11/23「エルサレムの路面電車」「ガザの友人への手紙」Q&A


11/23「エルサレムの路面電車」「ガザの友人への手紙」Q&A
有楽町朝日ホール

アモス・ギタイ(監督)

市山 尚三 (東京フィルメックス ディレクター)
藤原 敏史(通訳)

イスラエル、フランス / 2018 / 90分
監督:アモス・ギタイ(Amos GITAI)

A Tramway in Jerusalem
Israel / 2018 / 90min.
Director: Amos GITAI

A Letter to a Friend in GAZA
Israel / 2018 / 34min.
Director: Amos GITAI

11/23 『ハーモニカ』 Q&A


11/23 『ハーモニカ』 Q&A
有楽町朝日ホール

アミール・ナデリ(監督)

市山 尚三(東京フィルメックス ディレクター)
ショーレ・ゴルパリアン(通訳)

イラン / 1974年 / 75分
監督:アミール・ナデリ(Amir NADERI)

Harmonica
Iran / 1974 / 75min.
Director: Amir NADERI

【レポート】「タレンツ・トーキョー2018」オープンキャンパス 〜海外セールスと国際共同製作 一般的な傾向とアジア映画に焦点を当てて〜

第19回東京フィルメックスと並行して開催中の人材育成事業「タレンツ・トーキョー2018」のオープン・キャンパスが11月22日(木)にあり、メイン講師のひとりでフランスの大手映画配給・制作会社MK2 Filmsマネージング・ディレクターのジュリエット・シュラメックさんが「海外セールスと国際共同製作 一般的な傾向とアジア映画に焦点を当てて」と題して講演した。

シュラメックさんは、MK2 Filmsで映画のワールドセールスや共同製作を担当。同社は海外の著名監督の作品を600本以上扱っており、シュラメックさんもジャ・ジャンクー、パヴェウ・ハヴリコフスキ、黒沢清、河瀬直美、深田晃司、濱口竜介といった監督の作品を手がけてきた。講演では、セールスエージェントの視点から、国際映画祭で映画を売るための様々な戦略を具体的に紹介した。

今年のカンヌ国際映画祭のコンペティション作品21本のうち15本、昨年は19本中10本のワールドセールスをフランスの会社が扱った。「これにはフランス特有の歴史がある。シネマはフランスで発明され、カンヌもここで開催されます。映画館の入場料収入の11%を政府に納めて劇場や映画製作の支援に回す仕組みもある。このようにダイナミックでよく管理されたシステムの存在が先ほどの数字につながっています」とシュラメックさん。国際共同製作では、映画振興組織のCNC(国立映画センター)とフランス国内のテレビ局、配給会社の三者が主要な資金源。単に資金を出資するだけでなく、フランスの人材が製作にも関わるなどの「フランス的な要素」を盛り込むことも求められる。「共同製作とは、資金面だけにとどまらない、よりアーティステックなものなのです」

製作者から映画の国際的な権利を買い取って世界各地の配給会社に販売するセールスエージェントの仕事も「単に権利を売ってお金を儲けるだけではない」と言う。海外向けのタイトルの決定、ポスターや予告編などのマーケットツールの作成、プレミア上映の時期、プレス対応など、作品をより多くの国々に届けるために様々な戦略を立てる。また脚本段階から撮影後のポストプロダクション段階まで、資金面でのサポートも担当するという。
マーケティングでまず大切なのが、作品の題名を決めること。「すべての作品名は製作者や監督を交えて議論した上で決定します。数週間かかることもある。タイトルが、マーケットでの作品のポジションを決めることにもなるからです」

例えば、河瀬監督の『2つ目の窓』は奄美大島の海が中心的なモチーフなので、水をアピールした「Still the Water」に。深田監督の『淵に立つ』はそのまま英語に訳せなかったため、「音楽」と「家族の調和」という二つの意味を重ねて「Harmonium」と名付けた。濱口監督の『寝ても覚めても』も英訳は不可能。「決定するまでかなり大変でしたが、結局『Asako I&II』に。ゴダールなどのヌーヴェルヴァーグ作品のような新しさと古き良きエレガンスを兼ね備えた作品なので、このヌーヴェルヴァーグ的なタイトルは成功しました」

