» 東京フィルメックス・コンペティション


» 特別招待作品


» 特集上映『限定!川島パラダイス♪』


» 特集上映『相米慎二のすべて -1980-2001全作品上映-』


» 『翔んだカップル』
» 『セーラー服と機関銃』
» 『ションベン・ライダー』
» 『魚影の群れ』
» 『台風クラブ』
» 『ラブホテル』
» 『雪の断章 -情熱-』
» 『光る女』
» 『東京上空いらっしゃいませ』
» 『お引越し』
» 『夏の庭 The Friends』
» 『あ、春』
» 『風花』


» 特集上映『ニコラス・レイ生誕百年記念上映』


» バリアフリー


» 賞・審査員


» 応募用紙、規約


» 『タレント・キャンパス・トーキョー』


» 『えいがのじかん』




特集上映「相米慎二のすべて ~1980-2001全作品上映~」






『お引越し』 Moving
1983 / 118分
©1993 讀賣テレビ
出演:中井貴一、桜田淳子、田畑智子

【作品解説】
離婚寸前の両親の間に揺れ動く少女が、自分の中の少女と決別する瞬間を描いた傑作。大人不在の世界で少年や少女があてどもなく彷徨い、その結果成長するという極めて相米的なモチーフが、最も高い完成度で結実した作品でもある。93年のカンヌ映画祭「ある視点」部門で上映された。





相米慎二

1948年、岩手県盛岡市に生まれる。71年、中央大学文学部を中退し、日活撮影所に契約助監督として入所。その後フリーとなり、長谷川和彦、寺山修司らの助監督をつとめる。80年、『翔んだカップル』で監督デビュー。続く第2作『セーラー服と機関銃』(81)はその年の日本映画を代表する大ヒットを記録する。これら2作品は薬師丸ひろ子を主演に迎えた商業映画であったが、長回しを多用した大胆なカメラワーク、また俳優に対する厳しい演技指導など、独特のスタイルが映画ファンの間で大きな話題を呼ぶ。82年、長谷川和彦の呼びかけによってディレクターズ・カンパニーの設立に参加。その後も『魚影の群れ』(83)、『ションベン・ライダー』(83)、『雪の断章-情熱-』(85)などの話題作を監督。唯一のにっかつロマンポルノ作品である『ラブホテル』(85)も高い評価を受けた。85年に開催された第1回東京国際映画祭では『台風クラブ』がヤングシネマ大賞を受賞、審査員をつとめたベルナルド・ベルトルッチに絶賛される。同作品はフランスやアメリカなど海外でも公開され、相米慎二の海外での評価のきっかけとなる。93年、『お引越し』(93)がカンヌ映画祭「ある視点」部門で上映。『あ、春』(98)はベルリン映画祭パノラマ部門に選ばれ、国際批評家連盟賞を受賞。同時にキネマ旬報ベストテンの第1位に選出される。2001年には『風花』がベルリン映画祭フォーラム部門で上映。その後新作の撮影に向けて準備を行っていたが、同年9月9日、肺がんにより53歳の若さで急逝。その13本の監督作品は多くの監督たちに影響を与え続けている。












11/20『お引越し』トークイベント/田畑智子
from ブロードキャスト 2011/11/20


 
11/20『お引越し』
トークイベント/東劇

ゲスト: 田畑 智子(俳優)
聞き手:市山 尚三(東京フィルメックス・プログラムディレクター)
 
Talk Session / Togeki
Guest: TABATA Tomoko (Actress)
MC: ICHIYAMA Shozo (TOKYO FILMeX Program Dorector)

----- * ----- * ----- * ------
『お引越し』
1993 / 118分
監督:相米慎二
 
Moving / Ohikkoshi
1993 / 118 min.
Director: SOMAI Shinji





新情報は順次、追加されます。


『お引越し』トーク(ゲスト:田畑智子さん)
from デイリーニュース2011 2011/11/20

1120tabatomo_01.jpg第12回東京フィルメックスの特集上映として東銀座・東劇で、「相米慎二のすべて〜1980-2001 全作品上映〜」と題し、没後10年を迎えた相米慎二監督の全13作品上映が行なわれている。11月20日には女優・田畑智子さんのデビュー作となった1993年の『お引越し』を上映。終了後、小学生らしい生き生きとした演技で初主演を飾った田畑さんのトークショーが行われ、市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターを聞き手に、撮影当時の思い出話などを語っていただいた。


