2006年11月23日
スクエア・トークイベント『映画編集の極意』
映画における「編集」は、作品の質を最終的に決めるといっても過言ではないほど重要な工程だ。第7回東京フィルメックスの審査員を務める大島ともよさんは、30年以上に渡って数々の映画作品やテレビ番組の編集を手がけている。現在も映画編集者として第一線で活躍なさっている大島さんに、作品において編集の果たす役割や、編集者としてかかわってきた監督たちについてのエピソードを語っていただいた。
林加奈子ディレクター(以下、林)
「お仕事として編集を始めるきっかけとなったのは何だったのでしょうか」
大島ともよ(以下、大島)
「大島渚監督の映画にちょっとだけ出まして、その時に映画の仕事をやりたいということを言いましたら、女の子がやるなら編集しかないと当時は言われました。それで、大島渚さんの仕事をなさっている浦岡敬一さんが松竹を辞めるので、そこでやってはどうかと言われて始めました。浦岡さんはとてもきちんとした仕事をなさる方だったので、そこでスタートできたのはとても運が良かったと思います」
林
「映画を編集するというとフィルムをつなぐというイメージなのですが、大島さんにとって編集とは具体的にどういうものであり、どういう役割を果たしているのか教えて下さい」
大島
「映画を作っていく中で編集の仕事というのは、撮影されたフィルムをまず見て解釈して、どこを見せなければいけないかということを考え、(その結果、作品が)長くなったり短くなったりします。それともう一つは、同じカットをロングだったり引きだったり2バージョンだったり3キャメで撮ったりということがある場合、どれが良いのか決めるというのも仕事です。どれに決めるかではよくもめまして、『御法度』のときもラストカットをどれにするかで四つ巴になって大変でした」
林
「四つ巴というと、大島渚さんと大島ともよさんの他に二人ということですか」
大島
「いえ、大島渚さんはどうしろということはおっしゃいません。助監督さんたちが皆、監督経験のある人ばかりだったんです。土方歳三役のビートたけしさんが刀で桜の木を斬るのですが、私はその刀がぎらりと光る寄りのカットをつけました。そうしましたら、助監督さんたちが「違うだろ、ロングにしろ」と言うんです。衣装のワダエミさんまで「両方お使いになったら」とおっしゃるんですね。でも、私はこれ以外に無いと思っていましたので、皆を説得しなければいけないんです。自分のやりたい仕事をしていくためには、説得できる言葉を持っていなければいけないと思います。それと、付加価値ですよね。ぎらりと光った刀には実は本身がありまして、日野市にある土方歳三の実家の一部屋が資料館になっていて、そこに置いてあるんです。私はそれを見て、こんな小さな刀で戦い果てたのかと思うと泣きそうになったので、寄りのカットをつけました」
林
「編集の方によって違うと思うのですが、現場への参加や監督とのかかわり方はどういった位置関係、距離になるのでしょうか」
大島
「皆さん違うと思いますが、私はクランクアップまでに編集が一回終わっておくことを目指しています。それを見たうえで監督さんと打ち合わせをします。監督の好き嫌いでどうしても百歩譲らなければいけないこともありますが、スタッフの中で編集のことを一番分かっているのは私だと思っております」
林
「監督によっては編集作業をべったり一緒になさる方もいらっしゃいますよね。でも、大島さんの場合はご自身で必ず一回やってしまったものを監督や他のスタッフに見せて、微調整していくという感じになるわけですね。何台もカメラがある場合の選択権は大島さんにあるわけですか」
大島
「それは微妙ですね(会場、笑)。百歩譲って取り替えなければいけないこともありますが、仕事をする前に、自分の選んだカットをつけるために調べ物を徹底的にしますし、ロケ地が近い場合は出来るだけ行くようにしています」
林
「映画会社によって編集のやり方のシステムに違いがあると伺ったのですが」
大島