写真や予告編、ポスターの作成も重要な仕事。予告編は一般観客向けの「トレーラー」、バイヤー向けの「プロモリール」の2種類を作る。プロモリールは作品内容をより詳しく伝えるため、トレーラーよりも長めのことが多い。サンプルとして上映した河瀬監督の『あん』のプロモリールには、トレーラーには出てこないらい病をめぐる場面も登場した。

こうした戦略の主舞台となるのが国際映画祭。サンダンス、ベルリン、カンヌ、香港、ヴェネチア、トロント、釜山などの有力映画祭は期間中に会場内にマーケットを併設し、ここで作品の権利が取引される。どの映画祭でプレミア上映するかは映画のその後を決める重要な要素。「特にアジア映画は欧米の映画祭への参加が大きな意味を持つ」と言う。

日本映画の実例も詳しく紹介された。まず、MK2では初の河瀬監督作品となった『2つ目の窓』のケース。2014年5月のカンヌのコンペティションでのプレミア上映を目標にしたが、マーケティングは同年2月のベルリンから展開した。「年明け早々でどこの社もまだ映画を買っていないので資金的に余裕があり、カンヌ向けの作品への期待も高い。撮影が終わったばかりでしたが、ぜひともベルリンでプロモリールを流したくて、河瀬さんから直接ラッシュ映像を送ってもらって作成しました」。
 
カンヌのコンペ入りを果たすと、次の重要課題は上映日。「カンヌは水曜日に開幕し、翌週末に終わる。最初の週末から月曜日にかけてが一番人気のタイミング。コンペ作品は毎日17時・20時・22時の3回上映枠があり、20時が最もいいとされる。約20本の作品が揃ってこの枠を狙うのですから、まさに闘いです」。結局、上映日は火曜日に。時間はプレスがバイヤーや一般客が同じ会場で見る17時をあえて選んだ。「ジャーナリストは自分の好みははっきりしていても、その作品が一般受けするかどうかはわからない。だから、様々な客層と一緒に鑑賞し、終映後に観客の感想も聞ける17時にしました。悪くない選択だったと思います」。上映終了後のスタンディングオベーションは11分とこの年最も長く、SNSでも情報が広まり、作品は40か国以上に売れた。

河瀬監督の『あん』は、2年連続のカンヌは難しいだろうとヴェネチアのコンペを考えたが、製作者側の意向を受けてカンヌの「ある視点」部門に。「これはかなり難しい決断でしたが、上映枠にも恵まれ、世界70カ国に売れました。食べ物が出てくるので『2つ目の窓』より売りやすかった面も。公開も成功し、フランス、スペインでは大人気、スウェーデン、スイス、ドイツでもヒットしました」

国際的な知名度がある河瀬監督とは違い、深田晃司監督の『淵に立つ』の場合は、認知度ゼロからの出発だった。プロモリールをベルリンで上映してプリセールをいくつか決め、バイヤーの間に「日本から何かいい作品がカンヌに出るらしい」という噂を広めていった。カンヌの選定委員会にもかなり早い時期から接触した。「『深田晃司とは何者?』という状態だったからこそ、新鮮な目で見てほしかった。セレクションの終盤にはかなりの大作が入って来るので、その前に選考委員にいち早く見てもらい、新たな才能を”発見”してもらおうと熱心に動きました」。2016年のカンヌ「ある視点」部門に入り、審査員賞を受賞。「スリラーの要素があったので、日本映画がなかなか売れない米国の配給会社も食指を伸ばしました」

濱口監督の『寝ても覚めても』も、同じ戦略を使い、ベルリンからセールスを立ち上げた。こちらも海外ではまだ無名の監督ということでプロモリールに力を入れた。「最初に作ってもらった映像はいまいち。この作品には女性の感覚が必要だと考え、個人でやっている別の映画編集者に改めて依頼し、素晴らしいプロモリールを作ってもらいました」。今年のカンヌのコンペでプレミア上映され、米国を含む28地域に販売された。

