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Special Program (2) Filmmaker in Focus: SOMAI Shinji






Luminous Woman / Hikaru Onna
1987 / 118 min.
©1987 ヤングシネマ'85共同事業体/角川映画

[Introduction]
A burly man from the wilds of Hokkaido arrives in Tokyo on the trail of his fiancée, but meets a nightclub diva who has lost the ability to sing, and the two find themselves drawn to each other... This unconventional love story employs powerful imagery in a daring attempt to visualize the contrast between people who live in concert with nature, and those who live in urbanized civil society.















SOMAI Shinji

Born in 1948 in Morioka City, Iwate. Dropped out of Chuo University's Faculty of Law in 1972, and joined Nikkatsu Studio as an assistant director on a contract basis. Later went freelance, and worked as an assistant director to filmmakers such as HASEGAWA Kazuhiko and TERAYAMA Shuji. Made his directorial debut with "Tonda Couple" in 1980. His second effort "Sailor Suit and Machine Gun" (81) was a huge hit and one of the year's leading Japanese films. These two works were both commercial films starring YAKUSHIMARU Hiroko, but his unique style characterized by bold camerawork with heavy use of long takes and exacting direction of his actors caused a sensation among cinephiles. Participated in the establishment of Directors Company in 1982 at the request of HASEGAWA Kazuhiko. Subsequently directed such celebrated films such as "The Catch" (83), "P.P. Rider" (85) and "Yuki no Dansho ? Jonetsu" (85). His sole Nikkatsu Roman Porno softcore erotic film "Love Hotel" (85) was also greeted with high acclaim. That same year, his "Typhoon Club" won the Young Cinema Grand Prize at the first Tokyo International Film Festival, and was lauded by juror Bernardo BERTOLUCCI. It was also released in other countries including France and the United States, generating overseas recognition of SOMAI's talents. In 1993, his "Moving" was screened in the Cannes Film Festival's Un Certain Regard section. "Wait and See" (1998) was selected for the Panorama section of the Berlin International Film Festival, and won the FIPRESCI Award. It was also ranked first in Kinema Junpo magazine's best ten list for that year. In 2001, his "Kaza Hana" was screened in the Berlin International Film Festival's Forum section. Later that year he began preparations for his next film, but died suddenly of lung cancer on September 9th at the age of 53. SOMAI's 13 works continue to provide inspiration to many filmmakers.












11/24『光る女』トークイベント/ 武藤 敬司・三枝 成彰
from ブロードキャスト 2011/11/27


11/24『光る女』トークイベント/ 東劇
武藤 敬司 (プロレスラー)
三枝 成彰 (作曲家)
 
 
Luminous Woman / Hikaru Onna
1987 / 118 min.
Director: SOMAI Shinji
©1987 ヤングシネマ'85共同事業体/角川映画





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『光る女』トーク(ゲスト:武藤敬司さん、三枝成彰さん)
from デイリーニュース2011 2011/11/24

1124hikaru_01.jpg第12回東京フィルメックスの特集上映として東銀座・東劇で、「相米慎二のすべて〜1980-2001 全作品上映〜」と題し、没後10年を迎えた相米慎二監督の全13作品上映が行なわれている。残り2日となった11月24日には『光る女』(87)を上映。終了後には主演を務めたプロレスラーの武藤敬司さん、作曲家の三枝成彰さんによるトークショーが開催された。市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターを聞き手に、相米監督との思い出を語っていただいた。


三枝さんは相米作品では『魚影の群れ』(83)、『台風クラブ』(85)、『光る女』(87)、『お引越し』(93)と4作品の音楽を担当しているが、相米監督との出会いについては「打ち合わせをしたいから、青森県の大間に来てくれないか?」と連絡があり、当時撮影中だった『魚影の群れ』の現場を訪れたのが初対面だったという。その際に、リハーサルに時間をかけることや、俳優陣に明確なアドバイスをせず「何となく」としか口にしない相米監督に驚いたとか。


