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『お引越し』トーク(ゲスト:田畑智子さん)
from デイリーニュース2011 2011/11/20
第12回東京フィルメックスの特集上映として東銀座・東劇で、「相米慎二のすべて〜1980-2001 全作品上映〜」と題し、没後10年を迎えた相米慎二監督の全13作品上映が行なわれている。11月20日には女優・田畑智子さんのデビュー作となった1993年の『お引越し』を上映。終了後、小学生らしい生き生きとした演技で初主演を飾った田畑さんのトークショーが行われ、市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターを聞き手に、撮影当時の思い出話などを語っていただいた。
大きな拍手に迎えられて壇上に上がった田畑さん。まず、『お引越し』撮影当時11歳だった田畑さんが起用に至った経緯について語ってくれた。「京都出身なんですが、実家が祇園の料亭だったので、時々お座敷に挨拶に行くことがあったんですよ。ある時、いつものように挨拶に伺うと、そこにいたのが相米監督で...。後になってオーディションに呼ばれました」。このオーディションに合格して8,000名を超える応募者の中からの大抜擢となるが、それまで演技の経験はなく、人前に立つことは苦手。出演が決まった時は、「なんで私なんだろう?と...。正直、悩んだし、訳が分からなかったです」と当時の素直な心境を明かしてくれた。
田畑さんが小学生だったこともあり、撮影が行われたのは学校が夏休みの7月~8月の一ヶ月あまり。相米監督の現場は、当時から厳しいという定評があったが、そのことについては、「今考えても、あれほど辛い現場はありません。監督は、いつも竹刀持って歩いてるんです。あれで叩かれるのかと思って逃げてましたね。いつも名前じゃなくて"ガキンチョ"とか"タコ"とか呼ばれて。毎日、泣いてました。演技についても"もう一回"と言うだけで、"どこが悪い"と具体的には言ってくれないんです」
相米監督の撮影現場の厳しさが如実に表れているのが、田畑さん演じる主人公レンコが一晩中山の中を歩き続ける場面。「あれは、何日かに分けて色々な山で撮影したんですけれど、台本になかった部分があったり...。ここは登れないだろう、というような急な斜面もあって、泥まみれで大変でした」
撮影時の苦労は相当なものだったようで、終わった後は「二度とやるもんか」と思ったという。それでも、作品が公開されるとカンヌ国際映画祭「ある視点」部門への出品を始め、数々の賞を受賞するなど、自分の存在が認められたことが嬉しくて、一年ぐらいたって「やってみようかな」という気になったことが、女優・田畑智子の第一歩となった。
そんな思いをしてまで作り上げた映画だが、完成作品については公開時に見たきりで、つい最近まで見直すことはなかったという。それでも、「見直してみて、セリフを全部今でも覚えていたことにビックリしました」と、20年近く前のデビュー作が残したものの大きさを感じさせた。
最後に、相米監督との思い出については、「この仕事を長くやってきて、相米監督の偉大さ、相米作品に出られたことが宝物だということが、ようやくわかってきました。この人がいなければ、この世界にもいなかったと思うんです。すごいものに出させてもらったという感じで、自分の財産ですね」と、懐かしそうに語ってくれた。
その後は皆さんもご存知のように、NHK連続テレビ小説『私の青空』を始め、数々の映画やドラマに出演し、第一線で活躍を続けてきた田畑さん。最近では『月刊 NEO 田畑智子』や新進気鋭の入江悠監督と組んだショートムービー『KAZUKO'S CASE』などで話題を集めている。そのすべてが、相米監督との偶然の出会いから始まったことについて、市山Pディレクターは、「こういうことが起こるのが映画だなという気がしています」と驚きを交えて語った。
「相米慎二のすべて〜1980-2001 全作品上映〜」は11月25日(金)まで連日、東劇にて開催されている。皆さんもぜひ足を運んで、そんな奇跡のような一瞬を発見してほしい。
(取材・文:井上健一、撮影:永島聡子、村田まゆ)
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