2006年11月21日
『りんご、もうひとつある?』Q&A
撮影監督として長いキャリアを持つバイラム・ファズリの長編監督デビュー作、『りんご、もうひとつある?』。時代・時間・場所を敢えて特定しなかったという不思議な世界とストーリーが、観るものの想像力を掻き立てる。上映後にファズリ監督を招いて行なわれた観客とのQ&Aでも、独特の世界観への質問が飛び交った。
Q:何ともおかしな物語、とてもいい加減な主人公、それでいて最後は感動的なストーリーはどこから考え出されたのでしょうか?
A:最近は同じストーリーをリピートしている映画が多い。私が映画を作るなら、新しいものをと考えていました。色々考えて、自分の夢に出てくるものを手掛けたら楽しくなるんじゃないかと。
林加奈子ディレクター(以下、林):この作品は、場所も時間も特定していない何だか分からない設定の中で話が進んでいきますが、その辺りはどういった意図があったのでしょう?
A:変わった形の映画にするということで、一番簡単な方法として時間と場所を設定しないという考えがありました。自分の考えたストーリーを時代や場所に当てはめていったという具合です。
Q:冒頭では「鎌を持つ男」=ダスダランが残忍な感じで描かれていますが、最後になると変わりますね。
A:「鎌を持つ男」は政治を仕事とする人。一般には残忍=悪者として描かれますが、私はただの悪者として「鎌を持つ男」を描きたくありませんでした。彼らは確かに力を持っていますが、各々の村によって、または状況によって自分を変え、支配の仕方を変えるのです。そうすることによって、自分自身の利益をさらに得ようとします。あくまでも、ステレオタイプな悪者を描きたくはなかったのです。
林:予想のつかないストーリー展開で観るものを楽しませるという新しさと、一方でクラシックな部分もあり、色々なものをミックスしているような印象を受けますが?
A:私は、たくさんの映画を観ていますから、様々な作品から影響を受けているのは事実です。ただし、それらの真似ではなく、何かをプラスした不思議なストーリーを作らなければいけないと。しかし、その不思議なものも見慣れてしまえば不思議ではなくなります。私が本当に目的としていたのは、皆さんがその不思議なものの中に発見する興味です。
Q:最後の村に辿り着いた時に、主人公が「恥を知れ」と言うと、それまで無関心だった村人が過剰に反応を示すのは何故ですか?
A:ナショナリズムとなると一番興奮してしまうのは若者。なぜなら、経験が浅いから。しかし、多くの経験を持つ老人は逃げます。戦えば負けることを経験で分かっているからです。そして最後に残るのは老人と子供たちだけで、彼らには何の力もなく、決して幸せな状況ではありません。
監督自身の意図した通り、非常に不思議な作品ではあるが、一つ一つのシーンに深い意味があることを改めて知ることの出来た、とても内容の濃いQ&Aだった。舞台を後にする監督の笑顔は忘れられない。
(取材・文:田坂妙子)
投稿者 FILMeX : 2006年11月21日 22:00