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トークイベント「カトリエル・シホリが紐解くイスラエル映画の現在」

_t2a345511月23日、有楽町朝日ホール11階スクエアBにて、「カトリエル・シホリが紐解くイスラエル映画の現在」と題したトークイベントが開催された。特集上映「イスラエル映画の現在」の一環として行われたこのイベントでは、NGO「イスラエル・フィルム・ファンド」でエグゼクティブ・ディレクターを務めるカトリエル・シホリさんが、世界中の映画祭で受賞が続くイスラエル映画の歩みをレクチャー。会場は多くの聴衆で賑わった。

1960年代後半に軍を除隊したシホリさんは、ニューヨーク大学で映画製作を学び、73年に帰国。現場で映画製作に携わるが、1年365日のうち280日もの間、現場にいたことから、“セット・アニマル”とまで呼ばれるようになった。5年後に自ら製作会社を立ち上げるが、イスラエルの長編映画産業が危機的状況に陥った99年、映画産業を救うため、製作会社を離れて今の仕事に就いたという。

シホリさんがまず語ったのは、イスラエルの映画産業の歴史。
イスラエルは1948年に建国されたが、当初、指導者たちが映画やテレビの力を信じていなかったため、68年まで国内にテレビが存在しなかった。映画の製作本数も、建国から60年代まででわずか15本という有様。
そんな状況を一変させたのが64年。アメリカのアカデミー賞外国語映画賞にイスラエル映画『サラー・シャバティ氏』(エフライム・キション監督、第13回東京フィルメックスで上映)がノミネートされたのだ。これを転機として、イスラエルの映画界に民間資金で映画製作を行なう新しい製作者たちが登場。荒唐無稽なコメディ映画が人気を集める一方で、イスラエル映画の多様性を示す映画も登場するようになった。

img_282774年には初の映画学校が設立され、ようやく国内で映画製作を学ぶことが可能になる。それと同時に、それ以前の外国で映画製作を学んだ世代が、映画産業の発展に貢献。「やがて、もっとパーソナルな映画や多様性のある映画を作りたいという志向が生まれ、79年に映画製作を支援するイスラエル・フィルム・ファンドが設立されました」
こうして、80年代にはシホリさんたちの世代が活躍して、政治的な色合いの強い映画が多数製作されたが、90年代中盤以降、イスラエル映画は観客を失い、世界の映画祭からも姿を消す。「その理由はいくつもありますが、アメリカ人によると“ヘソを覗き込むような映画”つまり内向的な映画が増えすぎたからではないかと言われています」

どん底を経験したのが98年。映画界全体のチケット販売枚数1000万枚のうち、イスラエル映画は年間でわずか3万6千枚しか売れなかった。シェア0.3%という惨状で、政府の支援を失うかもしれないという危機的状況に陥った。

このような状況下、99年にイスラエル・フィルム・ファンドで働き始めたシホリさんは、新たな機会を得ようと、映画製作に対する支援の方針を見直す。
「イスラエルは非常に多様な出身地からの移民で構成されている国家です。それまでそれぞれの文化は、映画に十分に反映されていませんでした。ファンドを彼らに対してオープンにしたことが、新しい才能の発掘に繋がったと思います」
続けて「個人的な信念ですが」と前置きして、映画製作ファンドの使命を次のように語った。「公的な資金には、リスクを負って新しいチャンスを与える役割を果たす必要があると思います。私たちが支援する映画の40%は初監督作品です」

img_0169さらに話題は、監督たちがどこから映画の題材を得るかという点に及んだ。イスラエル映画には、文学などを映画化したいわゆる“原作もの”が非常に少ない。その理由は、「監督たちがそれぞれ色々な経験を持っているので、自分たちの体験から題材を見つけるからです」

イスラエルでは長い間、紛争が続いており、国民に兵役が義務付けられている。そのため、軍隊経験を元にした映画が多い。その他にも宗教を巡る国内の紛争、多数の移民が存在することによる民族間の葛藤、外国人労働者の問題など、様々な問題が映画の題材になる。

「そういった状況に対して、ファンド側は政治的な志向は持たず、助成する映画に対して“こういう映画を作るべき”といった条件を指定することもありません。自由に応募してきた映画の中から選んで助成しています」

さらに、イスラエルの映画市場についても言及。総人口850万人のうち、潜在的な映画人口はおよそ650万人。映画館など映画を見る環境は充実しており、98年に0.3%だったイスラエル映画のシェアは、シホリさんたちの努力の結果、2004年には14%まで回復した。

「7,8年前に聞かれたら自信ありませんでしたが、今はイスラエル映画が独自の言語を見つけ出すことに成功したと確信しています」多額の予算を必要とするアクション映画などの製作は難しいが、力強いセリフや演技力の高さは素晴らしいものがある、と自信を見せた。

続いて、イスラエル映画の成功の秘訣を三つ挙げた。「ひとつは素晴らしいストーリー。二つ目は、新しい才能を持つ監督たちが、映画学校から出てきていること。三つ目は、決められたスケジュールと予算内で作品を完成させる卓越したスキルを持つプロデューサーたちの存在です」

こうして、国際的には国家としてのイスラエルに対して反発もある中で、イスラエル映画は世界中の観客の心を掴み、アカデミー賞外国語映画賞に4度ノミネート。さらに、『戦場でワルツを』(08、第9回東京フィルメックス最優秀作品賞)がゴールデン・グローブ賞を受賞し、『レバノン』(09)がヴェネチア国際映画祭金獅子賞に輝くなどの成果を得ることができた。

ただし、評価の高い映画でもイスラエル単独で製作費を賄うことは難しく、ある程度の規模を持つ映画はカナダやヨーロッパ諸国との合作が中心。統計によると、すべてのイスラエル映画の製作費の1/3は海外から得ているとのことで、イスラエルの映画界にとって国際共同制作は重要な位置を占めているという。

(取材・文:井上健一、撮影:明田川志保、伊藤初音)

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