11月26日(日)、有楽町朝日スクエアBで国際批評フォーラム・フィードバックが行なわれた。これは、11月19日(日)に行われた国際批評フォーラムを受けて、今回のフィルメックス上映作品に関する批評を一般から公募。映画祭事務局が選んだ批評に対して講師2名が講評するというもの。映画批評に関心を寄せる観客を前に、経験豊富なプロの視点から、様々な意見が寄せられた。
会場では、東京フィルメックスの市山尚三プログラム・ディレクターが司会を務め、映画評論家・字幕翻訳家の齋藤敦子さんと、日本経済新聞社文化部編集委員の古賀重樹さんが講師として登壇。
一般からの公募には、26本の批評が集まり、映画祭事務局の予備選考を経た7本について講評が行なわれた。予備選考を経た7本の批評と執筆者は次の通り。
「相愛相親」藤澤貞彦さん
「ジョニーは行方不明」古川徹さん
「私はゾンビと歩いた!」近藤都さん
「サムイの歌」新庄天太さん
「私はゾンビと歩いた!」戸巻夕夏さん
「相愛相親」田辺章さん
「殺人者マルリナ」折田侑駿さん
(投稿順、リンク先にPDFあり)
まず初めに、市山さんが19日の国際批評フォーラムにて実施されたジャン=ミッシェル・フロドンさんによる基調講演と、続けて行われたラウンドテーブルの内容を紹介。映画批評はどうあるべきかということをテーマに、映画批評に対する誤解、インターネット時代の批評のあり方、日本の映画批評の問題点などが話題に上ったという。
続いて、本フィードバックの趣旨を説明。その中で、応募者から「締め切りまでの時間が短かった」との意見があったことが紹介された。これに対して、カンヌ国際映画祭期間中、映画を見た当日に執筆して翌朝には印刷・発行される業界誌の例を挙げ、今回の締め切りは決して短くないとの話が講師側からあった。
そして、個別の講評の前に行われたのが、7本の批評を読んだ2名の講師による総評。
古賀さんは「皆さんよく見ている。何が見えたか、何が聞こえたかということが一番大事。どの批評もその点は押さえられていた」と読み込みの深さを評価。その一方で、「書いている人が何を伝えようとしているのかが見えないものもあった」とコメント。
齋藤さんも古賀さん同様、細かい部分まで見ていることを評価しつつも、「非常に読みにくい。最後まで読み通すのが辛かった」と、文章の書き方を問題視。「評論には必ず読者がいる」と述べた上で、「日記や覚書であれば自分の好きなように書いていいが、読んでもらうためにはどういう書き方をしたらいいか、自分の思っていることが真っ直ぐ伝わるかを考えてほしい」とアドバイスした。
さらに齋藤さんは、「評論を書く時は、映画監督と対等で、同じ立場に立っていなければいけない」と書き手のスタンスについても言及。「ファン目線で下から崇めてもいけないし、こんな映画を作るなんて……、という感じで上から見下ろしてもいけない。監督が何を撮りたいと思ったのかということに真摯に向き合って、同じ目線で評論してほしい」。
ここで市山さんが、カンヌ映画祭で配布されている業界誌に掲載されている批評には書き方のパターンがあると紹介。最初に書き手がその映画を評価しているのか、そうでないかが分かるように書き、続いてストーリーの説明、最後にカメラなどテクニック的な内容を書いてあることが多いとのこと。ただしこれは、業界の人が読むというニーズに基づいたものであり、古賀さんからは「急いで書かなければいけないので、定型を作る」というジャーナリズム的な立場からの必要性も解説された。それと同時に、外部の批評家に依頼する時は「新聞記者に書けないものを求めているので、枠にはめる必要はない」との話も。
齋藤さんからは、好き嫌いをはっきり書くフランスの新聞を引き合いに、「(今回の投稿文は)書いている人がこの映画を好きなのかどうか、楽しんだのかどうかが分かりにくかった。書きたいものは、基本的に好きな映画のはず。もっと素直に書いていいのではないか」という意見も出され、古賀さんも深くうなずいていた。
引き続き、7本の批評に対する個別の講評に移った。
オープニング作品『相愛相親』に関する藤澤さんと田辺さんの批評については、2本とも劇中で描かれる“移動”に着目している点を古賀さんが高く評価。さらに、移動を徹底的に掘り下げた田辺さんの評、場所に関する横の移動に加えて先祖と子孫という世代間の縦の移動について触れた藤澤さんの評という、それぞれの個性も認めた。これに対して斎藤さんは、毛沢東の大躍進政策の失敗以降の中国の歴史を背景にした映画であることを踏まえ、「時代背景を調べて書く視点もあればよかったかも」と注文を付けた。
『私はゾンビと歩いた!』に関する2本の批評のうち、近藤さんについて古賀さんは「捕らわれというキーワードを見い出している」と着眼点を評価。斎藤さんは、戸巻さんの批評について「最初の2行がすごくいい」と褒めた上で、当時のゾンビ映画を取り巻く状況、歴史的背景についての言及があれば、より立体的になったのではないかと指摘した。
古川さんの『ジョニーは行方不明』については齋藤さん、古賀さんとも「よく書けている」と評価しながらも、上から見下ろすように感じられる書き方をしている最後の段落については「必要なかった」との指摘があった。
新庄さんの『サムイの歌』については、市山さんが「今年のフィルメックスでは、最も批評を書くのが難しい作品」と紹介。その批評の内容については齋藤さんが、冒頭で野良犬の視点に気が付いた点、「サムイ」という言葉の意味を調べた点を高く評価した。ただし、原題が「Samui Song」であることから、エンディングに流れる歌についても言及してほしかったと注文。一方、古賀さんは「ポイントは押さえている」としつつも、「なぜ今この映画が作られたのかということについての言及が欲しい」との要望があった。
折田さんの「殺人者マルリナ」評については、齋藤さんが「この映画を語る上で欠かせない二つのキーワードは、フェミニズムと西部劇」とした上で、「フェミニズムについては良く書かれているが、西部劇で作られているということにも触れてほしかった」と語り、さらに「インドネシア映画であることがどこにも書かれていないことが気になった」と疑問を呈した。これに古賀さんも同意。市山さんが、他の批評にも共通するアドバイスとして「作品を見たことのない第三者が批評を読んだ時に、分かるようにしたほうがいい」と付け加えた。
7本の批評に関する講評を終えた後は講師陣が客席からの質問に答え、最後は「来年も実施できるといいな、と思っている」という市山さんの言葉で、国際批評フォーラム・フィードバックは締め括られた。
(取材・文:井上健一、撮影:村田麻由美)