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2009年11月28日 『カルメル』Q&A

carmel_1.jpg 有楽町朝日ホールで11月28日、特別招待作品としてイスラエルのアモス・ギタイ監督最新作『カルメル』が上映された。第10回を迎える東京フィルメックスの中で、9本の作品が上映されているギタイ監督。今回の『カルメル』は監督にとって「非常に個人的な体験を、大きな歴史的出来事と結びつけようと試みた大変私的な作品」であると上映前の舞台挨拶で述べ、同作を携えて来日できたことの喜びを語った。

ギタイ監督といえば、これまでもイスラエル人としてのアイデンティティーを強く感じさせる作品を発表してきた。『カルメル』も、紀元1世紀にローマ帝国によってエルサレムのユダヤ人が攻略されたユダヤ戦争の描写に始まり、現代のイスラエルの軍事キャンプ、兵役に就く息子を案じる監督本人の姿、そして幼い頃の監督と母親との手紙のやり取りなどを、時間と表現の手法を自在に飛び越えながら見せていく。

上映後のQ&Aで、「世界の観客を相手にしたときに、ヘブライ語で上映することのハンディを感じるか?」という質問を受けた監督は、母国語・ヘブライ語に対する思いをこう語った。「自分の言葉を使って世界に向けた映画を作るとき、劣等感を抱く必要なんてないと思います。そしてヘブライ語には特殊な背景があります。“イスラエルの国家建設”という大国家プロジェクトのもと、それまで神学的、宗教的な状況の中でしか使われていなかったヘブライ語を“日常言語”として復活させることに成功した。これは非常に大きな意味を持っています。私の母は、生まれた頃からヘブライ語を使っていた最初の世代。例えば今、ラテン語や古代ギリシャ語を日常言語として復活させることが可能かどうかを考えた場合、ヘブライ語復活の成功は大変珍しいケースであることが分かるでしょう。なので、ヘブライ語はイスラエル人のアイデンティティーにとって、非常に大きな意味を持っているのです」。

carmel_2.jpg また、「私は自分の両親の子として育って運がよかった」と話すギタイ監督。「母方の家族は1905年にパレスチナに移住してきて、彼女らはそこでイスラエルが作られ、発展していく様子を目撃してきています。父の方は1930年代までドイツで建築を勉強しており、それから移民としてやってきました。私はそんな2人の間の視点で、こういう主題で映画を撮れているんですから、非常に頭が良かったんでしょうね(笑)」。

今作では、イスラエル史と私的な回想が交錯するが、子ども時代のギタイ監督が母親宛てに押し花や折り紙を封筒に入れて送るシーンが印象的だ。そのシーンについて「実際にされていたことなのですか?」と客席から質問されると、「私の母は18歳の時にウイーンへ行きました。ヒトラーが台頭し、第二次世界大戦が始まる前のウイーンで青春時代を過ごし、さらに1960年代に入ってからは、ロンドン留学を思い立って英国に渡ったんです。そんな女性でした。そのロンドン留学の間、私は寄宿塾に預けられました。その頃に母と私は手紙のやり取りをしていたのです」と、幼い頃の思い出を語った。

carmel_3.jpg このように、今作で重要なのは、何よりも「記憶」であると強調するギタイ監督。いかに記憶をたどり、それを再現するかということが最も困難な作業だったという。
監督自身のヨム・キップール戦争(73年、第四次中東戦争)での実体験を扱ったドキュメンタリー『戦争の記憶』(94年)を制作する際、自分が乗ったヘリコプターが撃ち落された現場へ息子を連れて行ったときに、あまり息子が興味を示さなかったことに驚いたというエピソードを語った監督。しかしそれは「とても人間的な行為である」と続ける。今回の『カルメル』でも、ヘリコプターで撃墜された状況を話すギタイ監督の説明を子どもが聞くシーンが登場するが、その子の表情はどこかうつろだ。「もちろん歴史を伝えていくことに意味があるが、一方で記憶の伝達に限界があるというのも大切なこと。(伝えられていくことは)下の世代が自分で選択し、掘り下げていけば可能なこと。そういった意味を考えて、今回あまり子どもが興味を示さないヘリのシーンを入れた」と監督は説明する。

ギタイ監督のイスラエルへの思いが詰まった熱いQ&A。あっという間に時間は過ぎていった。イスラエル人としてのアイデンティティーと、亡き母親への愛を強く感じさせる壮大かつ優しい映画『カルメル』。次はどんな作品を見せてくれるのか、今から楽しみだ。

 
(取材・文:新田理恵/写真:秋山直子)

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投稿者 FILMeX : 2009年11月28日 19:00



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