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2006年11月19日

『ヴィオランタ』トークショー

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今年の8月に惜しまれつつも亡くなった、スイス出身のダニエル・シュミット監督を追悼し、19日は2作品が上映された。『ヴィオランタ』の上映に先立ち朝日ホールで行われたトークショーでは黒沢清監督をお招きし、監督自身がシュミット作品から受けた影響や、シュミット監督と遭遇したエピソードについて語っていただいた。

市山尚三プログラム・ディレクター(以下、市山)
「ダニエル・シュミット監督は私の世代には非常に思い入れのある監督です。ちょうど大学生の頃の80年代初期にアテネ・フランセで上映会があったりとか、『ラ・パロマ』や『ヘカテ』が公開されたりとか、集中的にシュミットの作品が観られる時期がありまして、すごく影響や衝撃を受けた監督です。黒沢さんが初めてシュミット作品をご覧になったのはその頃でしょうか」

黒沢清監督(以下、黒沢)
「たぶん同じ頃だと思います。場所ははっきりと覚えていないのですが、『ラ・パロマ』だったことは間違いないです。当時はイタリアのフェデリコ・フェリーニ監督など何人かの巨匠がヨーロッパ映画というものを何となくイメージさせていたなかで、全く観たこともないようなヨーロッパ映画が続々とやって来ていて、『ラ・パロマ』はその代表でしたね。それまで漠然と思っていたヨーロッパ映画と全く違う、何にも似ていないびっくりするような作品でした。僕も8ミリ映画を撮っていましたが、自分たちが作っているものとなぜか似たところがあると強烈に感じた映画が2本あります。1本はヴィム・ヴェンダースの『アメリカの友人』で、もう1本が『ラ・パロマ』でしたね」

市山
「『アメリカの友人』には地下鉄で殺される役でシュミットが出演していますね。『ラ・パロマ』で特に印象に残ったシーンはありますか」

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黒沢
「過剰というか、何かが多すぎる感じがしましたね。歌うシーンもそうですし、競馬場で双眼鏡で見つめ合うシーンも、ここまでやらなくても…っていう」

市山
「黒沢さんの映画で似たようなシーンがありませんでしたか」

黒沢
「(自分の撮った)8ミリ映画の『School Days』に急に双眼鏡で見るというシーンがあります。だから、『ラ・パロマ』を観てひっくり返りそうになりました。なんでスイスに似たようなことをやっている人がいるんだって。あと、これも偶然の一致なのですが、『ドレミファ娘の血は騒ぐ』という映画に、僕の好きな古い曲を一瞬流したシーンがあるんです。その後、再び『ラ・パロマ』を見直したら、忘れていたのですが全く同じ曲が流れているんですね。音楽の趣味が似ていると強烈に感じました」

市山
「『2001年映画の旅 1』に『ラ・パロマ』のオペラのシーンと似たところがありましたが、あれは違いますか。スクリーン・プロセスみたいに無理矢理入れているところですが」

黒沢
「たぶん、『ラ・パロマ』から来ていますね。無理矢理スクリーン・プロセスで全然違うものを同じ画面に同居させてしまうというのは、古典的なやり方と言ってしまえばそれまでですが、ことさら過剰に「これでもか」とやる感じはシュミットの影響でしょうね」

市山
「『ラ・パロマ』は自主映画のようなノリで撮っていますね」

黒沢
「僕の記憶ではシュミットは『今宵かぎりは…』や『ラ・パロマ』を撮った後、『ヘカテ』で商業映画的なスタイルになりました。彼は海外の映画祭で評価され一気に出てくるんですよね」

市山
「これは調べて驚いたのですが、『ラ・パロマ』がカンヌの批評家週間に出て、その次の『天使の影』が実はカンヌのメインコンペに入っているんですよ。何の賞もとっていないのですが、おそらくこのあたりでシュミットの評価がぐんと上がったことが、『ヘカテ』につながったのかなと勝手に想像しています。ただ、日本の場合は時系列順で入って来たのではなく、一挙に公開されたんですね」

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黒沢
「『ラ・パロマ』と『ヘカテ』は全然違う映画なのですが似ているところもあって、何かが過剰だったり極端だったりする。それらが記憶の中でごちゃごちゃになっています。ものすごく商業的な部分とものすごく自主映画的な部分が入り混じった監督というイメージがありますね」

