11月23日(金)、有楽町朝日ホールにてコンペティション作品『アイカ(原題)』が上映された。モスクワの産院から脱走した25歳のキルギス人女性のアイカは、産後間もない体を酷使しながら借金返済のために働き、奔走する。モスクワに出稼ぎに来るキルギス人女性の過酷な日常を臨場感あふれる映像で描いた作品。カンヌ映画祭で上映され、主演のサマル・イェスリャーモワさんが最優秀女優賞を獲得した。
上映後のQ&Aに、セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督が登壇し「本日はありがとうございます。日本で2作目の上映を嬉しく感じます」と喜びを伝えた。
ドヴォルツェヴォイ監督作品の日本での上映は、2008年に東京国際映画祭にて上映された『トルパン』(08)以来。本作のストーリー設定のきっかけは「モスクワの産院で約250人のキルギス人女性が出産した新生児が放棄された」というショッキングなニュースを見たことだという。「私自身カザフスタン出身で、キルギス人女性はこんな冷酷な人達ではないとよく知っていたので、なぜこんな事件が起きたのかと興味を持ち、この設定を思いついたのです」と明かした。
会場からの質問に移ると、主演のサマル・イェスリャーモワさんをキャスティングした経緯と演出について質問が上がった。イェスリャーモワさんはドヴォルツェヴォイ監督の前作『トルパン』(08)でも主役を務めている。今回の主人公アイカは難役で、演じられるのはイェスリャーモワさんしかいないとオファーしたそうだ。「彼女はこの難役を演じられるか心配していましたが、私は逆にその姿を見て、彼女ならやれると確信しました」とドヴォルツェヴォイ監督。
過酷なシーン撮影が続く中で、モチベーションや感情をコントロールしてもらうことは難しかったが、イェスリャーモワさんの持っている才能を引き出すことを心掛けたという。「肉体的にもハードな撮影だったと思うが、常に全力で演じてもらうのは無茶なので、彼女の体調に合わせてシーンを撮影していきました。彼女自身の考えや感覚も尊重しながら彼女の持ち味を引き出せたと思います。独身で子供もいない彼女にとっては未知の世界を演じる不安もあったと思うが、体調面も含めよく演じてくれました」と、主演のイェスリャーモワさんを称えた。
手持ちカメラによる臨場感あふれる映像が強く印象に残る本作。撮影監督は、前作『トルパン』も担当したポーランド人の女性で手持ちカメラのコントロールに長けていたという。さらに監督自身も撮影していたと明かし「今回のカメラワークで特に重要視していたのは、人物の目の動きでした。目の中の風景が語るもの、訴えるかける表現をいかに撮るかということに集中しました。困難な撮影環境の中で、手持ちカメラで被写体を追っていくという撮影をよく成し遂げてくれました。本作は、彼女の中にある目を通して、そこで何が起きているかを表現したかった映画なのです。映画には、見えるものと見えないものがあるが、今回は、見えない部分を重要視したのです」と語った。撮影方法は半分がデジタルで、半分は16mmフィルムで撮影したという。16mmフィルムを使用したのは雪中での撮影に耐えるためで、地下鉄内のシーンでは小さなポケットカメラを活用したと撮影技法の工夫を明かしてくれた。
全編を通して背景にあるのが、豪雪に見舞われるモスクワの厳しい冬の風景。この大雪はもともとの設定だったのかという質問に「当初のシナリオでは春を想定していたのです」と、会場を驚かせたドヴォルツェヴォイ監督。「撮影予定が遅れ、たまたまモスクワで記録的な大雪となった時期にクランクインとなったのですが、私はもともとドキュメンタリー監督なので、この状況を使わなければと感覚で思いました。本作にとって、雪は大きな舞台装置であり、重要な登場人物なのです。雪という存在を通して、人々の生活、生き方を凝縮させた思いを表現できると思いました。主人公のような母親にとって、自然とは人々を育て養うもの、大地の恵みだと感じるのが一般的でしょう。しかし今回は大雪という背景を使うことで、逆に自然の怖さを表現したかったのです」と述べた。
最後に、主人公の背景を説明してくれたドヴォルツェヴォイ監督。「キルギス人女性がモスクワで働くのは、キルギスの1年分の給料を1ヶ月で稼ぐことができるからです。彼らは劇中のシーンのように、狭い部屋にひしめき合って住み、貧しい食事を食べ、一日中働いて故郷へ送金するのです。モスクワは家賃も高く、彼らキルギス人は床があるだけの一間を借りて生活をしているのです」。
本作は、今後国内でも公開を予定している。ニュースだけでは読み取れない、過酷な女性の現実がリアルに描かれた本作、日本でも多くの方へ届いてほしい。
文責:入江美穂 撮影:明田川志保