第20回目の開催決定!〈11/23(土・祝)から12/1(日)〉 特別企画として歴代受賞作品の人気投票上映も!

2000年12月に記念すべき第1回が開催された国際映画祭「東京フィルメックス/TOKYO FILMeX」は、アジアを中心に、新進気鋭の監督たちの作品を集め、どこよりも早く、ここでしか観られない注目作品がラインナップされる唯一の国際映画祭でもあります。

そのフィルメックスが、今年も11/23(土・祝)から12/1(日)まで有楽町朝日ホールほかにて開催されることが正式に決定致しました。記念すべき20回目を迎える今年は、特別企画として歴代受賞作品の人気投票上映を行うことも決定。特設サイトから投票を受け付ける形で、過去のコンペティション部門受賞作品を対象に、人気上位作品を上映致します(※上映本数については未定)

投票は下記のURLよりご参加いただけます。
たくさんのご参加お待ちしています!

日本語版↓↓↓↓
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ENGLISH Ver↓↓↓↓
https://questant.jp/q/filmex-awardedfilm-e

新人監督賞グランプリは二ノ宮隆太郎さんの「逃げきれた夢(仮題)」シナリオ賞グランプリは廣原暁(さとる)さんの 「アンナの黒い犬」が受賞!

日本映画界の次代を担う新しい才能を発掘する「フィルメックス新人監督賞・シナリオ賞」の授賞式が6月28日、東京・六本木のキノフィルムズ試写室で開かれた。新人監督賞グランプリは二ノ宮隆太郎さんの「逃げきれた夢(仮題)」、シナリオ賞グランプリは廣原暁(さとる)さんの 「アンナの黒い犬」が受賞した。(写真下・左から廣原暁さん、二ノ宮隆太郎さん)

「フィルメックス新人監督賞・シナリオ賞」は、「木下グループ新人監督賞」を継承して今年スタートした映画賞。撮影や編集のデジタル化で映画製作が身近になる一方で、若い映画作家が次のステップに踏み出すのが難しい現状を受けて、商業映画のフィールドでオリジナル企画の実現を目指す監督や脚本家を支援する。

新人監督賞は商業映画の実績がない新鋭監督が対象で、シナリオと過去の映像作品をもとに選考。シナリオ賞はプロ・アマチュアを問わず、シナリオのみで選んだ。新人監督賞のグランプリ作品は賞金50万円のほか、木下グループが5000万円を上限に製作費を提供、劇場公開に向けて企画開発や製作・配給を支援する。

新人監督賞の応募作96作品からグランプリに選ばれた二ノ宮さんは初長編「魅力の人間」で第34回ぴあフィルムフェスティバル準グランプリを受賞し、長編第2作「枝葉のこと」が第70回ロカルノ映画祭新鋭監督コンペティション部門なとに選出された。受賞作の「逃げきれた夢(仮題)」は定時制高校の教頭の男性が認知症を発症していることに気づき、今まで距離を置いてきた家族や友人との関係を見つめなおす物語。授賞式で会見した二ノ宮監督は「この企画は初めてテーマをもらって書いた作品。テーマを下さった方々に感謝するとともに、とにかく特別な映画を作らなければと思っています」と意気込みを語った。

シナリオ賞の131作品からグランプリを受賞した廣原さんは「世界グッドモーニング!!」でバンクーバー国際映画祭グランプリを受賞。2017年には共同脚本を手掛けた監督作「ポンチョに夜明けの風はらませて」が全国公開された。受賞作の「アンナの黒い犬」は。海辺の町で起きた自動車事故を起点にした物語。廣原さんは「実在のひき逃げ事件を題材に7〜8年前から書き始めたのですが、なかなかで納得のいくものにできず、いい加減あきらめようかと生殺しのような状態で抱えていました。今回この賞を知り、映画作りの仲間と月1回くらい集まりながら意見を聴いて完成させました。この受賞で、自信というか『映画化してもいいんだ』という声をいただいたような気がしています」と喜びを語った。

新人監督賞の準グランプリは金允洙さんの「怪鳥とトランペット」、飯塚花笑さんの「トイレ、どっちに入る?」、酒井善三さんの「狩人の夜明け」が受賞。(写真下・左から金允洙さん、二ノ宮隆太郎さん、酒井善三さん)

シナリオ賞の準グランプリには内田伸輝さんの「特別」、松本稔さんと足立紳さんが共同執筆した「弱虫日記」、宮瀬佐知子さんの「オロンガポ」が選ばれた。(写真下・左から松本稔さん、宮瀬佐知子さん、廣原暁さん、内田伸輝さん)

