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第19回シンガポール映画祭 レポート

第19回シンガポール国際映画祭レポート(映画祭期間:2006/4/13-4/19)
<1>映画祭の特色について
 今年19回目を迎えたシンガポール国際映画祭は、1980年代末から一貫してアジアに焦点を当て、特に東南アジアの動きをフォローし続けている。
 また、次のような特徴があり、東京フィルメックスと共通する部分もある。
・国や自治体などの主体によらず行われる
・首都で行われている
・アジアの新進の才能を励ますことをねらいとする
・世界の映画を集め、観客にオルタナティブな視点を紹介していく
 さらに、特徴的な点としては、観客が映画を見に行きやすいよう、上映プログラムは土日および平日の夜に組まれ、その分、17日間にわたる比較的長い日程となっている。
 観客の年齢層は20代から60代までと幅広く、普段の映画館に行く延長上で見に来ている感もあり、映画祭の定着感を伺わせる。
・会場:4会場(地下鉄の各駅に分散、各150?250席程度の規模)
 シネコン内の会場2箇所、国立博物館映像ホール、アリアン・フランセーズ
・上映本数:長編 約130本(ドキュメンタリーや短編も含めると約300本)。
今年のプログラムの目立った点としては、
・アラブ映画特集(15作品)
・シンガポール映画が存在感を示したこと(新作4本、旧作3本)
・フィリピンのデジタル・シネマの多様な動き
(※その他、プログラム詳細については、4/19付の開幕情報の項もご覧下さい)


<賞結果の詳細について>
http://www.filmfest.org.sg/main_press3.php
第19回シンガポール国際映画祭シルバースクリーンアワード
最優秀作品賞:「やわらかい生活」廣木隆一監督/日本
最優秀監督賞:Kelvin Tong監督  /シンガポール
審査員特別賞: Riri Riza監督/インドネシア
最優秀男優賞:Elijah Castillo /フィリピン
最優秀女優賞:Hanan El Turk /レバノン
NETPAC/FIPRESCI賞:
John Torres監督/フィリピン
「あひるを背負った少年」イン・リャン監督/中国
*既報の受賞結果速報も合わせてご覧ください。
<2>作品の感想について
見た作品の中では、次のようなユニークなものもあった。
◆【シルバー・スクリーン・アワード・コンペティション】部門より
Todo Todo Teros(06)John Torres フィリピン
アーティストとしての自身の日常を、シネエッセイ風に綴った実験的ドキュメンタリー。DV撮影によるミクロ的で生々しい映像と、表現に対する意志がフレッシュかつ温かい印象をもたらす。上映会イベントの光景など、フィリピンのインディーズ・シーンが窺い知れる点も興味深い。
Love Story (06) Kelvin Tong 香港、シンガポール
主人公の作家が遭遇した4人の女性との風変わりな情事を、ブラック・ユーモア的に描く。作家が書く小説中の事なのか起こった出来事なのか渾然一体とした構成により、幻惑的な映像を盛り込んだ異色の作品。映画批評家出身の監督による長編第1作であり、香港のアンディ・ラウの会社FOCUSのプロデュース作品。
◆【Asian Cinema】部門より
Garuda’s Deadly Upgrade(05)Lexy Rambadeta/David O’Shea インドネシア
ドキュメンタリー。人権活動家が国営ガルーダ航空機内で変死した事件を、関係者へのインタビューと政府側の調査などから再検証。政府情報部のエージェントとしてガルーダ職員が同機に乗り込み毒を盛ったという事実が明るみに出る過程を追跡し、スリリングな謎解きによって深刻な政治的暗部を浮かび上がらせる。
◆【Retrospective of M Amin】より
M・アミン監督特集
50?60年代にかけて香港でも活発に映画製作をおこなったキャセイは、本拠地のシンガポールのスタジオでも製作しており、60年代にはマレー語映画が盛んとなっていた。1924年生まれのマレー系のM・アミンは、マレー語映画界に俳優として入り、インドから来ていたL.クリシュナン監督やマレー系のフセイン・ハニフ監督などの助監督を経て、62年に監督デビューし、生涯に50本以上を撮った。キャセイでは11年間に29本を監督し、時代劇、現代劇、ドラマ、コメディ、犯罪ものものなど多様なジャンルの娯楽作品を手がけ、好評を博したという。しかし、現代ではシンガポールにおけるマレー語映画の製作も途絶えてしまい、また往年の巨匠としては、王道路線をいったP・ラムリーとも、完全主義的なフセイン・ハニフとも異なるM・アミンの真価は顧みられることは少なくなっていたものの、マレー語映画の黄金時代を支えた名匠としては十指に必ず挙げられるべき存在とされる。娯楽映画の枠組みの中に詩情や幻想的イメージがこめられたM・アミン監督の再評価を期して、2003年の逝去を受け、M Aminのファンであり多大な影響を受けたというマレーシアのU-Wei Bin Haji Saari監督の尽力もあり(2作品の英語字幕を担当)、特集上映が実現した。
