第8回東京フィルメックスと連動してMARUNOUCHI CAFEで開催されたトークサロン「それぞれのシネマ」、20日の音楽篇のゲストは、世界的に活躍する音楽家で映画音楽も多数手がける大友良英さんと、スタディストとして映画、音楽、著述と多彩な活動を展開する岸野雄一さん。もともと親交が深いだけにリラックスしたムードのなか、映像と音について、ユーモアを交えながら充実した内容の話を聞かせてくれた。
この日、ヨーロッパ帰りで成田から直行で会場入りした大友さんは「(時差ボケで)ボロボロですよ」と言いつつも元気な笑顔を見せ、快調にトークは始まった。映画音楽を担当するだけでなく俳優として出演するなどさまざまな形で映画制作に携わる岸野さんが聞き手として進行する形で、まず初めての映画体験について訊ねられ、大友さんが真っ先に挙げたのは『ゴジラ』。
「圧倒的に低音ですよ。あれが恐怖なんだよ。ゴジラはほんとはいないってわかってるけど、映画館に行くとほんとにいるような感じになっちゃうんだよね。こどもだから音楽のことも考えずびびったりしてたけど、恐かったね、あの低音が。だから音楽とかなんとかいうより、あの暗闇と低音ですよね。映画館の当時のおもしろさっていうか、恐さっていうか」
無意識ながらすでに音楽家らしい感性で映画館を体感していた幼少期を経て、大友さんが映画音楽に興味を持ち始めたのは大学に入って上京し、ATGやゴダールの映画を見るようになってから。「もし音楽だけで聞いたら相当アヴァンギャルドに聞こえるものが、映画についてると全然そういうふうに聞こえない。テレビもそうですよね。よくよく考えてみたら『必殺仕掛人』の女性が犯されるシーンの音楽って現代音楽みたいだったりするとか、そういうのもそのときになって気付きました」
それ以降、古い音源を再発見していくなかで、岸野さんと出会うきっかけになったのが、『ルパン三世』など多くのテレビ番組の音楽を手がけた山下毅雄だった。「山下毅雄の音源を発掘するっていう仕事があって、それであればまず岸野さんに話を伺わなければいけないと。山下毅雄に関しては岸野さんがいちばんの大家、とにかく詳しいっていうのでお会いして、聴いたことのない音源をいっぱい聴かせてもらいました」
ここで会場では山下毅雄作品のなかから一曲聴いてみることに。大友さんが選んだのは『ジャイアントロボ』から“ギロチン帝王の挑戦/格斗1”。公式に日本で初めてフリージャズの音源が録音されたのは1969年だが、これはその2年前の作品でありながらすでにフリージャズ風。
「もう山下洋輔みたいな人がピアノ弾いてるし、フレッド・フリスみたいな感じのギターは入ってるし、変わったオルガンも入ってるし。日本中のこどもたちが普通に見てた番組の音楽だよ。こんなもん普通に聞いてたから、のちのち山下洋輔トリオにはまってもおかしくないなと」(大友)
「あとから振り返るといろいろ納得することが多いですね」(岸野)
「こんな音楽聞いて、映画館行くと伊福部(昭:『ゴジラ』の音楽を担当)さんの『ゴジラ』でしょう」(大友)
一方で大友さんの映画音楽は、岸野さんいわく「非常に叙情的な、美メロのいいのを持ってきて、印象的なそれの変奏曲を作るっていうのがスタイルになってますよね。相米(慎二)さんの印象が強いのかもしれない」
大友さんは相米慎二監督の『風花』『あ、春』で音楽を担当しているが、実はそれとは違うテイストの作品(「スタント・ウーマン 夢の破片」)も手がけていることを明かした。「サモハン(キンポー)が出てるカンフーものを一本やってて、それはけっこうこういう感じのと叙情的のと両立してて、俺的にはすごいやったと思ったんだけど、映画は大失敗で(笑)」
こうして映画制作の現場に入った大友さんが音楽以上に興味を持ったのは効果音だったという。現在ではコンピュータ化、ステレオ化が進んでいるが、ふたりはアナログへの思い入れを語った。