「作品の成功はディテールの良し悪しにかかっている。どの作品を誰にやってもらうかの選択は重要。ディテールにとにかくこだわれ! と申し上げたい」。パートナーの配給会社を決める際も、「会社の大きさよりも、映画を理解し、一緒に戦略を構築し、どうすればその国で成功できるかを具体的につかんでいる点を重視する。私たちが映画セールスに賭けるのと同じパッションを持って配給してくれる相手を見つけることが重要です」と話す。

こだわりの一端を示すポスターの数々も会場のプロジェクターで紹介した。『淵に立つ』ではシーツの間から浅野忠信さんが顔をのぞかせるカットを採用した。「とてもパワフルな写真。新鮮でスリリングな作品だということが一目でわかり、好評でした」。カンヌのバイヤー向けに作成した『寝ても覚めても』のポスターは、ヒロインが開いたドアの向こうに2人の男性が立っているカットを使った。「『これは何だ?』と思わせる謎めいた雰囲気。この映画の本質である一人二役ということも訴えたかった」。
 
ただし、手塩にかけたポスターやタイトルが公開時には別のものになることも珍しくない。『淵に立つ』のフランス公開用ポスターは障子の向こうに日本庭園が広がる和室でオルガンを弾く人物のカットに。『寝ても覚めても』は美しい女性を前面に押し出したいという配給会社の希望でヒロインのアップに桜を散らした。「フランスでは『日本映画のポスターには桜が必須』とも言われ、これが標準パターンになっています」。ポスターを見比べることで、バイヤー向けと観客向けのアピールポイントの違いや、世界各地のマーケットの嗜好が伝わってくる。

参加者との質疑応答では、国ごとの販売戦略の違いに関する質問が複数寄せられた。芸術作品なのでバージョンを変えることはぜす、検閲でカットが必要な場合は契約しないことも。また、中国向けでは検閲が厳しい劇場用とより緩やかな配信用に分けて権利を販売するケースもあるという。イスラム圏では性描写のほか豚肉もタブーになるため、中東の航空会社に機内上映用作品を売る際に「ソーセージの場面をカットしてほしい」といった「珍しい条件」が加わることもあるという。いずれの場合も「製作者側とその都度相談して対応しています」。映画学校の学生からはセールスエージェントにアプローチする方法を尋ねた。「私たちとの窓口になるのはプロデューサー。なので、若い監督はいいプロデューサーと組んでほしい。監督・プロデューサー・セールスエージェント・各地の配給会社が信頼とスキルを備えたで適切なコネクションを持つことが大切です」
 

シュラメックさん自身が濱口監督の存在を知ったのも、信頼する知人の勧めがきっかけだった。「土曜日に子供をシッターさんに預けて『ハッピーアワー』に駆けつけ、大いに気に入りました。配給のパートナー選びもプロモツール作成も、結局は人と人とのつながりが一番大切です」。細部を大事にし、目標に向かって様々なアイデアを実行に移し、それぞれの分野で信頼できる仲間を増やす。そんなベーシックなことの積み重ねが、様々な国の観客に映画を届けている。

文責:深津純子 撮影:吉田(白畑)留美

【レポート】国際批評フォーラム「映画批評の現在と未来を考える」シャルル・テッソンさん基調講演

第19回東京フィルメックスの関連イベントのひとつ、国際批評フォーラム「映画批評の現在と未来を考える」の基調講演が11月22日(木)に有楽町朝日ホールスクエアBで開かれ、フランスの映画評論家のシャルル・テッソンさんが、現代の映画批評の役割や将来像などについて自身の体験を交えて語った。

テッソンさんは1979年から映画評論を始め、フランスの映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」などに執筆、同誌の編集長も務めた。アジア映画にも詳しく、黒澤明監督やアッバス・キアロスタミ監督に関する著書を刊行。2012年からは、長編2作目までの新人監督を対象にするカンヌ国際映画祭の批評家週間のアーティスティック・ディレクターに就任。また、パリ第3大学(新ソルボンヌ大学)で教鞭を取り、外国映画の製作費を助成するフランス国立映画センター(CNC)の「シネマ・デュ・モンド」の会長も務める。