審査員を代表してあいさつした東京フィルメックスの市山尚三ディレクターは「応募者にはシナリオコンクールなどで実績がある方もおり、全体的にレベルの高い作品が集まった」と語った。また、審査員講評として瀬々敬久監督からのコメントも発表され、「新しいことに挑もうとしている姿勢の見える作品が魅力的であったように全体としては感じました」と評価した。

より多くの作品に映画化の道を拓くため、各賞の最終選考に残った作品のうち応募者の同意を得られたシナリオは映画製作関係者限定でウェブ公開する。
詳細の問い合わせはinfo@new-directors.jpまで。

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【第1回グランプリ・準グランプリ作品の制作状況】
グランプリ作品『AWAKE』(山田篤宏監督)は6月にクランクアップ。
準グランプリ作品『人数の町』(荒木伸二監督)は5月クランクアップ。
両作品とも豪華キャストが出演。来年公開に向け、仕上げの真っ最中です。
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—-審査員講評 瀬々敬久—-

シナリオの巧拙というより、いかに挑戦しているか。このシナリオが映画になった時に、どういう貌を見せるか、それが刺激的であるだろうか、というようなことを考えながら読ませてもらいました。

そういう意味では二ノ宮隆太郎さんの「逃げきれた夢(仮題)」が飛びぬけていたと思いました。今までは自身が主人公となったり、身の回りの日常を題材にした映画を作って来た作者が、中年男性を主人公にして描く九州の一地方を舞台にした物語、そこに新しい挑戦をしようとする気概を感じました。それでも作者独特の他者に対する目線、コミュニケーションの取り方の捻じれたようでありながら純粋性を内部に持った描き方は健在であり、終わり方もある未来へ向かう感じに心揺るがせるものがあったと思います。描かれている世界は小さいけど非常に大きなものを見せられている、そんな気がしました。この映画の完成を見てみたいそう思わせるものがありました。

同じ意味では飯塚花笑さんの「トイレ、どっちに入る?」も作者が描き続けてきたテーマの延長上にあり独自の感性で描かれたものでしたが、小さくまとまり過ぎていた印象が少し残念な気がしました。描かれてはいますが、もっと外への広がりが欲しい気がしました。金允洙さんの「怪鳥とトランペット」は設定とテーマは非常に卓越していましたが、それに対して物語の展開が、そこに追いついていない気が幾分しました。一方で酒井善三さんの「狩人の夜明け」はシナリオとしての物語展開は非常に巧みで読み手を魅了する力のあるシナリオだったと思います。ところがこの映画独自の魅力は何かと問われると、そこが若干弱かった気がします。

<シナリオ賞>では廣原暁さんの「アンナの黒い犬」が一番に惹きこまれました。日常に近い世界でありながらも、独特の世界観と独自の物語展開、素晴らしいものがあったと思います。一方、足立紳さんと松本稔さんの「弱虫日記」は文学や映画で慣れ親しんだ舞台設定です。であるにも関わらず、そういうことを超えて登場人物たちに非常に感情移入しながら読むことが出来たと思います。筆力の確かさが伝わった一篇だと思います。内田伸輝さんの「特別」は男女のギリギリとした関係を描き続けて来たご自身の延長上の作品でありながら、そこから飛び出そうとする意志を感じました。ただ映画では内田さん独自の演出があったうえでそれが成立している部分もあるのだと思いますが、シナリオだけだと幾分食い足りないなという印象も持ちましたが、映画になった時は違うのだと思います。宮瀬佐知子さんの「オロンガポ」は全く新しい才能に出会ったような印象を持ちました。ご自身の経験が下敷きになっているからこそ描ける海外の描写に惹きつけるものがあります。ただ後半の物語展開が幾分弱い気がし、そこに工夫が欲しい気がしました。

どれもシナリオについての感想であり、これが何段階もの作業を経て映画へ成っていった時にはまた違う印象になることだと思います。映画は変化するものであり、現段階での感想であることお許し下さい。また、ここに上がらなかった方々の作品も読ませていただきましたが、やはり新しいことに挑もうとしている姿勢の見える作品が魅力的であったように全体としては感じました。

 

執筆:深津純子、写真:吉田(白畑)留美

【レポート】授賞記者会見

第19回東京フィルメックスの審査員会見が11月24日(土)、有楽町朝日ホールスクエアBで開かれ、コンペティション部門の受賞結果が発表された。

最初に発表されたのは、東京学生映画祭が主催する「学生審査員賞」。約1時間にわたる3Dの長回し撮影で注目を集めたビー・ガン監督の『ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト(仮題)』が選ばれ、審査員の石井達也さん(東放学園映画専門学校卒)、久米修人(日本映画大学)さんが「映画表現へのこの革命的ギャンブルは、新たな扉を叩いただろう。そして、映画に対する確固たる愛と覚悟を見せつけ、僕らの背中も大きく押してくれた」との授賞理由を読み上げた。ビー監督の代理で出席したプロデューサーのシャン・ゾーロンさんは、「これは特別な賞。決してわかりやすい映画ではありませんが、学生映画賞を受賞することで若い人に楽しんでいただけるというお墨付きをいただけたことはとてもうれしい」と語った。