大きな拍手に迎えられて壇上に上がった田畑さん。まず、『お引越し』撮影当時11歳だった田畑さんが起用に至った経緯について語ってくれた。「京都出身なんですが、実家が祇園の料亭だったので、時々お座敷に挨拶に行くことがあったんですよ。ある時、いつものように挨拶に伺うと、そこにいたのが相米監督で...。後になってオーディションに呼ばれました」。このオーディションに合格して8,000名を超える応募者の中からの大抜擢となるが、それまで演技の経験はなく、人前に立つことは苦手。出演が決まった時は、「なんで私なんだろう?と...。正直、悩んだし、訳が分からなかったです」と当時の素直な心境を明かしてくれた。


1120tabatomo_02.jpg田畑さんが小学生だったこともあり、撮影が行われたのは学校が夏休みの7月~8月の一ヶ月あまり。相米監督の現場は、当時から厳しいという定評があったが、そのことについては、「今考えても、あれほど辛い現場はありません。監督は、いつも竹刀持って歩いてるんです。あれで叩かれるのかと思って逃げてましたね。いつも名前じゃなくて"ガキンチョ"とか"タコ"とか呼ばれて。毎日、泣いてました。演技についても"もう一回"と言うだけで、"どこが悪い"と具体的には言ってくれないんです」


相米監督の撮影現場の厳しさが如実に表れているのが、田畑さん演じる主人公レンコが一晩中山の中を歩き続ける場面。「あれは、何日かに分けて色々な山で撮影したんですけれど、台本になかった部分があったり...。ここは登れないだろう、というような急な斜面もあって、泥まみれで大変でした」
撮影時の苦労は相当なものだったようで、終わった後は「二度とやるもんか」と思ったという。それでも、作品が公開されるとカンヌ国際映画祭「ある視点」部門への出品を始め、数々の賞を受賞するなど、自分の存在が認められたことが嬉しくて、一年ぐらいたって「やってみようかな」という気になったことが、女優・田畑智子の第一歩となった。

そんな思いをしてまで作り上げた映画だが、完成作品については公開時に見たきりで、つい最近まで見直すことはなかったという。それでも、「見直してみて、セリフを全部今でも覚えていたことにビックリしました」と、20年近く前のデビュー作が残したものの大きさを感じさせた。


1120tabatomo_03.jpg最後に、相米監督との思い出については、「この仕事を長くやってきて、相米監督の偉大さ、相米作品に出られたことが宝物だということが、ようやくわかってきました。この人がいなければ、この世界にもいなかったと思うんです。すごいものに出させてもらったという感じで、自分の財産ですね」と、懐かしそうに語ってくれた。

その後は皆さんもご存知のように、NHK連続テレビ小説『私の青空』を始め、数々の映画やドラマに出演し、第一線で活躍を続けてきた田畑さん。最近では『月刊 NEO 田畑智子』や新進気鋭の入江悠監督と組んだショートムービー『KAZUKO'S CASE』などで話題を集めている。そのすべてが、相米監督との偶然の出会いから始まったことについて、市山Pディレクターは、「こういうことが起こるのが映画だなという気がしています」と驚きを交えて語った。


「相米慎二のすべて〜1980-2001 全作品上映〜」は11月25日(金)まで連日、東劇にて開催されている。皆さんもぜひ足を運んで、そんな奇跡のような一瞬を発見してほしい。


(取材・文:井上健一、撮影:永島聡子、村田まゆ)

1120tabatomo_04.jpg 1120tabatomo_05.jpg 1120tabatomo_06.jpg





Back ←↑ Top



第12回東京フィルメックス・チラシ(PDF) » 閲覧用 » 印刷用 » 「川島雄三監督、相米慎二監督特集上映チラシ」(PDF) » 『ビバ!ナデリ』チラシ(PDF)
お問い合わせ プライバシーポリシー リンクについて プレス



KEIRIN.JP 夢への補助輪 本映画祭は財団法人JKAによる「競輪公益資金」の補助を受けて開催します。

© TOKYO FILMeX 2011