多彩な顔を持つテッソンさんだが、「私自身は、映画評論家という言葉はあまり好きではない。アーティスティック・ディレクターとして見ていただきたい」と語る。「批評家週間では、その名の通り、プロの映画プログラマーではなく批評家が作品を選びます。単に映画を批評するだけでなく、国際的な観衆に向けて映画を選ぶことはいい経験になっています。多様な映画を見る機会に恵まれるし、これはどういう映画なのか、世界やフランスにとってどんな意味を持つのか……と、様々な疑問を持つことができる。以前よりも実際的な形で映画を見るようにもなりました。時には作り手から話を聞いて参考にすることもあるし、先方から『長すぎない?』などと聞かれればそれにも答える。一人の観客として見たり、製作者と同じような立場で見たり、自分の中で様々に思考を変えるのです」

批評家としての仕事では「映画との対話」を大切にしているという。「映画とは何か、映画はどのように進化しているのか、美的な観点、倫理的な観点はどうか、映画をめぐる関係性、現代の映画にその作品が何を持ち込んでいるのかといったことを考えます。つまり『対話』するのです。そうやって様々な思考をめぐらすことが、映画批評につながるのだと思います」

仕事の中心になるのは試写会で新作を見ること。「時間に限りもあるのですべてを見ることはできないけれど、なるべく多くの作品を見るようにしています。映画を扱うメディアは多いけれど批評家にとって新たなチャンスになるものばかりではないので、おのずとエネルギーは見ることに注がれる。それは大切なことです。文化のアドバイザーと言ってもいいかもしれませんが、映画を50本見て、一番おすすめのものは全ページ、2番目は半ページ、最後は写真無しでほんの数行書くといったことを毎週毎週やっています」

批評を書くためには自分の意見を表明しなければならない。だが、好き嫌いだけを語る文章は「あまりにお粗末」。健康診断や車のパーツ点検のように、音響や撮影などを部分ごとにきりわけて評価するやり方も「あまりいいとは思わない」と言う。

「私自身は、映画を見たら一晩ほど時間をあけたい。映画評論家として年に400本以上見ていますが、2カ月前に見た作品に心が捕らわれたのなら、それが私にとって意味のある映画だということになります。映画を見てから現実に戻るわけですが、そこに変革が現れる。2か月に再度見る時には、自分の頭の中にあるものと現実の間に乖離が生じます。アイデアがどんどん頭の中で膨らみ、2回目に見るときはさらにレベルが上がっていることもある。間に経験をはさむことは有益です」

若い頃は一生懸命メモを取りながら映画を見たが、いまはほとんどの場合、記憶に頼っているという。「私にとって重要なのは、映画が何を望んでいるかということです。映画は時に傲慢で、時に荒々しく、時にはシャイなこともある。つまり、見る者に語りかけて来るのです。それをどう受け止めるか。予想外の展開に虚を突かれることもあるし、肩透かしを食らうこともある。単に美しいと感じるだけだったり、何が何だかわからないことも。それでいいのだと思います。そんな風に、映画とは何か、映画はどうありたいのかを経験することは大切です」

ただし、現在の視点だけで映画を判断すると見落とすものもある。「映画批評家としては、様々な映画文化を旅して、現在だけではなく過去に何が起きたかもとらえたい。1984年に香港に行き、様々な映画を発見したことがあります。後にウォン・カーウァイ監督の作品を見たとき、それらの映画を想起しました。ある映画がそもそもどういうところから来たのかを知った上で批評を書くのと、知らずに書くのとでは大違い。自分が映画史に通暁しているとは申しませんが、過去の蓄積を活用することは重要だと思っています」

批評家の仕事を長く続ける上では、楽観性も大切だという。「物事を前向きにとらえず、『昔の方がよかった』と言うだけの人は、別の仕事を探した方がいい」。テッソンさん自身も、楽観主義者を自認する。批評家週間の作品選定で様々な国の新人作品と向き合う際は、その国の歴史や社会背景に関心を寄せ、映画に近づこうと心がける。「そうしない限り、新しい発見はできません」

楽観性と並んで大切にしているのは寛大さ。「映画よりも賢い映画評論家を私は好きではありません。『自分はなんでも知っている』『君が何をしたいかわかるけれど、僕の方が賢いよ』と言うような映画批評家は苦手なのです。自分の感情を表現し、たとえ失望したとしても、映画を寛大に受け止めたい。『君が何を言いたいのか全部お見通しだ。作りたいのはこういうことだろう』と頭ごなしに決めつけるのはよくないし、危険だとすら思います。寛大さや好奇心は映画批評家にとって重要な要素。少なくとも、私自身はそういう要素を持って作品と向き合うことを心がけています」

