Nightfall
1904年11月12日フランス・パリ生まれ。映画監督のモーリス・トゥールヌールと女優のフェルナンド・ペティーの間に生まれる。
1914年、父と共に渡米し、モーリスのスクリプターを務める。1928年に帰国し、1933年までの間、父の映画に編集や助監督として参加する。1931年に初監督作品「Tout ça ne vaut pas l'amour」を製作した。
1934年に再度渡米し、ハリウッドのMGMに所属。第二監督として『二都物語』(1935)に参加。以降、短編を含むいくつかの作品を監督する。
1941年にRKOに移籍し、1942年には、後にヒューゴ賞にノミネートされるヴァル・リュートンと初めてコンビを組み、『キャット・ピープル』を監督。この作品はヒロインの異常な心理状況を描いた古典的サイコホラーの1本として、ターナーにとって最初の代表作となる。その翌年には『私はゾンビと歩いた!』を監督している。この二つの作品と『レオパルドマン 豹男』(1943)を加えた3作品は、カイエ・デュ・シネマ誌でターナーとリュートンによって作られた「衝撃的な恐怖の三部作」として紹介されており、『市民ケーン』(1941)と『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942)の興行的な失敗によって傾いていたRKOの経営を立て直すこととなった。
1944年に監督し、グレゴリー・ペックの初出演作品となった『炎のロシア戦線』はナチスと戦うロシアのゲリラを描き、時代の風潮と相まってアカデミー賞最優秀視覚効果賞にノミネートされるなど高い評価を受けた。1948年にRKOとの契約が切れ、フリーの映画監督となる。
1951年の『女海賊アン』や1956年の『夕暮れのとき』などフリーとなってからも作品を多く製作した。1965年公開の『深海の軍神』を最後に引退し、フランスのベルジュラックに居を構え、1977年12月19日に73歳で死去するまでそこで余生を過ごした。
没後40周年を迎える2017年にはスイスで開催された「第70回ロカルノ映画祭」で、レトロスペクティヴとして長編・短編併せて47作品が上映された。