11月26日、特別招待作品の『ベガス』が、有楽町朝日ホールにて上映された。上映に先立ち、アミール・ナデリ監督の強い希望により、当初は予定になかった舞台挨拶が急遽開催される運びとなった。林 加奈子東京フィルメックスディレクターの紹介を受けたナデリ監督が舞台に登壇すると、会場は大きな拍手に包まれた。上映が終わると、再び監督を迎え、Q&Aがおこなわれた。
監督は「『ベガス』が今までの自分の作品と異なる点は、カラー映画であることと、物語性が強い内容になっていることです。この映画をみなさんに楽しんでいただきたい。また、この作品を観ていただけることに感謝します」と挨拶をした。続けて、ナデリ監督は、「フィルメックスは大好きな映画祭です。自分の作品が映画祭で上映される際には、この上映を誰に捧げるかということを申し上げているのですが、今回の上映は野上照代さんに捧げます。野上さんは日本の映画界における非常に重要な人物です。昨夜、私は野上さんの著作『天気待ち?監督・黒澤明とともに』を読みました。とてもおもしろい本なので、みなさんにもぜひ読んでいただきたいと思います」と話した。元黒澤プロ プロダクション・マネージャーの野上さんは、第9回東京フィルメックスの審査委員長を務めている。
映画のエンド・クレジットが終了すると同時に、場内には拍手が巻き起こっていたが、監督が舞台に現れると、観客は更に大きな拍手でナデリ監督を讃えた。
まずは林ディレクターが、「私は『ベガス』を観て、自分自身についての話のように思いました。(フィルメックスのディレクターとして)一生懸命、映画を観ているけれど、傍目には意味がないことのように見えるのだろうか、(自分は)勘違いをしているのだろうか、なにがいけないのだろうか、そういったことを考えさせてくれるものすごいパワーを、私は(この映画に)個人的に感じたんです」と今作への感慨を述べた。実話がベースになっている『ベガス』は、ラスベガスの砂漠に建つ一軒家に暮す家族の物語である。
フィルメックスではこれまでにも、ナデリ監督の作品を上映している。2002年の第3回開催で『マラソン』を、2003年の第4回開催で『期待』を、2005年の第6回開催で『サウンド・バリア』を、それぞれ上映した。そのことに言及してから、林ディレクターが、「ナデリ監督は、『(自分の作品を)人に観てもらおう。伝えよう』と、とても意識しているように感じますが」と訊ねると、ナデリ監督は、「『ベガス』は自分にとって新しい経験でした。これまでは実験的でパーソナルな映画を作ってきましたが、今回はもっと観客に伝える映画を作りたいと思ったんです」と答えた。更に、ナデリ監督は、「私はイラン人の映画作家で、アメリカのニューヨークに渡り、故郷には帰りませんでした。(ニューヨークで数本の映画を撮ってから)ラスベガスに赴きました。この街は、まったく違う宇宙・惑星のようでした。『ベガス』は、私がラスベガスで実際に聴いた話をもとにした作品です。ラスベガスの風景や資本主義のありよう、家族のありかた、人生、哲学などを、私はとてもアメリカ的だと思っています。だから、『ベガス』は、(アメリカの)先人の映画作家たちが表現した映画のスタイルを借りた作品にしたいと考えました。たとえば、ジョン・フォード監督やラオール・ウォルシュ監督の、アメリカの風景を舞台にした映画。私はアメリカのクラシック作品が大好きです。私は映画の教師をしていて、フィルム・ノワールや過去のあらゆるジャンルの映画について、各地で教えているので、これらの作品をよく知っています。『ベガス』は、イラン人の私が、実験的にではなく、アメリカ文化に真正面から取り組んだ映画になっています」と語った。
続いて、観客からの質問を受けつけた。最初の質問は、「この映画を作ったきっかけを教えてください」というもの。この質問をしたのはイラン人の男性で、ナデリ監督は、「あなたはイランのかたですね」と言って、その男性にほほ笑みかけてから、「私はもともと、ラスベガスで定点観測的な写真を10年間ほど撮影していて、この街には何度も足を運んでいました。ラスベガスというと観光地で有名ですが、(観光地ではない)砂漠の地域に生まれ育っている人々がいて、ギャンブルの中毒になっている人や、世間の出来事に関心のない暮らしをしている人もいます。『ベガス』で描いたような話は、ラスベガスでは日常茶飯事の出来事です。ラスベガスは世界中の人が知っている街なので、この場所について映画を作るのはリスクがあります。ただ、私は『外からラスベガスを見る』という映画を作りたいと思いました。この街の郊外で生まれ育って、ここで子供を産んで育てる家族の物語を描きたかったのです」と答えた。