そうやって出会ってきた映画作家の名前を世界地図に落とし込んでいくと、時代の変化がわかるという。「1950年代の『カイエ・デュ・シネマ』は欧米色が強かった。そこに例外的な存在としてに黒澤明や溝口健二らの作品が加わりました。60年代になるとヌーヴェルヴァーグの大島渚や吉田喜重ら新しい監督が現れた。セルジュ・ダネーはメキシコの商業映画に着目し、インド、香港、エジプトなどにもハリウッドとまったくつながりのない大衆映画が人気を博していた。1980年代にはアジア映画が世界中の批評家の注目を集めました。今ではどの国にも映画があることが知られ、国際映画祭でも上映されています」「批評家も、例えばタイやシンガポール、インドネシアとその他の地域はどう違うのかといった地政治学的なことも考えるようになりました。欧米中心の時代には“その他大勢”扱いだった国がそうではなくなってきた。こうした国々の作品にも虚心坦懐に向き合わなくてはいけない。いまは批評家にとって、いい意味で競争が激化しています」

では、映画批評家を取り巻く状況はどうなのか。映画大国のフランスでも、「映画批評をメインにして食っていくのは厳しい」という。「新聞などの伝統的メディアに書く人もいますが、1ワードいくらで書くしかない人もいる。映画館でのトークショーなどの副業をする人もいますが、出演料が出るとはいえ、それだけで生活できる額ではない。けれども、大学で教えていると、素晴らしいことに批評家志望者の若者はけっこういるんですね。ネットにも志望者はたくさんいる。生活を支えられる仕事かどうかはさておき、批評家の数は増えているのかもしれません」

逆に、新興国では批評家の不在を嘆く声をよく耳にするという。国際映画祭で脚光を浴びても、自国の批評家がいないため、地元の観客にきちんと作品の存在が伝わらないのだ。「フランスで好評だったカンボジア映画も自国ではきちんと見られない。コロンビアでは政府が新人監督に助成しているのに、批評家がいない。ジョージア(グルジア)の国立映画センターのディレクターも『作品を国際映画祭に出しても、いざ上映するとさっぱり。国内に有力な批評家がいないので観客を導けない』と話していた。これは問題です。カザフスタンやアゼルバイジャンでも新しい監督が育ち、東京フィルメックスのタレンツ・トーキョーでもラオスなどの企画発表を聞いた。作品は次々作られ、政府も支援しているけれど、映画が完成した後はどうなるのか。人々にこんな作品があるんだよと知らせる役割がこれらの国々には必要です。フランスとは違う意味での戦いがあるのです」

批評家として活動して40年近くたった今も、他の人が書いた批評を読んで様々な発見があるという。「彼には見えたが私には見えないものがある、それは何故なのだろうと考えることがあります。ひとり一人と作品との関係を批評家が作ってくれるのです」。ただし、ネット時代の到来で、批評の形は揺れている。「新興国では映画と観客をつなぐ批評家の役割が極めて重要です。それぞれの国でも、批評は転換点にあるのかもしれません。ヴェネチアやカンヌの声を反映する必要はないのかもしれないし、そこから出てくる批評を参考にしてもいい。批評を通して、世界中でいろいろなことができるのではないか。私はそんな風に考えています」

質疑応答でも、テッソンさんは「対話」の重要性をたびたび説いた。「製作者にとっては批評家は怖い存在。どうしたら健全な関係を作れるのか」との質問には、キアロスタミ、ジャ・ジャンクー、ホン・サンスら様々な監督との交友に触れ、双方がホスピタリティーを持って語り合える関係作りの大切さを語った。映画批評家をしていて良かったと感じるのはどんな時かという問いには、「いい映画を見たとき」と即答。「しばらくは別の映画を見たくなくなる。極上のワインを飲んだ後に、他のものでぶち壊しにしたくないのと同じです」