続けて国際審査員による賞が発表された。まず、スペシャル・メンション(選外佳作)に今回のコンペで唯一の日本映画である広瀬奈々子監督の「夜明け」が選ばれた。審査員のジーン・ノさん(スクリーン・インターナショナル誌韓国特派員)が「完璧な脚本を映像化した家族ドラマでした。柳楽優弥さんが非常にパワフルな演技で、自分の人生を模索する青年を表現した。このように力のある若い女性監督が登場したことは、日本の映画の将来にとっても大きな希望だと私たちは感じました」と授賞理由を説明。広瀬監督は「このラインナップのなかに選ばれただけでも非常に光栄なこと。アジアの力のある作品のなかで、私の「夜明け」がアジア映画の一つとして認められたことはとても嬉しく誇りに思います。私はこれがデビュー作で、監督としてはまだ生まれたてですが、これから2作目、3作目と新たなことに挑戦し、作品を作り続け、この賞に恥じないキャリアを積んでいきたい。今日はその覚悟をいただいたと思います。ありがとうございました」と喜びを語った。


審査員特別賞はペマツェテン監督の『轢き殺された羊』。審査員のモーリー・スリヤ監督は授賞理由の中で本作を「チベットの箴言で幕を開けるポップな西部劇ロードムービー」と称した。長編第2作の『オールド・ドッグ』(2010年)、第3作の『タルロ』(2015年)でフィルメックスの最優秀作品賞を2度受賞しているペマツェテン監督は「素晴らしい賞をいただき感謝いたします。私の作品は『オールド・ドッグ』以降ずっとフィルメックスで上映していただいていますが、いつも高い評価をいただいきありがたく思っています。フィルメックスと私の映画にご縁を感じています。できればこの作品が日本で公開され、多くの皆様にご覧いだたき、チベット人やチベット文化に対する理解を深めていただくことができればうれしいです」と語った。

最優秀作品賞はセルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督の『アイカ(原題)』。審査委員長のウェイン・ワン監督は「私たち審査員は毎日2~3本を見たわけですが、どれも個性的で力のある作品ばかりで、受賞作を選ぶのはとにかく難しかった」と審査過程を振り返り、最高賞に『アイカ』を選んだ理由を次のように説明した。「25歳のキルギス人女性が出産し、赤ん坊を残して産院から逃走します。彼女は多額の借金を背負っていて、いくつもの仕事をかけもちしなければならない。彼女の肉体的な苦痛も描かれます。モスクワに暮らす移民として様々な困難を生き抜こうとする姿も。これは現代のどこの国でも起こりえる普遍的な物語です。不法滞在、移民といった問題は各地にある。また、米国では保守派が中絶を非合法化しようとする動きも出ています。米国市民として、個人として、私は最初のフレームからこの作品に心をつかまれ、引き込まれました。それが最後まで続きました。そして、最後のシーン。主人公の行動に私は強い共感を抱きました。映画でこんなことをやってのけるのは簡単なことではない。とてもパワフルでとても誠実なこの映画に賞を与えたいと決めました」

ドヴォルツェヴォイ監督は「まず最初に皆様に感謝いたします。そして、私の映画を非常によくご理解いただいたことをうれしく思います。10年前に私の最初の映画『トゥルパン』が東京国際映画祭でグランプリを受賞しました。今回2作目の映画がフィルメックスで賞をいただきとてもうれしいく思っています。と同時に、これはどういうご縁なのかなとも考えています。たぶん、日本の文化とロシアの文化、そして中央アジアの文化のつながりの深さが根底にあるのではないかと思います。日本に来るたびに、日本との関係の深さ、お互いを理解しあえるものがあるとういことを強く感じていました。今回、皆様とお会いしてその思いを深くしています。この映画はキルギスの女性が主人公ですが、これは『キルギスの女性の問題』ではなく、もっと広く普遍的なことを扱ったつもりです。主人公はキルギスの女性だとしても、私の映画は人間というものをテーマにしています。これはどこでも起こりうる問題、どの国の人も共感できる問題だと思って作品を作りました。世界には様々な考え方があるとは思いますが、どこの国の人が見ても共感できるのが映画の素晴らしさだと感じています。(日本語で)ありがとうございます。I’m happy, thank you」

