持って行ったんですが、誰も投資をしてくれる人がいませんでした。その後、GIO(台湾行政院新聞局:台湾で映画を管轄している政府機関)に持ち込みました。GIOの方では30万ドルを出すという話になりましたが、プロデューサーといろいろとあり、この話もまた流れてしまいました。その時、映画があたらなかった時、一種の違約金のようなもの30万ドルの10%、すなわち3万ドルを私が払わなければならないが、それでも撮るかといわれたのです。それで、こういう企画は一旦ここでやめにして、そして自分で全作品を監督することに決まったわけです。私は再度、話を練り直しました。2005年の物語というのは本来は80年代に設定されていたのですが、その時点でそれを2005年にしたわけです。この時に、3つとも愛をテーマにしたラブストーリーに絞ろうということになりました。3つの時代を背景にしているので、それぞれの時代にいた男と女、様々な時代の波の影響を受けながら、身分の違いも含め、その時代の中でどういうふうに愛というものが絡み合って、ラブストーリーとなるのかを描いてみようとこのような企画にしてみたのです。

この3つのストーリーというものを3ヶ月という撮影期間の中で、次第に主人公の2人、スー・チー(舒淇)とチャン・チェン(張震)が非常に自然に演じるようになり、3つの話の展開が、まるで3人のラブストーリーのように、うまく絡み合ってきたわけです。これがまるで先ほどそれぞれのエピソードの中の一組の男女がまるで同じ人物のように見えるとおっしゃったんですが、そういう意味なんですね。最初に撮ったのが2005年、その次に1911年、最後は1966年のパートを撮りました。スー・チー(舒淇)も最初はあまり慣れませんでしたけれども、段々と劇中の人物になりきるようになり、うまく進行して行くようになりました。

Q:これまでのホウシャオシェン(候孝賢)監督のスタイルの3つのパターンの全てを一度に見られたように感じられたのですが、監督自身にそういう意図があったのですか。また、年代的には前後していますが、こういう並びにした意図は何ですか。

私の3つのスタイルと言われましたが、内容からスタイルというものが決まってきます。まず、最初のストーリーの撮影では、まだ2人の俳優が慣れていなかったため、多くの時間とお金を費やしてしまいました。次に撮影した1911年のストーリーは、段々2人も慣れてきまして、12日くらいで撮り終えたました。この話は1911年当時の昔の言葉を使っているのですが、2人とも練習する時間がなく、その言葉を話すことができないためにサイレントにしました。というふうに、その内容からサイレントというスタイルが決まってきたわけです。3つ目は6日間で撮り終えました。これには実質的に色んな事情がありました。実際に、スー・チー(舒淇)は既に他の仕事が控えていましたし、また、撮影のリー・ピンピン(李屏賓)も日本で行定勲監督の「春の雪」に参加しなければならないといった事があり、撮影もそういうふうに進んだわけです。スタイル、形式というのは現実的な事情から生じているんです。

順番の質問については、2005年から撮り始めましたが、最初でしたので俳優が2人ともまだ慣れていませんでした。段々と慣れてきて、1966年を撮った時は6日間で撮りましたが、2人ともすっかり息が合ってきており、とてもリラックスして撮影できました。また、自分の経験を基にした青春時代の恋愛の思い出というものを撮っていたので私自身もとてもリラックスしていました。そのリラックスした状況で、2人の関係もとても甘い雰囲気が出せるようになってきた、その雰囲気をまず1つ目の物語として最初に入れました。2つ目は、昔風のものでサイレントですから、観客にとってはその辺に入れるのがいいのではないかと考えました。3つ目は非常に重い話ですので、観客が慣れてきたところを狙い、3つ目に入れました。こういう3つのいろいろなテイストで味わっていただくということで、観客の皆さんの忍耐度をよく考慮して並べた結果がこの順番です。

Q:監督の本作の原題「最好的時光」と、その3つのオムニバスのタイトルのそれぞれ最後に「夢」という言葉が付く形になっていることの関連性と監督の意図されているところについて聞かせてください。
また、カメオでクー・ユールン(柯宇綸) が出演していますが、彼が出演したきっかけ、エピソードがあれば教えてください。

彼が出たきっかけは簡単で、チャン・チェン(張震)の親友で、しょっちゅうビリヤードをやっているからです。特別出演としたのは彼に尊敬の意味を込めてそのようにしました。

「最好的時光(最良の時)」という原題は、これは必ずしも何もその時が一番よかったんだという意味ではありません。なぜなら、それがもう帰らない日々だからです。だから美しく見えるんです。こういった過去の一つ一つのある時間というのは我々の記憶の中で思い出して、よみがえるものであり、ですからその記憶の中だけでもう一度思い出して、あの美しかったときを想ってみようという意味で、「最良の時」というふうな原題がつけられています。次に、夢についてですが、それぞれのエピソードについている夢というのは全体のテーマを母とすると子にあたり、小テーマということになります。その「最良の時」の流れの中にある一つ一つの夢という訳です。そして、一つ目の「恋愛の夢」では、自分がかつて若い時に経験した淡い恋を思い出して、ビリヤード場のスコア係の女性に対する可愛い恋心、これを「恋愛の夢」として描いています。で、2つ目は「自由の夢」ですが、なぜ「自由」かというと、1つは当時の日本の統治から離れるために、自由になるための「自由の夢」、そしてまた芸妓からすれば、芸妓の身分から抜け出し、自分の状況から自由になって、きちんとしたところの人に嫁ぎたいという「自由の夢」を描いています。3つ目の「青春の夢」は現代の台湾の若者たちに共通して見られる、虚無的、退廃的、消費的な生き方、そういうもの表しています。

オープニングの際に、映画上映中は食事に行きますと言って、笑いを誘っていたホウ監督ですが、「簡単」に食事を済まされた後、Q&Aに臨まれました。監督は挨拶や質問に答える中で「ありがとうございます」とか「これでいいですか」といった日本語を少し交えながら、本編の制作にまつわるまつわる裏話などを交え、和やかな雰囲気でQ&Aが行われました。「スリー・タイムズ(原題)」はプレノン・アッシュが2006年配給を予定しています。
(取材・文 東 紀与子)

投稿者 FILMeX : 2005年11月19日 21:00


 
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