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2009年11月03日 『アザー・ハーフ』藤井省三さんトークショー

20091103_1.jpg 東京フィルメックス10周年を記念しシネマート六本木で開催中の特集上映「第10回記念 東京フィルメックスの軌跡~未来を切り拓く映画作家たち」。11月3日、第7回(2006年)の審査員特別賞を受賞したイン・リャン監督の『アザー・ハーフ』の上映後、東京大学教授で中国文学者の藤井省三さんをお招きして、トークイベントを行った。注目される中国インディペンデントの映画作家たちの作品について、変動する現代中国の文化的状況と絡めて分かりやすく解説していただいた。

上映終了後、藤井さんと市山尚三東京フィルメックス・プログラムディレクターが登壇。
「1980年代の第五世代、90年代以降のチャン・ユアン、ロウ・イエらの「第六世代」、その後にジャ・ジャンクーが出て、イン・リャン監督は2000年以降に現れた更に新しい世代の監督たちの一人です」という市山Pディレクターの紹介に、藤井さんが応じる。「今挙げられた作家たちは、メインストリームとは方向性を異にする「オルタナティブ」の作家たちと位置づけられるでしょう。メインストリームとは、70~80年代は共産主義賛美、90年代以降は資本主義経済における「勝ち組」の豊かな生活を描くことでした。ジャ・ジャンクーは初期作品では故郷山西省のスリたちや文化工作団といった特殊な職業の人々を描きましたが、近作では、北京、長江・三峡に舞台を移し、故郷に限らずさまざまな地方の底辺の労働者に焦点を絞っています」
こうした「勝ち組」ではない人々への視線は、21世紀に入って現れた、文学における「底層叙述」と呼ばれる潮流ともリンクしている、という。中国ではもちろん社会主義文学の伝統が存在し、貧しい人々は文学に登場してきた。しかし社会主義中国には貧困は存在しない、という公式が存在するため、「昔の」すなわち戦前や日本占領期の貧しい労働者の闘争を描くものであった。それに対し、いま現在の中国における貧困を告発する文学が、曹征路(『ナル』『闇の中で』)に代表される「底層叙述」である。
「こうした文学の流れに並行するように、ジャ・ジャンクーの作品も変遷してきたように見えます」

20091103_2.jpg ここで登場した「オルタナティブ」というキーワードに即して、東京フィルメックスにもなじみ深いロウ・イエ作品について藤井さんにお話を伺った。
初めて国際的に注目を浴びた作品『ふたりの人魚』(2000年、第一回東京フィルメックスで上映)の舞台は現代の上海。しかし、繁栄する最先端の都市としての上海、あるいは我々が一般的にイメージする南京路や旧租界といった有名な場所ではない、ドブ川のように淀んだ蘇州河を舞台としている。「極めて独特な「裏」上海を描いた作品」(藤井)だという。
『パープル・バタフライ』(2003年)に話題が移ると、藤井さんは「この作品が香港映画祭で上映された後、現地の女性が「変な映画!」と言っていたのが印象に残っています」と笑った。舞台は1930年代の上海。この時代を描いた映画では、女性=華々しい抗日英雄、あるいはなす術も無いか弱き犠牲者といった描き方が一般的だが、チャン・ツィイー演じるヒロインは、抗日の運動家でありつつも、かつては日本人と恋人同士だったという過去を持っている。「日本占領下の中国を舞台とした、いわゆる「抗日映画」としては非常に変わった作品だと思います。公式の歴史にはない、特殊的・個人的な歴史の記憶を描こうとしている」(藤井)
昨年日本で公開された『天安門、恋人たち』(2006年)は、天安門事件に参加した若者のその後の物語。事件に関わった学生たちは海外に移住、あるいは政治的発言を封印して国内で成功をおさめたエリートが多いが…「『天安門、~』の主人公は、そうした文化・政治・経済的英雄ではない人々。事件のトラウマを抱え、上昇するチャンスも能力もありながら自ら堕落していく、これもまた、特異な個人の心の傷についての作品と言えるでしょう」公的な歴史記憶に埋もれようとする個人の体験に向けられた、ロウ監督の視線の繊細さを、藤井さんは熱をこめて語った。

ロウ監督の新作『春風沈酔の夜』は、第10回東京フィルメックスの特別招待部門で上映が決定している。タイトルは郁達夫の小説の題名。「郁達夫は大江健三郎さんのお母様が大好きな作家、と伺ったことがあります(笑)。戦前に日本留学経験を持ち、日本の私小説に影響を受けて性の悩みを扱った作品を残しています」(藤井)「この小説の映画化、というわけではありませんが、映画の中で朗読されるなど、インスパイアされているということだそう。ホモセクシュアルなど、現代中国ではまさに「オルタナティブ」な問題を扱っている映画ですね」(市山)

ここで、市山Pディレクターがイン・リャン監督について話題を向けると、藤井さんは
「底辺の人々に目を向けるという点で、ややジャ監督に近い立場にいると思います。しかし、一般化するジャ監督に対して、イン監督はより特殊化しようとしている。ジャ作品に登場するサンミンは、典型的な炭坑労働者のキャラクターとして提示されています。一方『アザー・ハーフ』の主人公は、無職の男と法律事務所の事務女性という、底辺に近いカップル。女性の方は、貧しいとはいえ「チャン・ツィイーに似ている」と繰り返し言われるような美人で、個性的で聡明なヒロインです。類型化しない視点で、個別の事象として丁寧に描こうとしている。あるインタビューでイン監督は、いまの商業映画は舞台や俳優の所作などまったくの作り物だ、とも言っています。自分の映画ではほんものの、現代中国人の姿を描きたい、と。これには個人的に異論もありますが、中国の貧しい人々の姿、ということではその通りでしょう」と、底辺の人々を描くという方向性において、イン監督の作品の持つ独自性について強調した。

20091103_3.jpg 「イン監督は新しい流れの中で、さらに別の形を打ち出そうとしています。ご覧になった通り、長回しを多用し、カメラの動きも少なく観ている方を疲れさせる作り方。ジャ・ジャンクーが近年多くの観客に向けて作品を発表しているのに対して、少数の、心ある観客に向けて作っているという印象を受けます」という藤井さんの言葉に頷きながら、市山Pディレクターも「劇場公開にはこだわっていないですね。中国国内で劇場公開するには当局の審査が必要ですが、イン監督は脚本の段階から審査には出していません。その意味では、ターゲットを絞って映画を作っているといえるでしょう」と応じた。

藤井、市山両氏の穏やかな語り口から鋭く切り取られる「中国映画の今」に、観客も熱心に聞き入っていた。躍進著しい中国インディペンデント映画は「オルタナティブ」「底層叙述」「歴史記憶」というキーワードに注目して鑑賞すると、より理解が深まるにちがいない。

第10回東京フィルメックスでは、中国映画は前述の『春風沈酔の夜』の他、地方から当局に陳情に訪れた人々が北京に形成したスラムを十数年にわたって追ったドキュメンタリーの労作『北京陳情村の人々』(チャオ・リャン監督)が上映される。


(取材・文:花房佳代)


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投稿者 FILMeX : 2009年11月03日 20:00



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