 批評家週間やシネマ・デュ・モンドの仕事で世界各地の新しい才能を発掘してきただけに、各地の状況に話が及ぶとひときわ言葉に熱がこもった。「いまは南アジアのプロジェクトに優秀なものが多い。このエリアは注目です」。東京フィルメックスでも出会えることを期待したい。

文責:深津純子 撮影:村田麻由美

【レポート】『華氏451(2018)』Q&A

11月23日(金)、有楽町朝日ホールで「特集上映 アミール・ナデリ」の『華氏451』が上映された。本作は、本を読むことが禁じられた世界を舞台に、違法に所持された本を摘発、焼却処分する“ファイヤーマン”として働く男の姿を通して、管理社会を痛烈に風刺したドラマ。原作はレイ・ブラッドベリの名作SF小説で、1966年にはフランソワ・トリュフォーが映画化したことでも知られる。上映後には脚本を担当したアミール・ナデリさんがQ&Aに登壇。客席からの質問に答える形で、製作の舞台裏を語ってくれた。

登壇したナデリさんは、まず共同で脚本を手掛けたラミン・バーラニ監督との関係を説明。2人の出会いは、ナデリさんがニューヨークのコロンビア大学で仕事をしていた時。何度も挨拶してくるバーラニ監督を当初は避けていたものの、やがて根負けしてその理由を尋ねたところ、「あなたの映画を見て育ったので、いつか一緒に仕事がしたい」と答えたことから、親しくするようになった。以後、バーラニ監督の『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』(14)でも共同で脚本を執筆するなど、映画製作において密接な関係を保っている。

そんなバーラニ監督についてナデリさんは「弟のような存在」と語り、「繊細で頭がよく、アメリカ文学にも精通。男優の演出が上手で、素晴らしい演出家」と評価。お互いに馬が合うらしく、「2人でチームとして仕事をして行こうと考えている」とのこと。

本作の製作に当たっても、「物語は現在のアメリカ社会に当てはまる。今の時代、こういう小説を映画化しなければいけない」と2人で話し合い、アメリカの大手製作会社HBOに提案。これが認められて製作がスタートした。ナデリさんがイラン出身で、バーラニ監督の両親もイランからの移民であるため、「イラン人2人がこの映画を作ったんです」と冗談交じりに語り、場内の笑いを誘った。なお、ナデリさんのクレジットは脚本のみだが、実際には編集も手伝っているほか、作品の雰囲気づくりなどにも関わっているとのこと。

また、製作に当たってはフランソワ・トリュフォー監督の66年版も意識。「トリュフォーの作品はもちろん素晴らしいが、ロマンティックな雰囲気。今、同じように作るとバランスが崩れるので、今回は女性の出番を減らそうと話し合った。また、アメリカ社会の話に置き換えるのも難しかった」と、再映画化の苦労を語った。

さらに、大規模な作品のため、出演者の顔ぶれも豪華だ。主人公モンターグを『クリード チャンプを継ぐ男』(15)、『ブラックパンサー』(18)のマイケル・B・ジョーダンが演じるほか、『キングスマン』(14)、『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』(17)のソフィア・ブテラなど、ハリウッドスターが顔を揃える。中でも強い印象を残すのが、マイケル・シャノン。2度のアカデミー賞候補歴を持ち、『シェイプ・オブ・ウォーター』(17)などでも活躍する名優だ。任務に忠実でありながら、複雑な内面を覗かせるモンターグの上司を巧みに演じている。

ナデリさんは「マイケル・シャノンは『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』にも出演しており、我々のスタイルを良く知っている。ハンフリー・ボガートのようにモダンで頭がいい」と称賛。さらに、「この映画では3人のキャラクターを中心に撮った。マイケル・B・ジョーダンもソフィア・ブテラも素晴らしかった」と、主要な役を演じた他の2人に対する賛辞も忘れなかった。

本作は日本での劇場公開は未定ながら、映画専門チャンネル「スターチャンネル」で放送予定。今回の上映を見逃した人も、この機会に視聴してみてはいかがだろうか。

取材・文: 井上健一 撮影:村田麻由美

【レポート】『マジック・ランタン』舞台挨拶、Q&A

11月20日(火)、有楽町朝日ホールにて特集上映「アミール・ナデリ」の一本として、最新作『マジック・ランタン』が上映された。古びた映画館で映写技師として働く若者ミッチを主人公に、現実と幻想、映画へのオマージュが混淆された現代のお伽噺。上映に先立ち、ナデリ監督が舞台挨拶に登壇した。