結果の発表を受けて、司会の市山尚三ディレクターが審査員にあらためてコメントを求めると、エドツワキさん(イラストレーター/アートディレクター)が登壇した。「審査員の他の4人の方々は映画のプロフェッショナル。たぶん私は”飛び道具”として入れて下さったのだと思います(笑)。そういう自覚のもとでのびのびとやらせていただきました。『とにかく全部見て、見終わってから話をしようか』というウェイン監督の方針で、自由な環境で見させてもらった。10作品を見終わって、昨日みんなで自由に話し合った。それぞれに意見を交わして、皆さんの感想から自分が気付かなかったことも発見した。この3作は全員が納得する形で選ぶことができました。本当にこういう機会に参加できて幸せでした。本当におめでとうございます」と審査の様子を語った。

質疑応答に移ると、審査員席のノさんがすっと手を挙げ、「私もジャーナリストなので、皆さんが質問を考えている間に一言いいですか?」とマイクの前に立った。「映画業界で働き始めて20年になりますが、いろんな人からフィルメックスはすごいという噂を聞いていました。プログラムもいいし、監督や作品、そして観客を非常に尊重している、と。20年やってきましたが、とても珍しいことです。もっと大規模で有名な映画祭も数ありますが、こんな評価は聞いたことがない。フィルメックスは小規模な映画祭なので過小評価されているかもしれませんが、世界の映画祭のなかでもきらめく宝石のような存在です。それは誇っていいことです」と笑顔で主催者にエールを送った。

会場のプレスからは審査経過について質問が出た。「審査員の間で評価がはっきり分かれた作品はあるか?」との質問にワン委員長は「最も時間をかけて話し合ったのは『象は静かに座っている』。一部の人が強く推し、別の人が問題点を指摘しまた」と説明。「個人的には、学生審査員賞に決まった『ロング・ジャーニー・イントゥ・ナイト』がどうしても好きになれず、これだけは賞を与えたくないなと思っていました(笑)。そんなことを思ったのも、私が年をとった証拠かもしれません。若い人は別の見方をする。そういうことなのでしょう。ともあれ、それ以外はみんなの意見に大きな相違はありませんでした」

バラエティに富んだコンペ作品をどのような基準で比較したのかという質問には、「科学的な測定基準があればいいのですが、私たちはひたすら映画を見て、お互いの直観を元に話し合った。各自が好きな作品を選んで持ち寄りましたが、トップ3だけを選んだ人も全部に順位をつけた人もいました」。審査員で唯一コンペ作品に1位から10位まで順位をつけたのはエドツワキさん。「エドさんの1位は?」と問われると、「それって、公開処刑ですか?」と笑わせ、「私が最後まで推したのは、ぜひ日本の観客に見せたかった作品。わがままを聞いていただきました。1位は『轢き殺された羊』です」と明かした。

会見は最後まで笑顔が絶えない和やかな雰囲気に包まれ、審査員がそれぞれの意見を自由に語り合い、納得のいく結論に至ったことがうかがえた。審査員の講評や受賞者のコメントにこめられた「受賞作を一人でも多くの観客に届けたい」という思いが実現することを期待したい。

取材・文:深津純子 撮影:吉田(白畑)留美

『アッシュ・イズ・ピュアレスト・ホワイト(原題)』ビデオレター

皆さん こんにちは ジャ・ジャンクーです。
東京フィルメックスに私の新作「アッシュ・イズ・ピュアレスト・ホワイト」を観に来てくださってありがとうございます。

この映画は製作に3年の時間を費やし、脚本執筆から準備、撮影のために、中国国内7700㎞の距離を移動しました。
私の故郷の山西から山峡や新疆まで7000㎞以上の道のりを撮影し、流浪して渡世に生きる人物を描きました。
日本の皆さんに気に入っていただければ幸いです。この映画を応援して下っている観客の皆さんに心から感謝します。

そして東京フィルメックスに感謝します。私の作品のほとんどはフィルメックスで日本でのプレミア上映をしていただきました。
「アッシュ・イズ・ピュアレスト・ホワイト」は来年日本で公開されますので、そのときには日本に行き、皆さんとお会いし、交流したいと思います。