市山
「黒沢さんは一度シュミット監督にお会いになったことがあると聞いたのですが」

黒沢
「2000年のスイスのロカルノ映画祭に『降霊』を出したときに、青山真治とロカルノの街を歩いていたら、前から一人のおじ様が寄ってきて青山に話しかけたんです。青山が「こちらが黒沢です」と紹介してくれたのですが、その時は誰か分からず青山の知り合いぐらいに思って挨拶して、2、3分くらいでしたね。別れた後に青山に聞いてダニエル・シュミットだったと分かったんです。青山はシュミットが日本に来て撮影した『書かれた顔』で助監督をやっているんですね。シュミットは知的で落ち着いた印象でした」

市山
「僕が唯一お会いしたのは『書かれた顔』の準備でシュミット監督が日本にいらっしゃった時ですね。本当に紳士的でフレンドリーな方で、あんな映画を撮る人とは思えないと感じました。ただ、現場では頑固で大変だったと噂に聞きました(笑)。2000年のロカルノ映画祭は僕も行きました。あの時に上映されたのは黒沢さんの『降霊』でしたが、今日これから上映する『ヴィオランタ』にも霊と話すシーンがあって、この偶然が面白いなと思いました」

黒沢
「『ヴィオランタ』は観ていないのですが、霊が会わせてくれたのかな…(会場、笑)。興味があるのはシュミットがスイスの監督だということですね。去年、東京フィルメックスでスイス映画の特集がありましたが、けっこう奇妙な作品があって。スイスはヨーロッパでも特殊な環境にある国だと思うのですが、スイス映画にはダニエル・シュミットを生む土壌が元々あったんですか」

市山
「きちんと流れで観ていないので分かりませんが、『魂を失へる男』(注:ヴェルナー・ホーホバウム監督、1935年制作。戦前のスイス映画を代表する作品。)にはシュミットにつながるものを感じますね。シュミットは突然変異で生まれたのではなくて何かあるのかもしれないという気はするのですが、その間にあるいろいろな作品をまだ観ていないので確認できていないです」

黒沢
「シュミットは亡くなってしまったので彼の新しい映画は観られませんが、スイスの新しい映画が実はこんなに奇妙だというのは面白いですよね」

市山
「ちょうど80年代はシュミットとアラン・タネールがまとめて上映されて、なんでスイス映画がこんなにすごいんだと思うきっかけになりました。それが無ければ、スイスという国に興味を持ったかどうかも分からないです」

黒沢
「観光などでスイスは有名ですが、映画という点ではつい見落としてしまう国ですよね。ドイツのようなイタリアのようなフランスのような。シュミットの作品にはドイツ語が多いですが、スイスの中でもドイツ語圏なのでしょうか」

市山
「『ヴィオランタ』はイタリア語版ですね。ロカルノもそうですがイタリアに近いところはイタリア語なんですよね」

黒沢
「ロカルノに行ったときにスイス的だなと思ったのは、イタリアに近いので街ではみんなイタリア語をしゃべっているのですが、店員さんによってはドイツ語をしゃべるんです。そして、映画祭のティーチ・インは英語でなされているのに、カフェで映画の話に熱中してくるとみんなフランス語をしゃべり出すんですよ(会場、笑)」

市山「英語は出来ない人がいますが、基本的に皆さん独伊仏語を話せるみたいですね。そろそろ時間がきてしまいました。シュミット監督の『ヴィオランタ』と『天使の影』以外のほぼ全ての作品が、来年の1月~2月にアテネ・フランセ文化センターとユーロスペースで上映される予定です。というのも、この2本以外の全ての長編のプリントが日本にあるということなんです。短編作品に関しても現在、交渉中なのでぜひご覧下さい」

黒沢
「喫茶店の雑談のようになってしまいすみません」

黒沢清監督の締めの言葉からも分かるように、トークショーは時おり会場の笑いを誘いながら、和やかなムードで終了した。『ヴィオランタ』と『天使の影』は21日にも朝日ホールで上映されるので、ぜひこの機会をお見逃しなく。

(取材・文:須田美音)

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投稿者 FILMeX : 2006年11月19日 20:00


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