特集上映では、ナデリ監督の自伝的映画であり、自らの初恋を描いた『期待』(74)に続く、2作目の上映となる。ナデリ監督は本作について、「いつか『期待』(74)のような作品をつくりたいと思っていました。長年、女性への愛を心のどこかに隠し、山を壊したり、火事を起こしたり、数々の乱暴を行いましたが、やっとその気持ちを取り出してこの映画をつくりました」と紹介。「私の作品を観たことがある方は、この作品を観ると驚くと思います。私も自分が作ったと思えない。私が作ったことを一度忘れて観てください」と観客へ呼びかけた。

上映後のQ&Aに再び登壇したナデリ監督は、本作の制作のきっかけとなった不思議な出来事について語った。ナデリ監督はアメリカで半年間、溝口健二監督の映画の修復に携わっていた。ある晩、暗い道を歩いていたとき、人の気配を感じて振り向くと、なんと溝口監督が立っていた。そのとき、溝口監督から背を押されたような気がして、この映画をつくる決心をしたのだという。ナデリ監督が以前、知人からDVDをもらい、「何度も何度も観た」と言うのは溝口監督の『雨月物語』(53)。「夢と現実を行き来する、魔法使いのような映画。いつか自分でも作りたいと思っていました」と語った。

観客からの最初の質問は、印象的な音の使い方について。ナデリ監督は「映画は音のためにつくっているようなもので、最初から考えている。いつもは映画音楽を使わないが、ハリウッドの近くで映画をつくると音楽を入れないといけないな、という気持ちになった」と明かした。『CUT』(11)や『山<モンテ>』(16)では、自然音や効果音を音楽の代わりに使った。本作で劇中に鳴る不思議な音は、『山<モンテ>』(16)で使った音を入れたという。

また、扉から女性の手が現れるシーンは『期待』を踏まえたものかとの質問には、「そうです。あの『手』のためにこの作品を撮りたかったのです」と答えた。キャスティングのとき、なかなか自分のイメージに合う女性がいなかったが、腕に目のタトゥーを入れているソフィー・レーン・カーティスさんに会ったとき、この人だと思った。夢と現実を行き来するイメージを、その腕が全て語ってくれるのではないかと思ったという。

本作には、ナデリ監督が「『映画に愛をこめて アメリカの夜』(73)のときから恋をしている」というジャクリーン・ビセットさんも出演している。事務所はなかなかOKしてくれなかったが、フランスの映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』でナデリ監督の特集が組まれ、幸いビセットさんが読んでいた。本人から映画に出たいと連絡があり、出演が決まったそうだ。ナデリ監督は「ビセットと最初に会ったとき、私の映画に出るなら、毎日ベジタリアンの私にサンドイッチをつくってほしいと言ったら、彼女は約束を守ってくれました。現場のランチはビセットの手作り」という羨ましいエピソードも明かしてくれた。

まだ多くの手が挙がっていたが、ここで時間となりQ&Aが終了。ナデリ監督は「カット!ありがとう!」「次の映画で!」と観客に声をかけ、舞台を後にした。

追記
第17回東京フィルメックスで上映された『山<モンテ> 』(16)は、2019年2月よりアップリンク吉祥寺での公開が予定されている。

文責:宇野由希子 撮影:明田川志保

【レポート】『ハーモニカ』舞台挨拶、Q&A

11月23日(金)、有楽町朝日ホールにて、「特集上映 アミール・ナデリ監督」より『ハーモニカ』(’74)が上映された。本作は、1970年代にイランで制作されたアミール・ナデリ監督の初期作品のひとつで、自伝的作品でもある。上映前には、ナデリ監督が「Good Morning! Good Morning!」とにこやかに登場し、「他の国とは違って日本ではこうして朝早くからシネフィルが集まってくださいます。ありがとうございます」と挨拶した。


上映後にあらためて登壇したナデリ監督は、開口一番、「とても悲しい作品でしたね」と、久しぶりに本作を鑑賞した感想を語った。本作は、ナデリ監督が、イランの子供向けの映画を制作する児童青少年知育協会を拠点にしていたときに制作された作品で、今回は福岡市総合図書館所蔵の35ミリフィルム上映となった。