今回は仕事の都合でどうしても東京フィルメックスに参加できません。
映画祭の成功をお祈りします。それでは皆さん、ごゆっくりご鑑賞ください。
撮影:明田川志保

【レポート】『プラネティスト』舞台挨拶、Q&A

11月25日(日)、有楽町朝日ホールにて特別招待作品『プラネティスト』が上映された。東洋のガラパゴスと呼ばれる小笠原諸島に住む「海のターザン」こと宮川典継さんと出会った監督が2014年~2017年の5年に渡り記録したドキュメンタリー。上映に先立ち、豊田監督、宮川典継さん、窪塚洋介さん、渋川清彦さん、中村達也さん、ヤマジカズヒデさんが登壇した。
壇上、豊田監督は今回で第10回、第12回に続き、3回目となるフィルメックス上映に誇りに思うと語り、「夕日の美しさ、原初的な地球の風景を見て感動しました」と小笠原の魅力を述べ、「僕の尊敬する仲間のアーティスト達を島に呼んでセッションを繰り広げ、みんなで夢を見ようという映画です」と挨拶した。

宮川さんは「美しいアイランドの自然を皆さんと映画でご一緒できてうれしい」と笑顔で会場に語りかけた。窪塚さんは「生きててよかったと思える景色は死ぬまでにどれぐらい見られるのか。その中の1つに小笠原という島があるのは間違いないです」と振り返り、「また(再訪して)宮川さんのお宅に泊めてもらおうかな」と語ると、宮川さんが「お待ちしてます」と笑顔で応えていた。

渋川さんは自身が第10回東京フィルメックス以来、2回目の東京フィルメックス参加であることを語り、当日は会場近くの宝くじ売り場に長い列ができていたことに触れつつ「夢を買うのもいいけど、小笠原に行ったらもっといい夢見れるよ」とアピール。中村さんは「長い船旅を終えて、島までドラムを持って行って叩いたりしました。」ヤマジさんは「東京にいながら小笠原を感じていただけると嬉しいです」と語った。

上映後、再び豊田監督が登壇しQ&Aが始まった。まず、市山尚三ディレクターより、「本当に素晴らしい映画を撮影していたんですね」と一言。次いで、本作の製作の経緯を尋ねた。豊田監督は「小笠原は人生に一度は行ってみたいと言われる場所」だと紹介し、本当は映画の撮影の舞台にしようと思ったが、タイミングが合わず行けなかったそうだ。森永博志さんが小笠原を舞台に描いた『PLANETIST NEVER DIES』という小説が好きだった豊田監督は、小笠原に行く際、森永さんに相談したところ、宮川さんに会うべきだとアドバイスを受けたそうだ。「小笠原には一航海(1週間)の予定が、気に入ってしまい1カ月いました。宮川さんと一緒にいるうちに宮川さんを主人公にしたドキュメンタリーを作りたいと思ったのが本作を作ったきっかけです」と語った。冒頭でも記した通り、本作は2014年~2017年に撮影された後、豊田監督は『泣き虫しょったんの奇跡』(2018)の撮影、編集に入ったそうだ。その後、本作の編集に入り、「2018年は小笠原返還50年なので今年に間に合わせたいと思いました」と語った。
会場からの質問で、本作を完成した後と撮影開始時で(心境が)変わった点はあったかと聞かれると、豊田監督は「自然に対して詳しくなりました。宮川さんに教えられながらいろいろなことを学びました。ネイチャーものの映画が、これからいっぱい撮れるな、と思いましたね」の答えに会場がどっと沸いた。

豊田監督の幸せとは何か?という質問に対し、「僕は“みんなが幸せになるまで自分の幸せはない”と思っています」と考えを語った。

劇中のドルフィンスイムについて、水中撮影も行ったのか?という質問には「水中はいろいろ撮っていましたが、ドルフィンスイムや窪塚さんのシーンは小笠原に在住のMANA野元学さんというカメラマンに撮ってもらいました」と答えた。「それ以外はほぼ一人で撮っている感じです」と述べていた。

監督が呼んだ出演者が小笠原の自然に触れることで生じた変化は予見していたかという質問には「予想は出来ていませんでした」と豊田監督。ディジュリドゥ奏者のGOMAさんのシーンでは演奏している時に、クジラがやってくるとは予想してなかったと説明し、「とりあえずやってみよう」ということで撮影していたそうだ。「(出演者の方々は小笠原にやってきて)いろいろ思うところはあったと思うが、想像はできていなかったです。ただ、ドキュメンタリーを作る前に構成はできていました」と振り返っていた。

作中に出てきた、「小笠原返還の歌」を唄った大平京子さんの英語表記がEdith Washingtonであったことに言及があり、前者が日本帰化後、後者が島返還前の名前であると答えていた。

小笠原に訪れた人たちはどんな人たちだったのかという質問に対し、「出演した人以外にも誘っていました」と豊田監督。しかし、台風の影響や時間の都合が合わず、来られない人がいた一方で、窪塚さんや中村さんは来てくれたそうだ。また小笠原では「お前まだ、小笠原に呼ばれてないな」という言い方をするそうだ。