次の質問は、サウンド(音)に関するもの。「ラスベガスの上空には、ヘリコプターや飛行機が多く飛んでいるので騒々しかったと思うが、どのようにして音を録音したのですか」という質問に、ナデリ監督は、「音と、その編集は、私の映画作りにとって非常に重要です。音の構成に迷いがあったら、私は映画を作ることをスタートしません。ラスベガスの空は飛行機が多く飛んでいるので、ダイレクト・サウンドで音を収録することは非常に困難です。そのため、私は撮影現場のいろいろな場所にマイクを置いて、8トラックや4トラック(いずれもカートリッジ式の磁気テープのこと)などのさまざまな媒体で、音のバランスを調整しながら録音しました。非常に難しい作業でしたが、それらのサウンドを組み立てる作業も私は大好きなので一生懸命やりました」と答えた。
同じ質問者から、「劇中印象的に使われた風鈴の音は、どのようにして録音したのですか」という質問も。ナデリ監督は、「私は映画に音楽を使うことが好きではないのですが、『ベガス』では、風鈴の音が音楽的な効果をもたらしていると思います。この風鈴の音は、風の音を通じて物語を語る、というひとつの方法になっています。音響と音そのもの、空気感、景観、それらすべてがバランスを作りあげて、ある種の交響楽のような効果をもたらしています。『ベガス』の製作費が1ドルだとしたら、そのうちの30セントが音響・音の部分の費用にあたります。約3割ということです」と例をまじえながら答えた。
続いて「劇中で、カメラが俯瞰撮影をしている部分があったが、全体を見渡すショットが撮りたかったのですか」という質問が挙がった。ナデリ監督は、「風景を撮る際に、私はアメリカの古い映画作家たちの手法を参考にしました。ジョン・フォードや、『赤い河』のハワード・ホークスの作品などから、撮影のスタイルを借りています。上空からロング・テイクで俯瞰する撮影は難しく、録音も大変で、(カメラの)角度を調整するために、撮影を何度も中断して対応することになりました。しかし、私はとても楽しんで撮影しました。私はいつも学生のような気持ちで映画を作りたいと思っていて、映画を撮るたびに、新しいやりかた・新しい物語にチャレンジしたいと思っています。『ベガス』はアメリカ映画の先人たちの手法に倣う形でスタートしましたが、撮影していくにつれて、自分自身の独特のスタイルへ移っていきました。アメリカのクラシックな映画の手法と、自分の実験的なスタイルが融合した作品になったと思います」と答えた。
最後の質問は、「これまでにフィルメックスで上映されたナデリ監督の作品で、監督がアメリカに移住してから撮った映画は、(今回の『ベガス』も含めて)いずれも『ものにとり憑かれている人』をテーマにしているように見えました。「イスラム革命前のイラン映画」(第4回東京フィルメックスにて特集上映)で上映された『期待』(1974)を観たときに、アメリカへ渡ってからのナデリ監督の感覚とは違うように感じて驚きました。現在のようなモチーフができたのは、アメリカに渡って生活をしてから思いついたのですか」というもの。この質問に、ナデリ監督はまず、「私はオブセッションを持って生まれてきた男です」と前置きをした。続けて、ナデリ監督は、「イラン時代に、『期待』、『ハーモニカ』、『駆ける少年』、『水、風、砂』といった作品を撮りましたが、原作のある映画以外はすべてオブセッションを題材にしています。私がイランを離れてアメリカへ渡った理由は、このオブセッションを、もっと大きな土俵で表現したいと思ったからです。映画作家になりたいと志した理由のひとつがオブセッションでもあります。昔、私の育ての親である伯母が『簡単な暮らしはつまらない』と言っていて、それで私は人生の困難に立ち向かってチャレンジする映画を作るようになりました。次に撮る作品も、そういう映画にしたいと思っています」と話した。オブセッションについて、ナデリ監督は更に、「映画作りにおける私のオブセッションは、『日常生活』にあります。日常的に思ったことをテーマに深く掘りさげて、それをどのように伝えるか、ロケーション・録音・編集はどのようにするのかを考えます。映画を完成させていく過程で(テーマを)リアルタイムに戻していくわけですが、この作業は、ある種、『悪夢のような時間に戻す』ということになります。私の人生は、『オブセッション』、『チャレンジ』、『いかにリスクを負いながら、やりたいことに向かって前進していくか』という3つの言葉で語ることができます。その結果、多くの金銭・時間・エネルギーを費やすことになって、失うものも多いですが、同時に、得るものも多い。その失うものと得るもののバランスが、現在はとてもよい状態です」と語った。
最後に、ナデリ監督は、「『ベガス』は、映画作家としての私の、ひとつの卒業証書になりました。これからは新しい人生が始まるので、とても嬉しいです。次は、もっと困難で不可能な状況を描いた映画を作ります。カット!」としめくくった。
どの質問にも、真摯で誠実な熱い言葉で回答したナデリ監督。その言葉のひとつひとつから、映画作りに対するナデリ監督の情熱がダイレクトに伝わってきた。予定時間をオーバーして繰り広げられたQ&Aだったが、熱心に聴き入っていた観客は、時間が許すならナデリ監督のお話をもっと聴きたかったという思いを胸に、会場をあとにしたことだろう。
(取材・文:川北紀子)
投稿者 FILMeX : 2008年11月26日 22:00