「以前はすごいアナログで、演奏のコラージュと一緒なんだよね。今はコンピュータで全部きれいに貼り付けられるので、ハリウッド映画でもなんでもそうだけど、画面が切り替わるのにきれいに音が合ってて、今っぽいなとは思うけど、ちょっとしらけるんだよね」(大友)
「300M離れた超ロングショットの車があって、そのボンネットがバタンって閉まったら、その音が聞こえてくるのは1秒後のはずなんですよ。最近のパソコンを使った音編集では、そういうタイムラグ考えないで、音を波形でアクションに合わせてるから遠近感が出てこない」(岸野)
「昔の映画見るとわかるんですけど、音と動き、けっこう合ってないんですよ。カンフーものとかかなり適当なんだけどグルーヴしてんだよね。音楽のように」(大友)
岸野さんは「モノラルの方が奥行きを感じる」として、最後までモノラルにこだわった相米監督の『風花』を絶賛した。
「『風花』の最初のシーンの音の豊かさと言ったら…あの木の揺れる感じとか」(岸野)
「ほんとすごいよね。あれは撮影部の方と効果音作られる方と、音楽作る俺と、実際にミックスする人と、カルテットっていってもいいくらい共同作業だと思うんですけど、すごくおもしろい作業だったですね。ある意味、豊かなオーケストラ作品を共同で作ってるような感じ」(大友)
映画音楽に携わるという経験は、当時ノイズやコラージュを多用する作風だった大友さん自身の音楽活動にも大きな影響をもたらした。
「映画音楽をやってなかったら、僕の作風ってまったく違うものになってたと思うんですけど、何より大きいのはメロディを平気で書けるようになったこと。それはすごい新鮮でしたね。たとえば大友個人名義でステージに出るとき、いきなりメロディっていうのは当時はできなかったけど、映画だと自由になれた感じが逆にあって。映画が要求してるんだから」(大友)
「もう旋律を奏でてしまえ、と。映画音楽という縛りが、逆に音楽のジャンルからの解放装置として機能したという事ですね」(岸野)
「ここはメロだろって。この映画は弦楽四重奏の方がいいなって思えたら弦楽四重奏の曲も書けるわけ。武満徹さんなんかも聴いてて思うんですけど、武満印の武満作品っていうのはすごくフォーマルなきちっとした良くも悪くも立派な作品なんだけど、武満さんの映画の作品は降り幅が大きくて、ノイズみたいなのもあればサイケデリックなのもある、ジャズもある、歌謡曲も童謡もある。あの豊かさってすごいなって」(大友)
その後、大友さんは映画音楽のロジックをそれ以外の音楽にも取り入れるようになった。
「大友さんの最近のONJOだと、いくつもの演奏のレイヤーがあって、それが並列で進行してるっていう感覚があるんですけど、それも映画のロジックで考えれば、映像の流れがまずあって、それと別のレイヤーで音楽の流れがある。そういう多層性みたいなものも、映画を手がけたことからの影響なんじゃないですか」(岸野)
「それはありますね。それ以前によくやってたコラージュやポストモダンの多層性とはちょっと意味合いが違う感じがしてて、多層のあり方っていうのがちょっと映画っぽいかもしれないです」(大友)
話は尽きないまま終了の時間を迎え、最後は岸野さんが「映画との関係から今の大友さんの音楽の背景みたいなものがちょっと読み取れたような気がしてぼくはおもしろかったんですけど、みなさんはどうだったでしょうか」と締めくくった。
音楽家の鋭い感性から見つめた映画音楽、さらには映像と音の相互作用について、
楽しいエピソードを織り交ぜながら、多岐にわたって活躍する両氏ならではの視点で語られる興味深い話が凝縮された1時間となった。
(取材・文:古田智佳子)
投稿者 FILMeX : 2007年11月20日 21:00