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2008年11月22日 トークイベント「蔵原惟繕を語る」(『第三の死角』上映後)

kurahara_1122_1.jpg 第9回東京フィルメックスの「蔵原惟繕監督特集」は22日、組織の内外で暗躍する男たちのドラマを描いた社会派作品『第三の死角』で幕を開けた。上映後、蔵原監督の現場をよく知るスクリプターの白鳥あかねさんと、当時日活の企画部で数々の作品を生み出した黒須孝治さんがトークイベントに登場。蔵原監督の傑作誕生に立ち会ったお二人しか知り得ない監督の素顔や作品の背景について、興味深い当時のエピソードを交えながら語った。

ともに早稲田大学を卒業し、日活へ1955年に同期入社したという両氏。「こうして蔵原さんの映画について一緒にトークすることになったのは何かのご縁」という白鳥さんが聞き手となり、和やかな雰囲気で対談が始まった。
 1959年に作られた『第三の死角』は、黒須さんが企画部に配属されて2年目に手掛けた作品。原作者であり、伝記小説で知られる小島直記さんとの出会いについて、「同人雑誌に『死角』と題して掲載された小島さんの小説を偶然目にしたことがきっかけ」だったという。「面白いと思い、小島さんが務めていたブリジストンに会いに行った。映画にしたいと言うとびっくりされていましたが、結果的にこの『死角』が作家・小島直記を生んだのですね」と振り返る。
 『第三の死角』の脚本を手掛けたのは直居欽哉さんと蔵原弓弧さんだが、弓弧さんとは蔵原監督の奥様で、女優の宮城野由美子さんのこと。男っぽい作風で知られる直居さんのそばで、弓弧さんはヒロインに関する描写を手伝った。

kurahara_1122_5.jpg 『キタキツネ物語』や『南極物語』まで、ずっと蔵原作品を担当していく編集の鈴木晄(あきら)さんに話が及ぶと、白鳥さんが監督のあるエピソードを披露した。「蔵原さんは編集が大好きで大好きで。フィルムのにおいを嗅がないと安心できないからと、お家に帰らず編集室に寝泊りしていた」。
 「(企画、脚本、現場という段階で)作品が生まれ、醸成していくのにあわせ、監督は猛々しく変貌していった」と言う黒須さんは、普段は穏やかな蔵原監督が作る激しい作品とのギャップについて、常々不思議に思っていたという。ところが後年、歴史小説執筆に当たり、偶然「蔵原家の先祖を遡ると、阿蘇大宮司家にたどり着く」ことを発見。「南北朝時代に阿蘇惟時という人がいるのですが、足利尊氏と大戦争をしているのです。その権力への反抗心が、DNAとして蔵原監督に残っているのでは」との持論を展開し、観客の興味を引き付けていた。
 石原裕次郎と浅丘ルリ子主演の『憎いあンちくしょう』制作裏話や、日活を離れた蔵原監督がドキュメンタリーに目覚め、『キタキツネ物語』等いわゆる“ネイチャーもの”にシフトしていく軌跡など、話題は尽きることがなく、対談終了の時間となった。
「悪口を言う人を聞いたことがない」(黒須さん)、「現場では激しく、“青鬼”と呼ばれた」(白鳥さん)という蔵原監督の魅力。優しさの中に反骨精神を秘めた計12作品が、30日まで東京国立近代美術館フィルムセンターで上映される。

(取材・文:新田理恵)
 
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投稿者 FILMeX : 2008年11月22日 14:00


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