11月22日、『テヒリーム』上映後にラファエル・ナジャリ監督を迎えてQ&Aが行われた。「遠くの国の方々に映画を見ていただけて感激です。今までは映画を通して日本を見てきましたが、こうして長い旅路を経てやって来て、自分の足で歩き回れるのが夢のようです」と初来日の喜びを語ったナジャリ監督。前作『アヴァニム』が第5回東京フィルメックスで上映された際には残念ながら来日が実現しなかっただけに、嬉しさもひとしおだったようだ。客席にはプロデューサーのフレッド・ベライシュさんの姿も見えた。
『テヒリーム』で描かれるのは、父親の失踪によって揺れ動く敬虔なユダヤ教徒の家庭。観客からは「あの家庭には宗教的な比喩が込められているのか」「宗教というものがあの家庭にとってどのように作用しているのか」との質問が相次ぎ、宗教や信仰への関心の高さがうかがえた。
「私は特定の宗教について描いたわけではありません。この作品に出てくるのはどこにでもいるような家族です。その平凡な日常生活をみなさんに経験してもいたいと思いました。確かに宗教的な要素は含まれますが、私はあくまでも宗教というものを通して“人間の内的葛藤”という普遍的なテーマを表現したかったのです。登場人物それぞれの行動は正しいものでも間違ったものでもありません。誰もが良いことをしようとしています。ところが互いのコミュニケーションが足りないために衝突し、それぞれの心に葛藤が生じてしまうのです」
「最近の映画における問題点は作り手のメッセージが強すぎること」と語るナジャリ監督。それだけに『テヒリーム』は結論を押しつけない映画、答えを導くのではなく問いを投げかける映画にすることにこだわった。同じことが演出面にも言え、撮影中は何よりも俳優の即興性を大切にしたという。
「脚本らしい脚本はなく、俳優たちにはほぼ即興で演じてもらいました。参加したみんながストーリーを書き直していったという感じでしょうか。もっとも重要なのは、その時々のバイブレーションやムーブメントをつかまえることでした。まるで音楽を作るように映画を作ったのです。私は役者たちの動きに注目すること、耳を傾けることを重視しました。彼らとのコラボレーションを通じて偶然の美を発見したかったのです。20日間足らずというとても短い日数で撮影したので、現場にはカメラが壊れるのではないかというほどの緊張感が漂っていました」
最後に、おそらく観客がもっとも気になるであろう「父親の失踪の理由は?」という質問が飛び出した。
「これは世界中で聞かれる質問です(笑)。彼は世界における自分の立ち位置と和解するためにいなくなくなったのだと思います。実際には愛人を作って逃げたのかもしれませんが、理由は重要ではありません。父親の失踪をきっかけに、あの家族が人生の本質とは何かを考え始めたという点が重要なのです。彼がいなくなったために世界が存在し始めた。ある意味、彼は神のような存在と言えるでしょう。映画が完成した後に気づいたのですが、カメラの視点がまるで神のまなざしのようなんです。言い換えれば、私たちはいなくなった父親の目を通して残された家族を見ていたのかもしれませんね」
(取材・文:今井 祥子)
投稿者 FILMeX : 2007年11月22日 19:00