11月23日、有楽町朝日ホール11階スクエアにて、「イスラエル映画最前線」と題してトークイベントが行われた。ゲストはコンペティション出品作品のイスラエル映画『テヒリーム』のラファエル・ナジャリ監督と、プロデューサーのフレッド・ベライシュさん。近年躍進の著しいイスラエル映画の歴史と現在について、たっぷり語ってもらう貴重な機会となった。
まず司会の市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターがナジャリ監督とベライシュさんを紹介し、「今回のフィルメックスでは『テヒリーム』『ジェリーフィッシュ(原題)』『撤退』と3本のイスラエル映画が上映されます。東京国際映画祭でも『迷子の警察音楽隊』がグランプリを受賞していますし、今年はイスラエル映画の当たり年と言えるでしょう。ナジャリ監督はフランスのご出身ですが、前作『アヴァニム』(第5回東京フィルメックスで上映)もイスラエルで撮影しており、同国の映画史にも詳しい方です」と述べた。
ナジャリ監督は「このような機会を与えていただき感謝します」と挨拶。イスラエル映画の100年について、19世紀の黎明期から語り始めてくれた。
「最初にイスラエルで映画が撮影されたのはトルコの植民地だった1896年、エルサレム駅を出発する列車の映像でした。イギリスが占領していた1920年代には、演劇や映画の文化がイギリス人によってもたらされましたが、ユダヤ人による映画が作られるようになったのは30年代になってからでした。当時はヨーロッパのユダヤ人にとっては苦難の時代で、イスラエルに集まってきたるべき自分たちの国家のために映画を作ろうという機運が高まっていました。1935年にユダヤ人による最初の映画が作られ、“抑圧された民”というイメージを払拭し新しい民族アイデンティティを構築することが目指されました。ソビエト流のドラマティックな演出、エネルギッシュで陰影を強調した作風で、これまで体を持たなかったユダヤ人がイスラエルの地に到着することによって力強い肉体を得た、というメッセージが込められたのです。しかし映画産業が確立されるまでには至らず、教育や演劇の方に力が入れられていました」
その後、第二次大戦による中断を経て、1948年にイスラエル国家の樹立を迎える。
「そのような時代ですが、映画の中で戦争が必ずしも賛美されていたわけではありません。軍人が英雄として描かれることはあっても、戦争や軍隊そのものが賞賛されることはなかったのです。50年代から60年代には多くの映画が作られ、“英雄映画”の流れのひとつのクライマックスが訪れました。新しいユダヤ人が勝利しイスラエル国家を達成する、というイメージを映画によって打ち出そうという政治的な動きと一致したのです。一方で作り手の側から、そのような政治的意図からは逃れようとする動きも生じました。63年に初の商業映画が作られますが、これは政治的な風刺コメディで、民主主義思想が初めてスクリーンに登場したのです。その翌年に作られた「月の中の穴」はアート色が強く、ヨーロッパのヌーヴェルバーグの影響を受けており、クレイジーな程に詩的な作品です。
その後、ヨム・キプール戦争後の状況など、社会問題が多く描かれるようになります。70年代後半には、あらゆる社会問題が映画によって探求されるようになりました。パレスチナや軍隊内部の問題、企業の問題などです。多様なテーマが多様なスタイルによって描かれるようになったのです」
80年代には映画産業が発展し、テーマにも大きな変化が訪れる。この時期の代表的な作品「Behind the Wall」ではアラブ人とユダヤ人の友情が描かれている。「新しいユダヤ人や夢の大地を描く時代が過ぎ、平和を希求する動きが生まれてきたのです」とナジャリ監督。
80年代後半から90年代にはテレビの影響によって観客数が減少し、映画産業は斜陽の時代を迎えるが、これに対して国が映画振興に乗り出したことが最近のイスラエル映画の興隆の要因であるという。そして、映画の中に民主的な欲求が現れるようになってきた。
「従来はある特定の層だけが映画を作っていましたが、人々は自分たちの問題は自分たちで描きたい、と望むようになりました。それぞれの市民が、他の誰かに代わって語るのではなく自分自身を描く、という新しいタイプの映画が出てきたのです。それがグローバルな民主化の結果であるのか、それともイスラエル社会の断片化のあらわれなのかは、問題とされるべきですが。とはいえ、政治的ビジョンを押し付けることがなくなったのは、評価されるべき側面でしょう」
ここでナジャリ監督は、このような歴史を持つイスラエル映画の魅力に注目して欲しいと、日本の観客に向けて強調した。
「私はイスラエル社会の外からやってきた人間です。この5年間、イスラエル映画のありようを理解しようと勉強してきました。この機会にイスラエル映画に興味をもち、人間が抱えるいろいろな問題を発見するヒントとして観ていただきたいと思います。人間的、政治社会的、国際的問題について描いているこれらの映画それぞれが弁証法的にぶつかり合い、何かひとつの表象ということではなく、芸術のより高いレベルに向かっているのです」
また、これらの作品を観る上で重要なポイントを挙げた。「それはアラブ人/パレスチナ人とユダヤ人/イスラエル人の間にはっきりしたナラティブ(物語)の分断があることです。お互いに、それぞれが自分たちだけを描いている。自らの声だけで語るということは、物語性の危機です。かつてはユダヤ人によるアラブ人の表象、あるいはその逆の表象があり得た。政治的分断が物語性の分断を招いているのです」
最後に、女性監督の台頭も最近の重要な潮流だとナジャリ監督は言う。
「2003年以降、女性監督の手で優れた作品が生み出されるようになっていますが、これらは社会を見つめる新鮮な視点を提供しています」
現在のイスラエル映画の抱える矛盾と希望について真摯に語るナジャリ監督に、ベライシュさんが「さまざまな視点が共存しうることが重要」と応じた。
最後に市山Pディレクターがベライシュさんにプロデューサーの立場から一言求めた。
「フランス在住のプロデューサーとして、私は多くの作品をイスラエルと共同製作してきました。フランスの文化省とイスラエルの文化省にあるIFF(イスラエル・フィルム・ファンド)との間で共同製作の協定が交わされているので、非常にやりやすい状況が作られています。相互から提出される企画が実現が容易で、こうして作られた映画はヨーロッパ映画として扱われるのですが、配給もやりやすくなる。フランスで公開されるイスラエル映画はこの5~6年でとても多くなっています」
ベライシュさんは、日本とフランスの間でも同様の協定の締結が目指されているが、ぜひとも実現にこぎつけてほしい、と付け加え、優れた映画が生み出されるためには、国境を越えたさまざまな交流が求められることを強調した。
(取材・文:花房 佳代)
投稿者 FILMeX : 2007年11月23日 20:00