11月22日(水)、有楽町朝日ホールにて『馬を放つ』が上映された。騎馬遊牧民の伝統が息づくキルギスに古くからつたわる伝説を信じ、夜中に馬を盗んでは野に放つ男を描く。上映後のQ&Aには、アクタン・アリム・クバト監督が登壇した。
最初に、市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターより制作の経緯を尋ねられると、クバト監督は「実話を基に作った映画」だと説明。生まれ故郷の村で素晴らしい馬が盗まれるという事件が続けて起こったが、犯人がなぜ馬を盗んだのか、最後までわからなかったのだという。この話をプロデューサーのチェドミール・コラールさんに相談したところ、「きっと素晴らしい映画になる」と言われ、脚本の執筆を開始。映画は劇的な出来事が必要なため、なぜ男は馬を盗んだのか、その理由を掘り下げ、ストーリーを肉付けしていったのだという。
この日、会場にはタレンツ・トーキョーの講師として偶然招待されていたコラールさんの姿もあった。今月21日に今年のヨーロッパ映画賞のコー・プロデューサー賞を受賞した名プロデューサーだ。
観客からの最初の質問は、『旅立ちの汽笛』(2001)と同じく、アヒルが登場した理由について。クバト監督は、「皆さんも笑ってくださいましたけど、アヒルはユーモラスな動物だと思うから。それに『ローマを救った鳥』ともいわれているので、自分の映画でも同じストーリーを作ろうと思って入れました」と答えた。
主人公はかつて映写技師で、映画館だった場所はイスラム教のモスク(礼拝堂)になったという設定がある。観客から「一部のイスラム教の宗派は、映画を偶像として排斥していると聞きますが、キルギスでも実際に起きていることでしょうか?」と問われると、「旧ソビエト時代には村にも小さな劇場がありましたが、ソビエト崩壊後はイスラム教のモスクに変わり、都会の大きな劇場だけが残りました。これは私が生まれた村でも起きたことです。イスラム教がどのように文化を扱っているかのメタファーとして、描きました」とクバト監督。
ただし、旧ソビエト時代にはキルギス独自の文化を保全しようという動きはなく、むしろ奪われたとクバト監督は考えているという。
イスラムについては「祈りを捧げる際、キルギス語ではなく、アラビア語を使わなくてはならない点には疑問を持っている」ものの、特定の政治や宗教等に異議を唱える映画ではない、と強調した。
また、観客から「イスラム教が浸透する前のキルギスの遊牧民の社会では、女性の立場が高かったとわかった」という感想を寄せられると、監督は「キルギスの女性は、頭を覆うヒジャブを着けたことがありません。アラブ諸国のムスリムとは習慣が違うのです。それから、キルギスには女性の大統領もいたし、議員も多くいます」とキルギスの文化を紹介した。
劇中では、主人公の家に映画『赤いりんご』(1976)のポスターが貼られている。「旧ソビエト時代、キルギスには大きな映画制作所があり、数々の素晴らしい映画が作られました。『赤いりんご』は、作家チンギス・アイトマートフの短編小説をトロムーシュ・オケーエフ監督が映画化した作品。若い頃からそういった作品を観ていたので、敬意を込めて映画に登場させました」とクバト監督は説明する。
かつては劇場だったモスクで、主人公が映写したのも『赤いりんご』の一場面。馬に乗る男女は、キルギスの伝説的な俳優であるスイメンクル・チョクモロフさん、グリサラ・アジベコワさんが演じている。チョクモロフさんは、黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』(1975)にも出演している。
また、観客から「馬を放つ」という行為に対して込められた意味を改めて問われると、クバト監督は「遊牧民にとって馬は一番大事なもの。中央アジアの国々の中でも、キルギスは一番、馬との結びつきが強い国だと考えています。『馬は人間の翼である』ということわざもある。翼というからには、馬を自由にすることが必要だと考えました」と語った。
クバト監督自ら、主人公を演じ、キルギスの草原を馬で駆けるポスタービジュアルも印象的な本作。『馬を放つ』は2018年3月17日より、岩波ホール他で全国公開される。
(取材・文:宇野由希子、撮影:村田麻由美)