11月19日、有楽町朝日ホールにて、特別招待作品フィルメックス・クラシック『山中傳奇』(1979)が上映された。この作品には上映尺の異なるいくつかのバージョンが存在するが、今回上映されたものは191分、現存する中で最も長いバージョンだという。台湾の国家電影中心によってデジタル修復され、2016年のヴェネチア国際映画祭にてワールド・プレミア上映された。上映後、出演したシルヴィア・チャンさんが登壇し、Q&Aが行われた。
まず、市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターが今回のバージョンを観た感想を聞くと、「自分自身の姿を劇場で見るというのは、非常に言葉にし難い経験でした」とチャンさん。「私はとても若かったので、記憶にあることも忘れてしまっていることもたくさんあります」と感慨深げに語った。その中で印象に残っていることとして「現場では色とりどりの煙を大量に使っていたので、キャストや関係者が帰国後レントゲン検査を受ける必要があった」というエピソードを披露し、会場の笑いを誘った。撮影は1年以上にわたり、韓国で行われたという。
ここで、市山Pディレクターが『キン・フー武侠電影作法』(草思社)というキン・フー監督のインタビュー本を紹介。その中でフー監督はチャンさんの家族について多くを語っている。それを踏まえてチャンさんに本作への出演の経緯を質問したところ、チャンさんは「女優になる前から、監督とは家族ぐるみの付き合いがありました」と語った。フー監督は韓国に来てくれる若い俳優を探していたが、長期撮影の為、親しい間柄の人が良いということで、チャンさんが適任だったという。
チャンさんは撮影現場に入ってから最初の40日間は1カットも出演することはなく、何もすることがなかったそう。「フー監督は出演シーンがなくとも全員が現場に集まって、映画作りに関わること全てを学んでほしいと考えていたからです。そのため、私たちはヘアメイクや小道具についてや、エキストラの演出にいたるまであらゆることを学ぶことになりました」と当時の現場の雰囲気を語ってくれた。
チャンさんは、『山中傳奇』の撮影が始まる前にリー・ハンシャン監督の「金玉良縁紅楼夢」(77)の撮影に入っていたという。2人の監督はとても仲が良かったそうだ。フー監督がすぐに韓国に来てほしいと言ったため、リー監督に相談したところ、初めは断られたがその後許可をもらったそう。その際、リー監督に『今すぐ撮影すると言っているシーンは絶対カットされるからね』と言われたのだが、「まさにその通りになりました」と苦笑いするチャンさん。
続いて、観客からの質疑応答に移った。共演したシュー・フォンさんやシー・チュンさんとのエピソードについて訊かれると、チャンさん「長い撮影期間を共にしたので、皆、生涯の友になりました」と笑顔で語った。撮影環境は厳しく、例えばキノコ採りのシーンでは、ロケ地は宿泊場所から40分も歩いた山中で、しかも気温はマイナス16度という最悪のコンディション。出演者同士お互いの体をいたわりながら進められた撮影で、友情が育まれたのだという。特にシュー・フォンさんとの友情は深いという。今年、シューさんが台湾金馬奨生涯貢献賞を受賞することが決まったが、授賞式のプレゼンターにチャンさんをリクエストされたことを明かした。
台湾の映画監督フレッド・タンさんが助監督としてクレジットされているが、タンさんが一部演出を担当したということはあったのか、という質問には「演出はしていませんでした」とチャンさん。「タンさんは『山中傳奇』が助監督として映画製作初参加だったため、どうしていいかわからないパニック状態で現場にいらっしゃっていたのを覚えています」と語った。
フー監督とリー監督の演出の違いについて質問には、「リー監督は基本的にスタジオ撮影、逆にフー監督はロケを重視する」とチャンさん。フー作品では撮影期間が長かったために監督との関係を深めることができたといい、「役者としては、実際の風景に身を置くことでその時代にタイムスリップできるような気持ちになりました」と振り返った。
製作費については、リー監督は潤沢であったがフー監督はあまり恵まれていなかったそうだ。リー監督は小道具に本物のアンティークを用意することができたが、フー監督はフェイクのジュエリーを用いた。チャンさんはフー監督と一緒に市場に行き、そういった小道具の買い物に付き合ったという。しかし、「フェイクであっても画面で映し出されると美しく本物に見せる、そんな力がありました」。そんな中でも監督のこだわりは随所に発揮され、「日本の帯にお金をかけていたり、以前使った衣装を大切に保管しておいて再利用したりしていました」とチャンさんは振り返った。また、劇中に登場する写経用の紙の青い色(監督は“チャイナブルー”と呼んでいた)にフー監督は強くこだわっており、イメージに合う色の紙が見つからなかったため、何か月も撮影ができなかったそうだ。撮影がなくてぶらぶらしていたチャンさんが偶然に韓国の古美術店で見つけた紙がまさに探していた色で、ようやく撮影ができたのだという。
最後に、映画監督としてのチャンさんが、フー監督の影響は受けているのかという質問が上がった。「深い敬愛を抱いています。監督と役者の関係を越えた師弟関係だと思っている」とチャンさん。「フー監督は映画に一生を捧げた人でした。最初に思いついたアイディアから一切ぶれることなく、誠実に正直に全うして、映画を作られていた」と感慨深げに語った。「監督の言葉で一つよく覚えているのは、選ぶのはシンプルなストーリーでいい、そこから自分の映画を作りなさい、ということ」と明かし、フー監督へのリスペクトが自身の作品に表れていると思う、と語った。
まだまだ質問が尽きなかったが、ここで時間となりQ&Aは終了。フー監督への深い敬愛を語るチャンさんに観客からは大きな拍手が送られた。
(取材・文:谷口秀平、撮影:吉田留美)