小笠原の交通手段の拡充と孤立性についてどう思うかという質問には「イエス・ノーを言える立場ではありません。ただ、24時間船に乗るということが大好きです。そんな場所が世の中にあっていいと思います。島の人たちの気持ちもあると思います。正解はないと思います。僕は今の形が好きです。だからこそ惹かれました」と島への想いを観客に伝えていた。

会場からは本作を観て、小笠原の自然の雄大さに魅了された多くの観客が小笠原に行きたいと感想を語っているのが印象的であった。自然に触れることで魂が震える観客の熱量が会場に充満している中、質疑応答が終了した。
本作は2019年5月にテアトル新宿ほかにて公開予定である。ぜひご覧いただき、小笠原のダイナミックな自然を感じてほしい。

取材・文:谷口秀平   撮影:明田川志保

第19回東京フィルメックス終了のご報告

2018年11月17日(土)から11月25日(日)の会期で「第19回東京フィルメックス」を開催いたしました。

詳細につきましては、以下の通り、ご報告差上げておりますが、前年を大きく上回る多くの方にご来場いただきました。厚く御礼を申し上げます。
上映全35作品の監督はじめ、ご出品にご尽力いただきました皆様、そして上映当日ご登壇いただいた、82名の来場ゲストの皆様にも心より御礼申し上げます。
今年の第19回に際しては、春先に多くの方に開催のご心配をおかけしましたが、数多くの個人・法人の方々からご支援、ご協力をいただいたからこそ、無事に開催し、閉幕に至りました。この場をお借りして、皆様のご支援に厚く御礼申し上げます。

開幕直前の11月8日、当会は東京都知事より認定NPO法人に認定されましたので、併せてご報告いたします。

引き続きのご支援のほど、心よりお願い申し上げます。
ご支援はこちらから

来年は11月23日(土)から12月1日(日)の会期で「第20回東京フィルメックス」の開催を予定しています。皆様のご来場お待ちしております。

 

特定非営利活動法人東京フィルメックス実行委員会

詳細は以下からPDFをダウンロードしてご覧ください。

第19回東京フィルメックス結果報告

【レポート】『盆唄』Q&A

11月24日(土)、有楽町朝日ホールにて特別招待作品『盆唄』が上映された。東日本大震災から4年が経過した後も避難生活を送る双葉町の人々に希望を与えたのは、100年以上前に福島からハワイに伝わった盆踊りが、ハワイの日系人に伝承されているという事実だった。「双葉盆唄」の伝統を絶やすまいと奮闘する人々の姿を、3年にわたって追ったドキュメンタリー。上映後のQ&Aには中江裕司監督と、企画・アソシエイトプロデューサーであり、写真家の岩根愛さんが登壇した。

映画を企画した岩根さんは、2006年からハワイの日系移民と関わっている。
「ハワイのボンダンスが好きで、写真を撮りに通っていました。一番盛り上がるのは、フクシマオンドという生演奏の唄。震災の年に唄のルーツが気になって調べ、被災した地域から伝わったものだと知りました。それから、ハワイと福島の盆唄奏者たちの交流に関わるようになりました」
双葉盆唄の奏者である、横山久勝さんたちが初めてマウイのボンダンスを見たとき、あまりの賑やかさに驚いていたという。20年以上、太鼓を制作していた横山さんだが、移住先での太鼓作りを諦めており、マウイの人たちに太鼓を一つプレゼントした。それまでのマウイの太鼓はワインの樽で作ったもの。初めて一本の木で作った太鼓を手にしたマウイの人々から「行き場のない双葉の盆唄も継いでいきたい」と提案されたそうだ。
岩根さんはドキュメンタリー『白百合クラブ東京へ行く』(03)で写真を担当しており、中江監督とは20年来の付き合いがあるが、監督は当初、映画を撮ることを断り続けていた。「僕は英語も話せませんし、既に多くの人が双葉町の映画を撮っていましたから」。その後、中江監督はNHKで沖縄系のハワイ移民のドキュメンタリーを2本連続で撮ることになり、縁を感じた。さらに、岩根さんの紹介で会った横山さんの存在も大きい。「横山さんの魂は今も双葉町にあるのだなと感じ、撮らなくてはと思いました。この映画は横山さんを撮っていけば成立するという予感もありました」と中江監督は語った。

