11月29日、有楽町朝日ホールにて、ホウ・シャオシェン監督作品特集上映で『風櫃の少年』デジタルリマスター版が上映された。上映後にはホウ監督のレトロスペクティブ上映を世界的に手がけている、米国ニューヨークのバード大学助教授で映画研究者リチャード・サチェンスキーさんの講演が行われた。また講演後には、ホウ監督が登壇。会場は休日の朝から駆け付けた観客の熱気に包まれた。
サチェンスキーさんは、映像芸術センターであるCenter for Moving Image Arts (CMIA)を2年前に設立。上映会、出版、教育、アーカイブという4つの要素を連携させながら映画文化を紹介することを目的とし、ホウ監督の作品をまとめたプロジェクト「Also like Life: the Films of Hou Hsiao-hsien」はCMIAの活動モデルとなって、東京を含め世界中で紹介されている。
サチェンスキーさんは、こうして講演できることは光栄だと挨拶し、ホウ監督を最初のプロジェクトにとりあげた理由を次のように語った。「私にとって台湾映画は特別なものです。少し前の世代にとってのイタリアのネオレアリズモやフランスのヌーヴェルヴァーグに匹敵し、革新的な感覚と新鮮な視点が取り入れられています。官能的かつ繊細さにあふれたホウ監督作品は、現代の映画文化の活力と真価の中核を成しており、洗練されていながら控えめで、革新的な様式が日常生活の情緒豊かな観察と結びついています」
サチェンスキーさんは、ホウ監督や作品に対するこれまでの評価のうち、2つの見解を覆したいとも語った。一つは、ホウ監督を静止あるいは停滞の映画作家だとする見解。もう一つは、ホウ監督作品にはモンタージュへの暗黙の抵抗がみられるという見解。サチェンスキーさんは、どちらの見解も当てはまらず、事実はまったく逆だと主張した。というのも、ホウ監督作品では時間や空間が大いに移動しており、ホウ監督が構成する関係性やパターンには編集が中心的な役割を担っていると分析できるからだという。
ホウ監督作品の特徴は、その革新的な視点に、映画の手法として通常用いられるカットバックを取り入れていることにあるという。カットバックは、「私があなたを見つめて、あなたが見つめ返す」というような切り返しにより、対話や相互関係が示唆され、日常経験と密接な関係を持ち、観客と画面の間にダイナミックな相互作用を生み出す手法。
例えば、『風櫃の少年』で少年たちが映画館に忍び込む場面では、少年が観ている映画と少年の間にカットバックが用いられ、ザラツキ感のある加工により少年の主観的な記憶の空間へと展開する過程がみられる。そこには、幼少期のトラウマ、自己認識、罪の意識などが秘められている。また、少年が見ている映画がルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』(60)であることが意義深いという。第二次世界大戦後のイタリアで好景気に乗じて南部から北部へ移住してくる家族の話だが、まさに1970年代から80年代初頭にかけての台湾は、1950年代から60年代かけてのイタリアと似た状況で、周辺部から中心部へ人々が移動し、劇的な経済転換を遂げようとしていた時期である。また、地理的に台湾が中国や日本の南方に位置しているという点、ホウ監督自身がまだ映画作家として国際的映画芸術の周縁にいたという事実と重なるという。
さらに、少年たちが映画館だと騙されて登った廃墟ビルには、高雄の街を見下ろすコンクリートの窓枠跡が残された場面があるが、その窓枠跡はワイドスクリーンの比率とほぼ合致し、都会に出てきた少年たちに突き付けられている現実、少年たちの行き詰まった状況が示されている。サチェンスキーさんは、このシークエンスが、後に花開くホウ監督の革新の種だと考えるという。つまり、主人公の視点が動くと記憶の空間へと移動し、過去の視点が動くと現在の映像へ戻り、物語の空間と主観的な記憶が継続的にカメラの中に収めてられているような感覚に陥るのだ。こうした時間軸の融合手法は、アンドレイ・タルコフスキー監督の『鏡』(75)で類似したものがみられるものの、他ではみられない新しい手法だという。そして、この手法が後の『悲情城市』や『戯夢人生』でさらに進化していることを、各作品の場面スチールをスライドで示しながら説明した。
