11月18日、MARUNOUCHI CAFEにてトークサロンが行われた。ゲストは、今回『無用』『東』、短編『私たちの十年』と3作品が上映されるジャ・ジャンクー監督、審査員を務める行定勲監督のお二人。また特別ゲストとして、ジャ監督の作品『長江哀歌』に主演した女優のチャオ・タオさんも登場した。17日に上映されたオープニング作品『それぞれのシネマ』にちなんで、お二人の監督にそれぞれの映画体験の原点について語ってもらった。
まず司会の市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターが、お二人の監督が最初に顔を合わせたのはどこだったのか、と質問を投げかけた。
「『世界』の取材で、監督が来日されたときに行った対談が初めてでしたね。同世代ということもあったし、その前からジャ監督作品の中国での評判は聞いていたので、是非お話してみたいと思っていたんです」(行定)
「僕も、行定監督には『GO』を見たときからずっと会ってお話してみたいと思っていました。『GO』を見たとき最初に思い浮かんだのは、日本の60年代を中心とした映画です。当時の作品には個性的で強烈なものがたくさんあったけれど、その後アジアで、そのような力のある作品は徐々に少なくなってきてしまった。でも『GO』を見たとき、もう一度あの時代の雰囲気を持った作品を見つけた、と思ったんです」(ジャ)
久々の再会ということで、和やかに会話を弾ませるお二人。互いの作品の印象について、さらに話題は広がっていく。
「行定監督の『世界の中心で、愛を叫ぶ』では、冒頭、カセットテープを聞こうとするんだけどラジカセを売っているところがない、という場面がありますよね。モノはあるのに、社会の変化によってそれを利用する術がなくなってしまっている。このようなディティールの描き方が、時間の変化を実に巧みに表現していますよね」(ジャ)
これに対して、「株があがります(笑)」と行定監督。「僕はジャ監督の作品からいつも、“時代に取り残される恐怖”といったようなものを感じるんです。今中国の社会は、急速に経済が発展していますよね。ジャ監督は青春群像劇を通して、そういった社会の変化に抗おうとする映画を作っていると思う。映画の中に答えはなくて、観客に委ねられているんだけれど、それが素晴らしいところ」
前日に上映された『無用』についても、話が及んだ。
「ジャ監督の作品は、ドキュメンタリーと劇映画、両方の要素がありますよね」と語る行定監督に対して、ジャ監督は、「僕がその両方の要素を兼ねた映画を撮るのには理由があります」と答える。
「行定監督が指摘されたように、中国は今大きな転換期を迎えています。都市、農村、沿海地区、内陸部、それぞれの場所で、さまざまな人の生活、運命が大きく変わりつつある。僕もまた、映画を撮り始めてからはずっと都会に住んでいて、自分もそういった変化の中に身を置いているわけですが、ときどきとても心配になるんです。社会の現実をきちんと捉えきれなくなった結果、さまざまな関係性を失っていってしまうのではないか、と。そんなときに、ドキュメンタリーを撮ることによって、人間と社会の関係を回復することができるのではないかと思うんです。さまざまな事件を自分がどのように見て、把握するのか。そういった関係性を考えるために、僕はドキュメンタリーの手法を使って映画を撮るのです。でもカメラが捉えられる真実には、限界がありますよね。ポーランドのクシシュトフ・キェシロフスキ監督は“カメラは、きちんと捉えようとすればするほど虚構になる”と言っています。彼のこの言葉は極端かもしれないけれど、それでもこれはドキュメンタリーを撮る際に中心となる考え方だと思います。僕のドキュメンタリーにフィクションの要素が入るのは、こういった考えがあるからですね」(ジャ)
ジャ監督は映画を撮る際、俳優にどのくらいの指示を与えているのだろうか。行定監督が問うと、これにはチャオ・タオさんが、監督に代わって答えた。
「監督は基本的に、立ち位置や大筋のセリフ以外の指示は出しません。自分の感じたように、自由に演じて欲しい、と言われます。ですからこれまで、私はジャ監督の映画でセリフを丸暗記したことはないんです。とてもリラックスしながら演技ができるわけですが、それが難しいところでもあります」
「ジャ監督の映画は、長回しが多いですよね。カットよりも、“状況”で見せる映画、という印象を受けます」(行定)
ここで行定監督が若い頃の映画体験について質問すると、ジャ監督は当時を懐かしそうに振り返った。
「僕は中学生、高校生のころは、主に娯楽映画を見ていました。キン・フー監督、チャン・チェ監督の作品、日本のラブストーリーなどが好きでした。山口百恵は、僕の少年時代のアイドルでしたね(笑)。そういう体験をしてきたのに、僕が大きくなってから撮った映画はそういうものとは全く別のものになっています。今回日本に来る飛行機の中でジョージ・ルーカスの映画を見ていたのですが、彼はこんなことを言っていました。“人間の祖先は鳥だ”と。(生活のペースや産業の効率に)スピードを求めるのは、人間の本能だと言うんですが、僕は“時間をどのように捉えるか”ということにとても興味があるんです」(ジャ)
行定監督は、知人である作家の吉田修一さんとジャ監督の作品について話をしたことがあるという。「ジャ監督の作品は、始めから明確なテーマがあるわけではないんですよね。あるきっかけから映画が始まって、その中でテーマを模索していっている」(行定)
最後に、日本では小説などの原作から映画を作ることも多いが、そのことについての考えを、ジャ監督に語ってもらった。
「チャン・イーモウ監督、チェン・カイコー監督などの世代は、原作をもとに映画を撮ることも多いですよね。一方で、若手の監督たちは、自分で脚本を書く人が多い。それは、彼らが身を置いている中国社会が多様化しているからではないでしょうか。今の中国の状況を多方面から表している小説って、なかなかないんです。僕の場合は、ある作品を映画化したいと思ったこともあったんですが、いざ連絡をしたときにはテレビドラマになるということですでにお話が買い取られていました(笑)」
1時間に及ぶトークイベントの中で、互いの作品の魅力や映画体験などを、心ゆくまで語ってくれたお二人。今後、ジャ監督が小説などから題材を取って映画を撮ることもあるかもしれない。そんな可能性にも期待しつつ、もっとお話を聞きたい、という興奮と余韻を残しながらトークイベントは終了した。
ジャ監督の『東』と『私たちの十年』は、24日に上映される。MARUNOUHI CAFEでは23日まで連日、ゲストを招いてトークイベントが開催される。
(取材・文:和田 真里奈)
投稿者 FILMeX : 2007年11月18日 17:00