Q&Aで真っ先に手を挙げたアミール・ナデリ監督は、「ポジティブで、希望に溢れた作品でした。他のどのドキュメンタリーとも違う独自性もある。復興を願う人々の情熱や、故郷への思いが伝わり、心に響きました。音楽も素晴らしい!」と絶賛。中江監督は「辛い状況は映ってしまうだろうけど、それでこの映画を終わらせるわけにはいかない。どうやったら映画を救えるか、岩根さんと3年間話しました」と明かした。
劇中、200年以上前に富山から福島の相馬地方に移り住んだ人々の話がアニメーションで登場する。中江監督は「最初はドラマにしようかと思いましたが、アニメーションの方が想像力が働くのではないかと思いました」と言い、「撮影のときは双葉の人たちにいただいてばかり。出演して良かったと思えるよう、映画から彼らにメッセージを送れないかとずっと考えていました。僕の中ではアニメーションの部分がそう。100年、200年の単位で考えると、祖先はみんな移民なのではないかという思いも込めました」とその意図を語った。さらに、「やぐらの競演」を映像で残したいという横山さんたちの思いに応え、9台のカメラで撮影した2時間以上にわたる完全版も制作して双葉町の人々に手渡した。

中江監督は今夏もカメラを持たずに「やぐらの競演」を見に行った。現在は仮設住宅から復興住宅に移った人も増え、明るい兆しが見えたという。今後、双葉町の映画を撮り続けるかは未定だが、今回の上映で新たな発見もあった。「横山さんはハワイで、『もし双葉が復興したら、マウイの人たちに盆唄を教えてもらいたい』と言ったと思っていましたが、実際は『孫とか子どもの代になって、双葉が復興すれば』と言っており、復興への確信があったのだと気付いた。横山さんのその気持ちに今後も寄り添っていきたい」

圧巻の演奏シーンも見どころの本作。『盆唄』は2019年2月15日より、テアトル新宿ほか全国で順次公開される。
取材・文:宇野由希子   撮影:明田川志保

【レポート】『エルサレムの路面電車』『ガザの友人への手紙』Q&A

11月23日(金・祝)、有楽町朝日ホールにて特別招待作品『エルサレムの路面電車』『ガザの友人への手紙』が上映された。上映に先立ち、アモス・ギタイ監督が舞台挨拶に登壇し、作品紹介を行った。
『エルサレムの路面電車』は、様々な民族がモザイク状に混在して居住するエルサレムを東西に走る路面電車を舞台に、緩やかにつながるエピソードをオムニバス風に見せる。「36人の俳優が登場し、7つの言語が話されます。撮影現場は、様々な出自を持つ俳優たちの対話の場ともなりました」とギタイ監督。最新作の短編『ガザの友人への手紙』はイスラエルによるガザ封鎖の過激化を受けて発表したドキュメンタリーだ。イスラエル、パレスチナの俳優たちとギタイ本人が出演している。アルベール・カミュのエッセイ『ドイツ人の友への手紙』へのオマージュが込められているという。
上映後のQ&Aにはギタイ監督が再び登壇し、制作の背景を語った。『エルサレムの路面電車』については、現在のイスラエルはかなり緊張状態にあるが、最初に出演依頼した俳優全員が、イスラエル人、パレスチナ人、マチュー・アマルリックさんのような海外の俳優も含めてすぐに引き受けてくれたことは幸福だ、と述べた。

撮影は実際の車両で行っている。世界中から来た人がたまたま乗り合わせる車両は、エルサレムという街の象徴でもある。
エルサレムは3000年の歴史があり、3つの一神教の聖地が1平方kmほどに集中している。しかも、いずれの宗教も街を支配しているわけではない。その複数の文化や宗教の層を表現した。
「この映画ではある種、楽観的な将来像を描こうとしました。小さな衝突は起こり続けるにしても、何らかの共存は可能ではないか。今のように激しい暴力や憎しみがぶつかり合うのとは違う共存の仕方が、将来には可能かもしれないと思ったのです」
ガザで撮影した映画としては、ドキュメンタリー「Give Peace a Chance」(94)や、「The Arena of Murder」(96)がある。前者は、1995年に暗殺されたイツハク・ラビン首相に取材したもの。イスラエルとガザの理想の関係が丁寧に語られているが、それは現在、私たちが目にしている状況とは全く違うものだという。ギタイ監督は、「Rabin, The Last Day」(15)も含めて、ラビン首相に関連する作品をいずれ日本でも上映したいと抱負を語った。