Cucu Dato’ Merah (63) M Amin シンガポール
民話に基づいた時代劇。名家の末裔だが、しがない生活に甘んじている主人公は、妻とささやかに暮らしていたが、有力者の家に仕官することになり、その娘に見初められて結婚させられる。裏切られたと嘆き悲しんだ妻が、夫が大事にしていた闘鶏を料理して夕食に出したことをきっかけに、夫婦の諍いは悲劇的な結末へ導かれる。裕福な生活の誘惑と身分社会への批判が描かれた愛憎劇で、マレー語映画におけるアンチ・ヒーロー型人物のひとつのモデルを打ち出したという。素朴ながらも奔放なアクション・シーンの鮮烈さが印象深い。また、50年代のインド、フィリピン、日本などの映画の影響も見受けられる。
<3>シンガポール国際映画祭に参加しての感想
 今回初めてシンガポール国際映画祭に参加して、しみじみ実感したことは(当然すぎることではあるが)、映画祭を続けることの意義、そして一貫した顔の見えるかたちで継続することの重要性である。
 つまり、観客に対して、そこでしか出会えないものを見るチャンスを確保することの責任や、作り手に対して、観客に紹介することによって応援するサポートというのは、一過性ではなく継続的だからこそ、広がりと深みを増していくのだという基本的な事実をシンガポール映画祭が実践的に表しているからだ。それは、権威や華やかなイベント性や規模を誇示する方向性でなく、本質的な、見たいという観客と見せたいという作り手とを結びつける機会を作るということを主眼とした映画祭のひとつのありようといえる。
 自治体などの主催によらないということもあり、映画祭としての役割に自覚的となり、また同時に有機的なネットワークを培ってきている。さらに各年の成果をまた次へつなげて発展させていくということは、並大抵のことではないだろう。
 そこには、1987年に映画祭を立ち上げた創設者であるジェフリー・マローン氏および創設時から映画祭ディレクターを務めるフィリップ・チアー氏(*)らによる絶え間ない尽力があればこそ、と思われる。実際、両氏は映画祭期間中にもフレキシブルに立ち働き、アットホームな雰囲気をかもし出していた。
(* フィリップ・チアー氏はアジア映画の発展をサポートするべく、NETPAC の活動も精力的に行っている)
 問題点としては、次のような点が挙げられるが、これはシンガポールに限ったことではなく、現代の映画祭をとりまく普遍的な課題といえるのではないだろうか。
・予算を集めること
公的助成および企業スポンサーの確保など
・作品を集めること
地元の商業公開との競合、他の映画祭との競合
・観客を集めること
映画館離れが進む状況であり、ブロックバスター映画への偏りが著しい中で、
どのように観客の注意を喚起していくか
(報告者:森宗厚子)
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【(補足)シンガポールひとくちメモ】
●国全体の広さは、日本の淡路島程度の大きさ。
●人口:約400万人
(中国系77%、マレー系14%、インド系8%、ユーラシア系その他1%)
●公用語:マレー語、中国語、タミル語、英語の4言語を公用語として使用
*公共機関や道路標識などには4言語が表示されている
*英語が一般的に使われている(ビジネス、政府、学校等では英語を使用)
バイリンガルの人が多く、英語と母系言語を使う場合が多い
●映画館の状況について
2005年の年間観客入場者数 14,800,000人(国民1人当たり年平均3.7回程度)
151スクリーン(37,353席分)
*映画館のほとんどはシネマコンプレックス形式
アート系シアターは映画館1箇所のほかにアリアンフランセーズなど
*映画館で公開されているのはほとんどが外国映画で年間約900本程度
(シンガポール国内での製作本数が毎年数本程度のため)
最も多いのがアメリカ映画で年間約300本程度、
次に多いのがインド映画で年間150本程度(インド映画専門映画館が複数ある)
香港映画は年間20?30本程度に減少傾向(5年前までは年間70本以上公開)
日本映画は年間30?40本程度
アセアン諸国および中国・台湾映画あわせて年間約100本弱程度
その他の映画が年間250本強程度
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