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2007年11月23日 11/23 トークサロン「それぞれのシネマ」柳美里×イ・チャンドン

IMGP3450s.jpg MARUNOUCHI CAFEにて連日開催されているトークサロンも最終日を迎え、第8回東京フィルメックスの審査委員長でクロージング作品『シークレット・サンシャイン(原題)』の監督であるイ・チャンドンさんと、イ監督の大ファンだという芥川賞作家の柳美里さんが対談した。監督も柳さんの作品が韓国で初めて翻訳されて以来の読者とあって、念願の顔合わせが実現する形となり、今回の上映作品の見どころも含めて創作について語ってくれた。

 イ監督には映画制作を始める以前に作家として活躍していた経歴がある。また、今回上映される『シークレット・サンシャイン』で主人公の女性が新しい人生を始めようと移り住む密陽(ミリャン)は偶然にも、柳さんが半自伝的小説『8月の果て』で描いている祖父の出身地であり、なにか不思議な縁を感じさせるふたり。
 柳さんは『オアシス』を観てその斬新さに感銘し、一気にファンになったという。「現実と夢が地続きになっている映像的な美しさと、あと衝撃的だったのは障害者のセックスシーン。それで言葉をなくしたというか、それで衝撃を受けて監督の過去の作品を観たというのがきっかけでした」
 一方、イ監督は「柳美里さんの作品は本当に印象深いです。独特な感性があるのはもちろん、小説のなかに普通ではなかなか見出せないような力を感じます。ずっとお会いしたいと思っていました」と喜びを表した。

IMGP3458s.jpg トークが始まると、まずは最新作『シークレット・サンシャイン』について、柳さんから「『グリーンフィッシュ』では風景がすごく感情的だったんですけども、今回の作品では風景が感情を排しているように見えたんですね。それは監督は意識されたんでしょうか」との質問が。
 これに対してイ監督は「密陽は漢字では秘密の密と太陽の陽と書き、名前だけ見るととても詩的で、何かを象徴しているように思えますが、実際に行ってみると、これといって何もない都市です。その名前と実際の感じにギャップがあってアイロニーを感じさせる。人生にもそのようなところがあるのを描きたいと思い、この街を舞台に人間の人生を描くことにしました。映画というメディアではカメラを使って人生を特別なものとして描くことが可能ですが、今回は逆にそういった要素を排除して撮りたいという意図がありました」
 さらに柳さんはイ監督の映像表現について「映像的に線路で時間がさかのぼるって(『ペパーミント・キャンディ』)こういうやり方もあるんだって思ったり、『グリーンフィッシュ』の最後にガラスで死にかけた男の顔が印象的に出てきたり、衝撃的なセックスシーン(『オアシス』)だったり、そういうのがあるんですけど、今回はそういう意味では技巧を使っていないというか、ノーガードというか、そこがちょっと驚きました」と感想を述べた。
 本作が4作目となるイ監督は、映画作りを毎回新たな挑戦と考えていると話す。「映画を撮るときにはあえてハードルを設定します。そのハードルを観客と一緒に乗り越えることでコミュニケーションを取りたいと思っています」

 柳さんに衝撃を与えた『オアシス』では、障害者の女性と前科者の青年のラブストーリーというある種のタブーを描き、韓国国内で物議を醸した。柳さんが「タブーに踏み込む」ことに対する意識に話題を向けると、イ監督は、「社会的なタブーをわざと盛り込んで問いを投げかける映画もありますが、私が目指しているのはそれではありません」と答えた上で、『オアシス』のテーマはコミュニケーション、つまり相手を理解し受け入れることだと語った。
「醜いものとのコミュニケーションは可能かを問いかけたかったんです。それを極端な形で言い換えると、性欲を感じるか感じないか。醜いとされる障害者を理解し、配慮し、助けることはできるかもしれませんが、性欲を感じることはなかなかないと思います。でも、ソル・ギョング演じるジョンドゥは性欲を感じ、抑えきれなくなってしまう。それを罪悪と決めるのは世の中の秩序であり理性です。ジョンドゥはそういう秩序や理性とは違うところで生きている。『オアシス』に描かれているのは非常に複雑で奇妙なタブーと言えるかもしれません」(イ)
「表現者のなかには世の中のタブーというのはここにある、ここにもあるというふうに見つけて、そこに向かって表現していく人がいる一方で、監督は描きたいことがあって、そのなかにタブーがあるならば、そこに踏むことを恐れないという姿勢がすべてにある気がして、そこが私が好きなところだと思います」(柳)
 イ監督は、現在の映画界に見られる作家主義の芸術映画と商業映画との二極化に言及しつつ、芸術映画の作家も観客とのコミュニケーションをあきらめないことが重要だと話す。「どんな映画であれ自分の作品が観客と出会うための努力を作り手がしなくてはならない。たとえそこにタブーがあるとしても、観客と作り手がタブーを介して、それを越えて両者が出会えるような努力をしていかなければならないと思います」
 柳さんも「日本だと今読まれてるのは携帯小説で、出せば絶対売れるというなかで、私の小説なんかも年々部数が少なくなってきているというのはありますが、やっぱりそこは書くときにはあきらめないですね。自分が書くときはやっぱり読者を信じる」と賛同した。

IMGP3461s.jpg また、イ監督の作品で評価された後、韓国の映画界を代表する存在に成長した俳優や女優が多いことについて、「興行的にいう美男美女を主演にすえているわけではない。ムン・ソリさんもほとんど無名のときだし、今回のチョン・ドヨンさんも有名でもないし、『グリーンフィッシュ』のソン・ガンホさんも無名のときですし、そういう意味ではすごく先見の明がある」と柳さん。
 イ監督は「映画や演劇など創造的な作品を作るときは、どこかで運命的なものが作用すると思います。それは計算して作り出せるものではありません。とくに映画の場合には計算していないことが作用する場合がとても多いし、そういう場面でいちばん重要なのはやはり俳優だと思います。その点で、私はとても恵まれています」と謙虚な意見を述べた。
 チョン・ドヨンがカンヌ映画祭で女優賞に輝いた『シークレット・サンシャイン』は、イ監督にとって4年ぶりの新作。撮影時は勘が戻らず、ぎこちなさを感じたこともあったというが、とくに苦労したのはクライマックスで、技術的な困難のため当初撮影したシーンの出来に納得がいかず、半月かけてシナリオを書き直した上で撮り直したとの裏話を明かした。
 最終的に採用されたクライマックスを観た柳さんは「大きなものを失う人にも日常というものがふりかかっているわけで、日常がだんだん押し寄せてくるというか、日常にいられなくなる、いたたまれなくなる感じがすごいと思って。最後、大きなものを失ってささやかなものを捨てる、大きなものを失ってささやかなものを得るのではなくって、ささやかなものを捨てるんだと。すばらしいラストシーンだと思いました」
 最後に、イ監督は「この作品で描こうとしたのは生きることの意味です。映画を撮るときはいつも、目に見えないものをどう描き出すかを自分に問いかけています。その答えを探すつもりで今回の映画を撮りました。これを見て生きることの意味を考えてもらえれば」とメッセージを残した。
 ひとつひとつの質問に誠実に答えていくイ監督と、熱心に耳を傾ける柳さんの姿が印象的だった最終日のトークサロン。創作活動に対する両者の強い意思と真摯な姿勢が伝わってきた。

『シークレット・サンシャイン』は11月25日、有楽町朝日ホールにてクロージング作品として上映される。


(取材・文:古田智佳子)

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投稿者 FILMeX : 2007年11月23日 21:00



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