会場にはアミール・ナデリ監督の姿もあり、「25年間、あなたの映画を見続けてきましたが、最も新鮮な映画だと思いました」と賛辞を述べた。その発言を受けて、ギタイ監督は「自分自身を再発明し続けることが一番難しい。映画祭のレッドカーペットに惚れ込んでしまわないように、映画をつくるときはタキシードではなく、Tシャツを着直して仕事に行くことが大事」と語った。また、この作品で実現できたこととして、「普段なら一緒にいるはずがない人を隣り合わせにすることができた。例えば、ユダヤ教の正統派は男女は隣に座らず、パレスチナ人とイスラエル人は出会うことが難しいこともある。異なる文化、宗教、背景を持つ人たちが一緒になり、その対話の中から作品が生まれたのは私たちアーティストにとって非常に幸せなこと」と喜びを語った。
ここで予定時間となり、Q&Aは終了。会場に詰めかけた大勢の観客から、ギタイ監督に大きな拍手が送られた。
取材・文:宇野由希子    撮影:明田川志保

【レポート】『8人の女と1つの舞台』Q&A

11月22日(木)、有楽町朝日ホールにて特別招待作品『8人の女と1つの舞台』が上映された。本作は、舞台復帰をめざすかつてのスターなど8人の女性たちが繰り広げるバックステージを描く。上映後にはスタンリー・クワン監督が登壇しQ&Aに臨んだ。フィルメックスで上映された監督の作品は本作で3作目となるが、監督本人の来場は初めてだ。クワン監督は、「今回はなんとしても来ようと思いました。このように大きな劇場で、皆さんに観ていただき、本当に嬉しく思います」と挨拶した。

市山尚三東京フィルメックス・ディレクターから本作の制作のきっかけを尋ねられたクワン監督は、劇中に登場した劇場について語り始めた。その劇場は、香港のランドマークであるシティホール。3年前に香港政府がこのホールを壊すと発表し、多くの人がニュースを聞いて猛反対したそうだ。クワン監督は、シティホールが多くの人にとって「映画祭、舞台、音楽、展覧会を楽しむとても神聖な場所」であると捉え、シティホールへの思いを本作に込めたことを明かしてくれた。幸い、シティホールを壊す計画はなくなり、一時的に閉鎖し全面的に改修されることになったそうだが、「英国統治時代の名残が改修後に全く別ものになるのではないかと心配」というクワン監督。

ここ10年ほど映画を撮っていなかったクワン監督だが、その理由について、香港映画人と中国との関わりを踏まえて説明した。90年代半ばから終わりにかけて、香港の映画監督たちは、映画に対する真摯な姿勢、確立された映画システム、ジャンルの専門性などが買われ、中国に招かれて中国で映画を撮るようになったそうだ。ただ、中国で香港映画を撮るわけではないので、なかなか環境に馴染めず、クワン監督は、監督としてではなく、中国の若手監督を助けるプロデューサーとして映画と関わっていたという。「シティホールが壊されるというニュースを聞いて何かをしなければと思い、映画を撮るために中国側からも投資を募ったところ、結果的に上手くいきました。というのも、合作は必ずしも中国で撮らなくてもよく、そのおかげで本作が出来上がったのです。私はやはり監督をするのが大好きです」と、監督として映画に関わる喜びを語ったクワン監督。
 また、本作には「ウィリー・チャンさんに捧げる」という献辞が添えられているが、ジャッキー・チェンさんの作品のプロデューサーとして知られるウィリー・チャンさんとの縁について話が及んだ。ウィリー・チャンさんは、クワン監督の『ルージュ』(’87)と『ロアンリンユイ 阮玲玉』(’91)のプロデューサーを務めていたそうだ。長年現場でやってこられたウィリー・チャンさんは、ジャッキー・チェンさんとの仕事がなくなってから退屈だったのかもしれないと推察したクワン監督。本作を撮る前に、名前だけでもプロデューサーとしてクレジットして欲しいと依頼されたため、投資者とも相談し、理解を得ていたそうだ。ところが残念なことに、本作のクランクイン前に亡くなられてしまったという。
さらに、本作ではLGBTを扱っているが、今後もLGBTを扱うのかという質問が挙がった。これまでの作品では女性を描くことが多かったクワン監督だが、自身をフェミニストと称しているわけでもなく、「すべては登場人物の人間性からスタートしている」と説明。LGBTのテーマは、『藍宇~情熱の嵐』(’01)のほか、『ホールド・ユー・タイト』(’98)でも扱われているが、クワン監督は「登場人物に合わせて必要に応じて描いています。描きたい題材の中にたまたま同性愛者がいるという流れなのです」と述べた。
最後に、「もう一度、言わせてください。私は監督をするのが大好きです」と、クワン監督の力強い言葉で質疑応答が終了。久しぶりにメガホンを取ったクワン監督の作品を心待ちにしていた観客からは大きな拍手が贈られた。

取材・文:海野由子 撮影:吉田(白畑)留美