1124hikaru_02.jpg一方武藤さんは当作品が俳優デビュー作であり、出演経緯について市山Pディレクターから質問されると「早く先輩たちに追いついてプロレス道を極めたいのに、未熟な自分が映画に出演してもいいのか?と思っていました」と当時の複雑な心境を説明。「まだ髪もフサフサしていて、髭も黒いしジャニーズ系レスラーと言われていた頃ですね」と武藤さん。また、相米作品独特の撮影方法については、映画初出演だからこそ違和感なく入れたそう。「リハーサルだけで撮影しない日が殆どだったので、セリフは現場で覚えていたし、これが普通だと思っていたんです」。ところが、別のドラマの撮影でセリフを覚えて行かなかったらスタッフにひどく怒られ、それをきっかけに(俳優業ではなく)プロレス道に邁進できた、と語ると、会場は笑いに包まれた。


1124hikaru_03.jpgまた相米監督と音楽について、「彼はオペラを私以上に聴いていて、音楽にこだわりのある人だった」と三枝さん。『光る女』では主人公の歌声を担当する女性を決めるのに、オーディションから300人の歌手をスタジオに呼んでレコ―ディングまでする徹底ぶりだったとか。「サントリーホールも無料で借りたのに、九段会館で撮り直したり。実は膨大な無駄の上になりたっている映画ですよ」と語った。また、三枝さんと相米監督はプライベートでも親交が深く、一緒にドイツのバイロイトへオペラ鑑賞旅行した際「実はホテルで大きなチューリップ型ダブルベッドの部屋に案内されて、自分は慌ててフロントにもう一部屋と頼んでいるのに、と言いに行ったらフロントの女性にウィンクされるし、彼は「俺は一緒でもいいよ」と言うし」と、珍道中となったエピソードを披露してくれた。また、相米監督は誰に対しても気遣いに溢れた優しい人だったと語り「そんな彼だから、とにかく女性にモテましたね。あんなにモテる男は見たことない」と三枝さん。


ここで、市山Pディレクターから撮影現場での相米監督について聞かれると武藤さんは、とにかく厳しかったので「この野郎」と思っていたとか。完成作品を観た際にも「北海道で撮影した雪上でのシーンは3週間もかけたのに、一番ハードな部分が全部カットされていたんです」と話し「自分が出ていたシーンは全体的に暗くて、ラストシーンは明るく撮ると監督は言ってましたが、自分はもう暗い気持ちでいっぱい。撮影をボイコットしてやろうと、ホテルまで走って逃げたんですよ」。現役バリバリの武藤さんは助監督を振り切って逃げたものの、最終的には現場に連れ戻されたという衝撃のエピソードも。


三枝さんはギャラをもらった記憶がないと話し、『台風クラブ』では「音楽に充てられるのは20万円だけ」と言われ「作曲料?」と聞き返すと演奏料、スタジオ代、ミキサー代など諸経費全て、と言われて愕然としたというが「彼と一緒に仕事をして、楽しい思い出しかないし尊敬もしている。特に『光る女』のラストシーンは今見ても斬新。亡くなったのは本当に寂しいですね」。


最後に相米作品の魅力について問われると「普通の手段で制作された映画とは違う」と三枝さん。特に『台風クラブ』以降は、セリフがあるようでない映像だけの世界に近いと話し「基本的な映画と筋道の立て方が異なるし、不思議な世界を創り出している。けれど、当時ではわかりにくかったのかも知れない」と、当時商業的にヒットしなかったことを残念がった。ご自身が一番気に入っているのは『お引越し』のヒロインが山の中をさまようシーンで「あのシーンは相当に練られているし、音楽も何度も書き直しと言われた」とか。また相米監督は幼少期、「泣き虫でいじめられっ子」だったというエピソードも明かし、お二人の親交の深さが伺えた。一方、武藤さんは、『光る女』の格闘技シーンについて、「今で言えばPRIDEなどの異種格闘技戦。先見の明があり過ぎたというか、感性が早すぎたのかもしれませんね」と語った。
お二人の楽しいトークは、終始笑いに包まれ予定時間を過ぎても尽きることなく続いた。


(取材・文:阿部由美子、撮影:永島聡子)

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