当時は純粋な気持ちで映画を作っていたため、海外で上映されることを念頭に置いていなかったというナデリ監督。イラン革命当時、『ハーモニカ』と『タングスィール』(’74)がイラン革命を後押ししたと周囲から言われたという。子供たちは『ハーモニカ』を観て、大人たちは『タングスィール』を観て行動を起こしたと。自分は政治的な人間ではなく、ただ、自分が体験した、貧しい町に暮らす子供たちの生活を描きたいと思っていただけで、後から政治的な意味合いを持つようになったと説明した。

また、ナデリ監督は、ハーモニカを権力の象徴のようにとらえたという観客からのコメントに対しても、敢えて権力というもの、権力者というものを意識していたわけではなかったと応えた。ただ、「この映画を観ると、人類の歴史を語っているようにも思えます。子供たちの姿がとても痛々しいです」と、やや複雑な表情を浮かべた。しかし、イラン革命後にアメリカからイランに戻ったとき、学校にはアミールという名前の子供が多く、作品を観た母親が子供に名前を付けたのではないかという話を聞いたという。本作がイランの社会に与えた影響の大きさを物語るエピソードだ。

本作では子供たちの生き生きとした表情が印象的だが、登場する子供たちはすべて素人で、現地で選ばれたという。「自分が撮りたい映像の中に、子供たちを入れるのは大変でしたが、子供たちもカメラの中で普通の生活をしてくれたので助かりました」と撮影時を振り返ったナデリ監督。

さらに、ラストカットで一変する画面の色についての質問を踏まえて、カラー(色彩)について話が及んだ。ラストカットの色は意図的で、「子供たちの中で革命が起きたような感じ」にしたかったそうだ。当時、モネ、ピサロ、ゴーギャン、ゴッホの作品を観て、印象派を意識した色彩(カラー)に力を入れていたナデリ監督は、ゴーギャンやゴッホのように、自然でプリミティブな映像で子供たちの姿を撮るために、自動車やプラスティックなどモダニズムの象徴となるものを消したという。児童青少年知育協会では、自由に何でも作ることができ、フィルムも豊富に用意された環境だったため、1シーンに20テイクかけることもあったとか。

東京フィルメックスでは、「特集上映 アミール・ナデリ監督」と題して4作品を上映してきたが、急遽、追加作品として『タングスィール』の上映が決定した。「『タングスィール』は革命そのものです。ぜひご覧ください!」と、ナデリ監督の呼びかけでQ&Aは終了。朝早くから駆け付けた熱心な観客から、大きな拍手が寄せられた。

文責:海野由子 撮影:吉田(白畑)留美

11/22 『自由行』 Q&A


11/22 『自由行』 Q&A
有楽町朝日ホール

イン・リャン(監督)

市山 尚三(東京フィルメックス ディレクター)
樋口 裕子(通訳)

台湾、香港、シンガポール、マレーシア / 2018 / 107分
監督:イン・リャン(YING Liang)

A Family Tour
Taiwan, Hong Kong/ 2018 / 107 min.
Director: YING Liang

11/22 『8人の女と1つの舞台』 Q&A


11/22 『8人の女と1つの舞台』 Q&A
有楽町朝日ホール

スタンリー・クワン(監督)

市山 尚三(東京フィルメックス ディレクター)
樋口 裕子(通訳)

香港、中国 / 2018 / 100分
監督:スタンリー・クワン (Stanly KWAN)

First Night Nerves
Hong Kong / 2018 / 100 min.
Director: Stanley KWAN

11/23 『アイカ』 Q&A


11/23 『アイカ』 Q&A
有楽町朝日ホール

セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ(監督)

市山 尚三(東京フィルメックス ディレクター)
佐野 伸寿(通訳)

ロシア、ドイツ、ポーランド、カザフスタン、中国 / 2018 / 114分
監督:セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ (Sergei DVORTSEVOY)
配給:キノフィルムズ

Ayka
Russia, Kazakhstan / 2018 / 114 min.
Director: Sergei DVORTSEVOY