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2007年11月24日 11/24 トークイベント「伝説のクンフー・ヒロイン アンジェラ・マオの魅力」(ゲスト:アンジェラ・マオ)

IMGP3699s.jpg 11月24日、有楽町朝日ホール・スクエアでは、映画評論家の宇田川幸洋さんと『アンジェラ・マオ 女活殺拳』のアンジェラ・マオさんを迎え、「伝説のクンフーヒロイン アンジェラ・マオの魅力」と題してトークイベントが行われた。マオさんは88年に映画界を引退してから久しぶりの来日ということで、彼女を一目見ようと会場には多くの熱狂的なファンが集った。

 市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターの紹介で登場したマオさんは、詰めかけたファンの歓声に迎えられ日本語で「こんばんは」と挨拶すると、感極まった様子で声を詰まらせた。「映画界から離れて約30年経った今でも覚えていてくださって、本当にありがとうございます」と一言話すと、こみ上げた涙を拭った。
IMGP3700s.jpg 「(早くに引退してしまわれたので)僕は今回アンジェラさんと初めてお会いできたんですが、夢みたいです。1974年の『女活殺拳』と『暗黒街のドラゴン 電撃ストーナー』のときに来日されていますよね。そのときの思い出ってありますか?」と宇田川さんが問いかけると、「初来日は12歳のときで(このときは京劇の舞台で来日)、2回目が74年です。そのときはまだとても若かったので、右も左もわからなくて。1週間滞在したことを覚えています。今回再びお招きいただきまして、言葉では言い表せられないくらい胸に湧き上がるものがあります。ただただ、ありがとうございます、という気持ちです」と答えた。

 宇田川さんは集まったファンの方に「皆さんはご存知でしょうけど」と前置きしつつ、「アンジェラ・マオさんが日本のスクリーンに登場したのは、73年の『燃えよドラゴン』でブルース・リーの妹役が最初でしたが、その前の71年から香港のゴールデン・ハーベストの重要な女優さんでした。『女活殺拳』以外にも多数の主演作がおありになって、そのDVDのシリーズ10作品が、今度キングレコードから発売されるということで、わたしを含め、ファンの方は大喜びだと思います。当時は“ブルース・リーの闘う妹”というイメージでしたよね」と語ると、マオさんは「この映画の武術指導は全てブルースがやってくれました。現場でも相手役になってくれたんですが、1度だけ稽古中に本気で蹴ってしまったことがあるんです(笑)彼を思い出すと本当に懐かしく、良き友人でもあり、素晴らしい役者だったと思っています」と答えた。
「今回DVDになるゴールデン・ハーベスト時代の作品のほとんどは、サモハン・キンポーが武術指導をしていますよね」という宇田川さんの質問には、「あの当時、彼もわたしも新人で、偶然にもニックネームが同じ“サンマオ(きょうだいの3番目のマオの意)”だったんです。現場では、ファン・フェン監督に「アンジェラ、“サンマオ”って呼ばれてもすぐに返事しちゃだめだよ」って言われていました(笑)その内に監督がサモハンの才能を高く評価して、アクション監督の仕事を任せたんです」と2人の新人時代のエピソードを語った。
 次に、宇田川さんが「『女活殺拳』でもアンジェラさんの兄弟子として登場しているカーター・ワンは、他の作品でもあまり強くない兄役などで登場しています」と話すと、「当時、こういう映画はカンフー映画ではなくアクション映画という認識だったので、(映画の舞台となった)当時の中華民国の状況を表しているんです。ヒロインも大抵弱者でいじめられている。反発のために強くなるという風に描いていたんです」と時代的背景を語った。

IMGP3749s.jpg そして、マオさんが劇中で着用していた衣装についても話が及んだ。「アンジェラさんは他の作品で時代劇の格好などもしていらっしゃるんですが、1番よく似合っていたのは『女活殺拳』でも着ていたようなシンプルなパンツルックですよね。お姫様的なイメージではなく、妹のような庶民的な存在感が印象的でした」(宇田川)
「よく田舎出身の女の子を演じていたので、庶民的な衣装をよく着ていました。民国初期の衣装の特徴といえば、清朝のチャイナドレス風のものをアレンジしたものです。1度もゴージャスなものを着たことはないんです。プライベートでもああいうのは似合うと言われますよ(笑)」(マオ)

 そして、ファンの方が待ち焦がれていたといえるアクション・シーンについての話に突入。「アンジェラさんのアクションは、ほかの女アクション・スターに比べて素早いという気がしますが、武術は何を学んでいらしたんですか?」と宇田川さんが質問すると、マオさんは「6歳で台湾の演技学校に入学し、それから8年間京劇のアクションのようなものを学びました。その後72年に、何人かと韓国でチ・ハンサイ先生(『女活殺拳』にも出演)に弟子入りしました」と語った。その何人かの中にはサモハンも含まれており、「同じように学んできたから、彼と一緒に撮るのは相性がいいのよ」と付け加えた。

IMGP3745s.jpg 続けて「当時、ゴールデン・ハーベストは立ち上がってすぐの新しい会社ですよね。最初のスターがアンジェラさん?」という質問がされると、マオさんは「ええと、それは違います。わたしは台湾出身の最初の、ですね。最初のスターは香港出身のノラ・ミャオです。新人は私たち2人だけで」とにこやかに答えた。
「ゴールデン・ハーベストも最近レイモンド・チョウさんが引退されて、ひとつの時代が終わったという印象ですが、設立当初の雰囲気はどんな感じだったんでしょうか?」(宇田川)
「レイモンドがショウ・ブラザーズから他の2人と独立してすぐで、自分たちの力を試してみたいという雰囲気に満ちていました。昔のオーディションを振り返ると本当に厳しかった。すごく高い壁から飛び降りたりして。わたしも本物のアクションを見せたいと思っていたので、スタントは引退するまで使わなかった。また、当時の映画界は新人女優にとっては生きにくいというか、スキャンダルが色々ある世界でしたが、わたしもノラもいやな思いをしたことは一度もありません。だから、ゴールデン・ハーベストにはとても感謝しています」(マオ)

 最後に引退されてからの生活について。マオさんは25年前にNYに渡り、レストランを経営しているそう。「最初は生活がとても苦しかったんですが、今は子供3人にも恵まれて、中国の家庭料理のレストランを経営しています。昔は厨房にも入っていましたが、今は第一線から退いて、次男の立ち上げた建築会社の手伝いなんかをしています」と語った。

 凛とした雰囲気でハキハキと答えるマオさんの中に、往年のチャーミングさがのぞき、印象的なトークイベントだった。12月1?7日まで、シネマート六本木にて『アンジェラ・マオ復活祭』が行われる。また、『アンジェラ・マオ 女活殺拳』ほかゴールデン・ハーベスト時代の珠玉の10作品がキングレコードから発売される。デジタルリマスター(一部)で甦ったアンジェラ・マオの勇姿を是非この機会にご覧ください。


(取材・文:今坂 千尋)

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投稿者 FILMeX : 2007年11月24日 20:00



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