11月22日、ジャン=ピエール・メルヴィルをテーマに、トークイベントが有楽町朝日ホール11階スクエアで行われた。メルヴィル監督は、ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家たちに多大な影響を与えた巨匠であり、ジョニー・トー監督や北野武監督の作品にもその犯罪映画の系譜をみることができる。トークイベントは、東京大学文学部の野崎歓准教授と市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターによる、メルヴィル映画の強烈な魅力とその楽しみ方についてのレクチャーとなった。
野崎さんのメルヴィル作品との出会いは1970年代初め。テレビの洋画劇場で、アラン・ドロンの出演作を観たことが最初だったという。『サムライ』(1967年)、『仁義』(1970年)のスタイリッシュな感覚は、子どもがみてもかっこよかったと振り返る。「『サムライ』は冒頭からせりふがなく、沈黙の演出が際立っていたし、武士道の引用で始まっていることからも、日本人のハートをダイレクトに直撃する映画だった」と語った。また、メルヴィル監督の伝説的な長編デビュー作である『海の沈黙』は、『サムライ』とは異なる世界だが、同時にどちらにも通じるストイックな強さと静寂さの演出から、メルヴィルのルーツがわかるという。
市山Pディレクターが、「メルヴィルは、ギャングものや暗黒映画とのイメージが強いが、全体としてみるとそうでない映画がかなり多い」と指摘すると、野崎さんも同意し、メルヴィルについて、「10代の初めから、朝9時から夜2時くらいまで映画を観て、徹底的に映画を愛しきった、ヌーヴェル・ヴァーグそのもの、映画にすべてを賭けている監督です。1917年生まれで、第2次世界大戦での経験からも、彼のすべての映画は『死ぬか、映画か』という厳しい二者択一で、彼の映画に一貫するのは、「制服」「軍隊」というテーマじゃないでしょうか。ギャングものではトレンチコート。一般的には「制服」は、精神の不自由、従属を示す記号だけれども、メルヴィルの映画では、とにかく制服姿がかっこいい」と熱く語った。「彼はドゴールに心酔して、レジスタンスに飛び込んだわけだから、フランスでは右翼、極右と思われかねないが、そうではなく、制服を着ている人間のほうが逆に魂の高潔さと美しさを体現しているのが、メルヴィルの世界だなという気がします」
「メルヴィルのレジスタンス体験がくっきりと出ているドキュメンタリーが『コードネームはメルヴィル』という作品ですが、ごらんになりましたか?」と市山Pディレクターが尋ねると、野崎さんは、「メルヴィルは、『自分の人生について話さなければいけない義理はない』という人だと思う。メルヴィルについて知ることのできるのは、『サムライ』(ルイ・ノゲイラ著、晶文社刊)という一冊の本しかなかった」と明かしたうえで、その本でも残った謎がドキュメンタリーから見えてくると語った。例えばレジスタンスに身を投じたアルザス系ユダヤ人として、名前を変えなければ生き延びることができなかったこと、『白鯨』の著者ハーマン・メルヴィルから、名前を勝手に使用したことなどを挙げ、メルヴィルのなかなか明かされなかった姿が『コードネームはメルヴィル』から知ることができるという。
市山Pディレクターが、「『コードネームはメルヴィル』には、ジョニー・トー監督、小林政広監督らのインタビューが入っているが、メルヴィルの『サムライ』の助監督であったフォルカー・シュレンドルフのシーンも面白い」と述べると、野崎さんは「フォルカー・シュレンドルフは、メルヴィルのいちばん深いところを知っている一人かもしれません」と応じた。
また、「ジョニー・トー監督とメルヴィルというところで面白い話はないですか?」と市山Pディレクターが話を向けると、「”香港映画におけるヨーロピアンの要素はすべてメルヴィルから来ている”というジョニー・トーの言葉に尽きる。ジョン・ウー監督の初期の作品なども含めて、あのような男たちの姿は、メルヴィルかにルーツがある。語らない男たちや、トレンチコートなどから始まって、男と男のふれあいは、皆ここで学んだという気がする」と野崎さんは感慨深く語った。
フィルメックスで今後上映される作品で、『この手紙を読むときは』について、野崎さんは、「戦後非常に人気あったジュリエット・グレコ主演なので、本当に驚きました。この一作を観るか観ないかで、メルヴィル像が変わってきます」とコメントした後、『モラン神父』のエマニュエル・リヴァ、『海の沈黙』のニコル・ステファーヌにも通じる、表情ひとつ変えない、毅然とした女のかっこよさを極めていると激賞する。『この手紙を読むときは』や『モラン神父』では、全く違うタイプの女性たちがドラマを繰り広げるが、女優たちの姿はそれまでのメルヴィル映画のイメージとは全く違うという。「『この手紙を読むときは』には、驚くべきアクションシーンがあります」と二人が楽しげに付け加えた。
『モラン神父』について、不思議な映画だったと感想を述べる野崎さんは、神父役のジャン=ポール・ベルモンドが実在すると信じた観客が、悩みを聞いてもらいにスタジオを訪れたという逸話も紹介。即座に、映画同様ベルモンドを起用してTVドラマ化されたほど人気だったという。『モラン神父』や『この手紙を読むときは』について、「どちらもまだ解放されていない制服の下のエロスや、タブーで自分を縛っていた人間の目覚めた時を描いていて、今観ても新鮮」と野崎さん。
同じくベルモンドが主演している『フェルショー家の長男』では、原作にはない元ボクサーという役を設定、西部劇風の音楽など、「かなり変わった、面白い映画」と市山Pディレクターが紹介。ベルモンド主演作3本が、それぞれどれも違う作品に仕上がっていると述べた。また、野崎さんは「『いぬ』は名作中の名作で、これは本当にすごい。我われがアジア映画や香港映画を追いかけていたのは、メルヴィルの血を求めていたということはありますね」と語った。
その後、メルヴィル映画の影響を強く受けている作品について話題が及び、「ジョニー・トー監督の『Vengeance(復讐)』(2010年日本公開予定)は、男の友情やストイックな部分がメルヴィルの精神的なところを受け継いだ映画」と市山Pディレクター。また、野崎さんも、クエンティン・タランティーノ監督の作品について、「監督はメルヴィルの『いぬ』を生涯ベストと言っているが、『イングロリアス・バスターズ』は制服映画ですから(会場笑)、メルヴィル映画と比較しながら観ると本当に面白い。両者の距離は宇宙の彼方くらい遠いが、やはりつながっている。ああいう映画を今撮ることは勇気あることだと思う」とコメントした。
さらに野崎さんより、「メルヴィルは、素晴らしい声をしています。『コードネームはメルヴィル』でも、フランス人の男の声として理想的な声だと思う。低い声でびろうどのようになめらか」と、みどころを教えていただいた。
最後に、市山Pディレクターが、「『この手紙を読むときは』と、日仏学院での上映にもご来場いただければと思います」と締めくくり、メルヴィルの映画の美学についてご自身の思い入れを熱く語っていただいた野崎さんに、惜しみない拍手が贈られた。
『この手紙を読むときは』、『フェルショー家の長男』は11/29に東京フィルメックスで上映予定。11/30~12/19には東京日仏学院で、メルヴィル監督が生涯に残した全14作品のうち、13作品が特集上映される。
(取材・文:宝鏡千晶/写真:関戸あゆみ)
投稿者 FILMeX : 2009年11月22日 18:00