11月23日、有楽町朝日ホールにて特別招待作品フィルメックス・クラシック『ザーヤンデルードの夜』が上映された。1990年のテヘラン・ファジル映画祭で上映されたものの、検閲でネガが没収され、永らくイラン国内外を問わず見ることのできなかった幻の映画だ。上映後のQ&Aに登壇したモフセン・マフマルバフ監督は、「今夜の上映は、日本とイラン映画の橋渡しに貢献してきた、ショーレ・ゴルパリアンさんに捧げたい」と当日の通訳を務めたショーレさんを紹介した。
人類学者の父と救急病棟で働く娘のたどる運命を3つの時代にわたって描き、1978年のイスラム革命の意味を鋭く問う本作。制作の経緯を市山尚三プログラム・ディレクターから尋ねられると、マフマルバフ監督は自身の体験が契機になったと語った。17才の時、体制への反対運動で逮捕された監督は、その5年後に人々の考えが変化し、同じ広場で革命の暴動が起きたことに驚く。さらに10年後、同じ場所で交通事故に遭った人を皆が素通りする光景を目にした。「なぜ革命では助け合ったイラン人が、事故では助け合わないのか。その心の変化はどこにあるのか。それがこの映画の問いです」。作中では、革命前と革命後のイランの体制の変化も説明されている。「もし政治に1つの問題があれば、その背景にある文化には10の問題があると思った方が良い」とマフマルバフ監督は警告する。「私はこの映画をイラン人の姿を映す〝鏡〟として作りました。彼らに〝自分たちの姿を見てみろ〟と言いたかったのです」と作品の狙いを語った。
続いて、会場との質疑応答に移った。
観客が「映画で人を変えることはできるか」と問いかけると、「変えられると思います。ただし、人々を映画館に連れてくる方が難しい」とマフマルバフ監督。「もし映画館に人を集めることができれば、そこは小さな社会となります。人は一緒になると気持ちが変わることもあるので、社会に変化を起こすこともできます。なぜなら、映画が映し出すものは、真実そのものだからです」。
実例として、アフガニスタン難民の教育問題を描いたドキュメンタリー『アフガン・アルファベット』(02)を挙げ、法律を変えたことを紹介。学校へ行けなかった70万人の子どもたちのうち、50万人が学校へ行けるようになったという。
「気持ちを込めて正直に作れば、人に伝わると思います。100年以上の映画の歴史の中で、映画は私たちを随分変えてきました。お互いを知ることができたのは、映画のおかげだと思います。私たちが日本人のことを理解できるのは、黒澤明、小津安二郎の映画を見てきたから。私たちを一つにするのが映画の力だと思います」。そして観客に向けて、「映画があなたたちを変えることができると思ったら、Yesと言ってください」と投げかけると、客席からは「Yes」という力強い言葉とともに大きな拍手が送られた。
次に、日本在住のイラン人の観客から「私は事故に3回遭いましたが、その度に人に助けてもらいました。映画の中で、人々が手を貸さなかったのは、イランの法律で規制があるから。その説明があった方が良いのでは」と問われると、「私は法律だけでなく、人々にも責任があると思うのです。映画の中では、イランの体制も民衆も両方批判しました。確かにイランの法律では、事故に遭った人に触れた場合、警察に連れて行かれて2日くらい、拘束されるかもしれません。でも私はやはり、人間として助けるべきだと思います」と話した。
さらに「映画祭にお礼を申し上げたい」として、「こうして皆で集まって文化の話をできる場はとても貴重です。皆さん、もっと家族や友人を連れてきてください。なぜなら、こういう集まりは脳のヘルシーフードだからです。私たちはこういう健全なところで、健全な映画を見なくてはいけないんです」と語ると、会場から自然と拍手が湧き起こった。
そして、「イラン映画の父」として客席にいたアミール・ナデリ監督を紹介。ナデリ監督の『山〈モンテ〉』の上映を前に、マフマルバフ監督は「皆さん、必ず1人は連れてきてくださいね」と呼びかけた。まだ多くの手が挙がっていたが、ここで時間となり質疑応答は終了。大勢の観客が詰めかけた客席からは、大きな拍手が送られた。
(取材・文:宇野由紀子、撮影:明田川志保、伊藤初音)