11月12日(土)、アテネ・フランセ文化センターにて、第17回東京フィルメックス開催のプレイベントとして、聴覚障がい者向け日本語字幕付き『野火』(’14)の上映会が行われた。ヴェネチア国際映画祭をはじめとする数多くの海外の映画祭で高い評価を得た『野火』は、第15回東京フィルメックスのオープニング作品として紹介された後、国内で大きな反響を呼んだ作品である。上映後には、主演も務めた塚本晋也監督が登壇し、林 加奈子東京フィルメックスディレクターの進行で、手話通訳を交えてのトークイベントが行われた。
まず、今回の上映会のための日本語字幕制作の経緯について話が及んだ。『野火』の自主上映を続けている塚本監督は、できるだけ多くの人に作品を届けるためにも、日本語字幕の必要性を強く感じていたという。DVDやブルーレイを作る際に日本語字幕を入れることを検討したものの実現できず、今回、東京フィルメックスからの要望に応える形で実現できたのだという。塚本監督自身もチェック段階で字幕制作に参加されたそうだ。
昨年夏の都内での劇場公開以降、本作の上映は全国に広がり、100ヶ所に届きそうな勢いだ。塚本監督はそのうち約70ヵ所の会場に足を運び、観客の様々な反応と向き合いながら、本作に対する手応えを感じたそうだ。「この作品を観て、暗い気持ちになられたと思います。みなさん、衝撃でしばらく絶句してしまい、なかなかすぐには感想が出てこないのだと。面白い映画ではありませんが、この衝撃は今の時代に必要な衝撃だと理解していだけるようになりました。高齢の方から、子供を持つ母親たちや若い人たちへと、作品を観てくださる方の年齢の幅が広がり、また、文化人の方が発信してくださったことで、今の時代に不安を抱く方々に何かを感じ取っていただけたと思います」と塚本監督。
次に、塚本監督は、本作を制作した動機について、大岡昇平の原作に惹かれ、何十年も前から本作の構想を練っていたと語った。「ようやくこの映画を作ろうと決めたのは、日本が戦争へ大きく舵を切ろうとしているような気がして、今、作らないとチャンスがないと感じたためです。まったくお金がなく始めたので、最初は一人でフィリピンへ行って自撮りで撮るつもりでした」と、強い覚悟で臨んだ当時を振り返った。また、本作は戦後70年の節目に公開されたが、それを強く意識していたわけではなかったそうだ。ただ、終戦記念日に上映したい、という思いは当初からあったという。「戦争を体の痛みとして知る人たちがいなくなるにつれ、そうした痛みを忘れたかのように戦争に近づくことになっては大変だ、今のこの時期に作らなくてはという気持ちがあり、偶然のごとく戦後70年に重なりました。戦後70年だった昨年は、重要な年だったと思います」と語った。
塚本監督のように主演・監督・製作と一人で何役もこなすような自主制作の作品には多くのエピソードがつきものだが、本作も例外ではなかった。フィリピンでの撮影はわずか4人で敢行され、肉体的にとても過酷なものだったそうだ。軍服をはじめ、すべてが手作りで、護送車のトラックに至ってはスーパーマーケットから集めてきた段ボールで作られたものだとか。「エピソードだけで出来ているような作品」と笑いながら評した塚本監督。フィリピンのみならず、ハワイのカウアイ島での撮影も行われ、目の前に広がる大自然の風景が劇中に使われたという編集エピソードを受けて、「臨場感に溢れ、心にずしんと響く、豊かな作品」と、林ディレクターがあらためて賛辞を贈った。
会場からの感想や質問に移ると、早速、聴覚に障がいがあるという観客から、日本語字幕でこだわった点について問われた。塚本監督は、セリフはわかりやすい言葉に置き換えずに、役者が話したままを字幕にしていることを説明。ただ、音については、どこまで字幕で表現すればいいのか悩んだという。結局、草をかき分ける音や火が燃えている音など、明らかに映像で見えるものに関しては音の字幕を付けずに、周囲で大勢の兵士が移動する音など、映像で見えないものに関しては音の字幕を付けることにしたそうだ。
また、フィリピンから帰還した兵士の戦時体験を取材したという観客から、話を聞いただけではわからない、映像でなければ伝わらないリアルな衝撃を受けたという感想が述べられた。これに対して、塚本監督は「小説だけでも十分リアルですが、フィリピンに行かれた兵士の方々にも多くインタビューをして、そうした体験談も映画に投影しました」と応じ、リアリティを追求した過程を明かしてくれた。
また、『シン・ゴジラ』を観たという観客からは、自衛隊や米軍が巨大生物を攻撃する『シン・ゴジラ』の場面には、本作のように人々が傷ついて倒れていくリアルな姿が描かれていなかったと指摘。これに対して、『シン・ゴジラ』で生物学者役として出演していた塚本監督は、『シン・ゴジラ』を「いろいろな解釈ができる作品」とした上で、「戦争では体がボロボロになり、戦場は決して美しい死に場所ではないと、インタビューした方からうかがいました。そうした痛さや恐ろしさを『野火』ではきちんと描いて作りました」と応じ、本作に込められた強い思いを語った。
今回の上映会は、障がいを持った人も、そうでない人も、一緒に映画を鑑賞できる貴重な機会となった。トークイベントの後にはサイン会が開催され、塚本監督と観客が手話通訳を交えながら和やかに談話する姿が印象的であった。東京フィルメックスでは、2011年から聴覚障がい者向けの日本語字幕付き上映の活動を行っているが、今後もこうした活動が続くことを期待したい。
(取材・文:海野由子、撮影:村田麻由美)