次に、サチェンスキーさんは、宋代の山水画を見せながら、広大な景色の中に小さく人々が描かれている点に注目し、ホウ監督作品にも同じような撮影場面がみられることを指摘し、何よりも、ホウ監督作品では景色の処理の仕方が見事だと語った。以前、サチェンスキーさんは、ホウ監督から「中国の山水画がリアリズム(写実主義)だと気付いたときは目から鱗だった」という話を聞いたそうだ。スライドで示された山水画には、知覚的な写実主義で描かれた三つの異なる距離空間が一つの構成の中に存在しており、これはルネッサンス期にみられる線遠近法とは異なるものだと説明した上で、線遠近法とフレーミングによって構成されているピエロ・デラ・フランチェスカの「キリストの鞭打ち」をスライドで示した。そして、すでにカメラや光学機器などのメカニズムの一部に組み込まれている線遠近法に対抗することは非常に難しいこととしながら、ホウ監督が全く異なる時間と空間の関係を、フレームの切り分けではなく、モンタージュにより繊細に作り上げていると述べた。ホウ監督は、記憶を助ける装置として、扉や窓の向こうに見える自然の景色、花瓶、灯りなど物や空間を駆使し、観ている者に一定の環境を植え付け、反復やバリエーションで見せることで、より豊かな表現を目指しているという。
サチェンスキーさんにとっては、『戯夢人生』がホウ監督作品の最高傑作だという。特集上映のタイトルもこの作品の台詞、「舞台の上の人形はまるで人のようだ。人形芝居もまた人生のようだ(Also like Life)」から取られているとか。中国語のタイトルは、戯曲、夢、人生の単語のつなぎ合わせだが、この三つが映画の中で入り混じり、微妙かつ曖昧な形で時間や空間が繰り返され、最終的には記憶を通して自分自身を再構築するような、時間が前進しているようでもあり後退しているような不思議な印象を受けるという。サチェンスキーさんによると、『戯夢人生』は映画そのものの成り立ちや意義について深く考えさせてくれる作品なのだそうだ。最後に、『戯夢人生』のエンディング場面を見せながら、絶え間なく変化する、この世から消え果てそうな記憶が救われたと解説して講演をしめくくった。
会場からの質問を受け付けると、映画批評家の蓮實重彥さんから手が上がった。「世界最大の映画作家について大変深い洞察に満ちたお話だった。とりわけホウ作品におけるモンタージュの重要性についてのお話に同意します。私自身『悲情城市』の中でモンタージュが使われていることにずっと以前に気づいたのですが、私が何度も考えていたことを強調していただいたものとして、お礼申し上げます」とコメント。「今日お話されたことは、『風櫃の少年』以降には当てはまるけれど、ホウ監督があまり自信を持っておられない初期三作品についてはどう思われますか?」と質問した。
サチェンスキーさんは蓮實さんの来場に「光栄です。ありがとうございます」とお礼を述べ、「おっしゃる通り、初期作品については違った試みがされています。ズームレンズの使用、シネマスコープなので、絞った奥行きの操作ではなく、横の広がりでいろいろなことをしようとしていると思われます」と応じた。
続いて、ホウ監督が登場。会場からひときわ大きな拍手で迎えられた。「長いお話でした。大丈夫ですか」と観客を労い、「『風櫃の少年』はとても多く研究していただいているのですが、私自身は作ってから見直すことがほとんどありません。ただ、ターニングポイントになった大事な作品です」と述べた。続けて、「この作品は興行成績が悪く、それまでは興行的に成功した作品が続いていたので、もしかしたらこの作品以降、観客の皆さんから遠くなってしまったのかもしれません」と公開当時を振り返った。
加えて、興行的に成功した初期三作品と『風櫃の少年』とではスタイルが大きく異なることについて話が及び、そのきっかけとして『風櫃の少年』を撮影した頃に、カメラマンのチェン・クンホウさんと製作会社を立ち上げたことをあげた。それまでは、配給会社と制作者が手を取り合ってお金を稼ぐというシステムの中で気軽に撮っていたという。「製作会社を立ち上げてから、映画を撮るという本来の姿に戻ったのではないでしょうか。撮らなければならない対象に目が向くようになったということでしょう」とホウ監督。さらに、客観的な条件としては、エドワード・ヤンさん、タオ・ドゥーツェンさん、クー・イーチェンさん等、海外から帰ってきた映画人たちとの交流により、これまでとは異なる彼らの考え方や物の見方に触れて刺激を受けたことを明かしてくれた。
今回の上映会では、著名な映画批評家や映画研究者の姿も見られ、ホウ監督への関心の高さがうかがわれた。また、サチェンスキーさんの詳細な作品考察に熱心に耳を傾けていた観客も、映画祭ならではの充実した時間を満喫した様子で、これからもこうした機会が積極的に提供されることを期待したい。
(取材・文:海野由子、撮影:明田川志保、穴田香織、白畑留美)