「私は撮影所システムが壊れる少し前を経験しておりまして、東宝には東宝のやり方、松竹には松竹のやり方がありました。編集の仕事で言いますと、東宝はやはり監督システムなんですね。監督さんがずっといらして、編集のこことここを…とおっしゃりながら仕事していました。松竹は編集は編集の人たちだけでやって、スクリーンに映してみてどう直すかという打ち合わせをしていました。これは、どちらが良い悪いではなくてやり方の違いだと思うのですが、私は先生も松竹出身の方だったので東宝のやり方は不得意でした」
林
「大島さんは若手の監督と組んでいるというのがすごいと思います。やはり新しい映画を観ていらっしゃるからチャレンジ精神をお持ちなのでしょう。是枝監督の第1作の『幻の光』をなさったのはどういう経緯ですか」
大島
「中堀正夫さん(注:実相寺昭雄監督との仕事で知られる撮影監督)にお誘いいただきました。能力のありそうな監督、自分が観たい映画を撮ってくれそうな監督のためには、プロのスタッフは頑張ります。徹夜も少しは文句を言いながらでもします。この映画もラストカットをどうするかでずいぶん時間がかかりました。プロデューサーは自分の企画ですから「こういう風に終わってくれ」と言ってきますし、撮影監督の中堀さんはほとんど映画病ですので「こういう終わり方をしなくてはいけない」というレポートを出すんです。是枝監督は考えているのではなく迷い果てて、階段を上がったり下がったりしていました。結局、ラストカットは外したシーンから持ってきたものをつけました。やっぱり「この映画を何とかしよう」という思いは完成した作品の中に見えるんだと思います。結果、良いラストカットになっているので、「こうした方がいい」「ああした方がいい」と言っていたみんなが数年たちますと「自分が決めたものだ」と勝手に思っているんです(会場、笑)」
林
「若手の監督という意味では『疾走』で組まれたSABUさんもそうですね」
大島
「『疾走』はSABUさんのお人柄もあって本当に楽しい仕事でした。以前のSABUさんの作品はカット数がそんなに多くないので「楽勝な仕事かな」と思っていましたら1000カット以上ありまして(笑)。一番良いつなぎ目を探していかなければならないので大変に疲れました」
林
「『失踪』でびっくりしたのは若い二人が水たまりを走っているシーンです。ものすごくゆっくり動いているように見える画面なのですが、よく意識して見るととても細かいカット割りをしていて、大島さんの技だなと。すごい編集というのは、編集していないように見える、1カットみたいに見えるような編集で、そのためにはものすごく緻密なつなぎをしなければいけないのではと思いました」
大島
「一つの作品の中に1000カットあっても、限りなく1カットに見えるようにつないでいくというのが基本的なことだと思います」
林
「せっかくなのでご来場者の中で質問のある方はいらっしゃいますか」
Q「大学で映画を勉強していたときに「編集はどんどん刈り込んでいった方が良いものになる」と先生に言われたのですが、大島さんもそう思われますか」
大島
「そうは思いません。作品に入り込んで、泣いたり笑ったりしながら仕事をしています。入り込んではいますが、編集です。主人公が見たい風景は見たいだけの長さに決まるし、どれぐらい悲しいかで泣く長さも決まってくると思います。刈り込めばいいというのはたぶん間違いです」
林
「編集で最も大事なこと、これだけは譲れないことがあったら教えて下さい」
大島
「作品を持ち上げようと思って必死でやっていますので、皆さんに観ていただく映画、そして自分が一番観たい映画にしたいと思ってやっています。監督というのは自分の好き嫌いでいろいろなことをおっしゃってくるけれども、作品のために働いているという意識でやっております。監督のためというよりは作品のために踏ん張れるところは踏ん張ろうと」
林
「でも、現実的には現像所を借りたり、いつまでにあげなければいけないというのがあったりするわけですよね。編集というのは最後にしわ寄せが来やすいパートだと思うのですが」
大島
「一日の労働時間は長いですね」
林
「やるときは長いというこの集中が、編集の極意だと思います」
(取材・文:須田美音)
投稿者 FILMeX : 2006年11月23日 16:00