『アッシュ・イズ・ピュアレスト・ホワイト(原題)』ビデオレター

皆さん こんにちは ジャ・ジャンクーです。
東京フィルメックスに私の新作「アッシュ・イズ・ピュアレスト・ホワイト」を観に来てくださってありがとうございます。

この映画は製作に3年の時間を費やし、脚本執筆から準備、撮影のために、中国国内7700㎞の距離を移動しました。
私の故郷の山西から山峡や新疆まで7000㎞以上の道のりを撮影し、流浪して渡世に生きる人物を描きました。
日本の皆さんに気に入っていただければ幸いです。この映画を応援して下っている観客の皆さんに心から感謝します。

そして東京フィルメックスに感謝します。私の作品のほとんどはフィルメックスで日本でのプレミア上映をしていただきました。
「アッシュ・イズ・ピュアレスト・ホワイト」は来年日本で公開されますので、そのときには日本に行き、皆さんとお会いし、交流したいと思います。

今回は仕事の都合でどうしても東京フィルメックスに参加できません。
映画祭の成功をお祈りします。それでは皆さん、ごゆっくりご鑑賞ください。
撮影:明田川志保

【レポート】『プラネティスト』舞台挨拶、Q&A

11月25日(日)、有楽町朝日ホールにて特別招待作品『プラネティスト』が上映された。東洋のガラパゴスと呼ばれる小笠原諸島に住む「海のターザン」こと宮川典継さんと出会った監督が2014年~2017年の5年に渡り記録したドキュメンタリー。上映に先立ち、豊田監督、宮川典継さん、窪塚洋介さん、渋川清彦さん、中村達也さん、ヤマジカズヒデさんが登壇した。
壇上、豊田監督は今回で第10回、第12回に続き、3回目となるフィルメックス上映に誇りに思うと語り、「夕日の美しさ、原初的な地球の風景を見て感動しました」と小笠原の魅力を述べ、「僕の尊敬する仲間のアーティスト達を島に呼んでセッションを繰り広げ、みんなで夢を見ようという映画です」と挨拶した。

宮川さんは「美しいアイランドの自然を皆さんと映画でご一緒できてうれしい」と笑顔で会場に語りかけた。窪塚さんは「生きててよかったと思える景色は死ぬまでにどれぐらい見られるのか。その中の1つに小笠原という島があるのは間違いないです」と振り返り、「また(再訪して)宮川さんのお宅に泊めてもらおうかな」と語ると、宮川さんが「お待ちしてます」と笑顔で応えていた。

渋川さんは自身が第10回東京フィルメックス以来、2回目の東京フィルメックス参加であることを語り、当日は会場近くの宝くじ売り場に長い列ができていたことに触れつつ「夢を買うのもいいけど、小笠原に行ったらもっといい夢見れるよ」とアピール。中村さんは「長い船旅を終えて、島までドラムを持って行って叩いたりしました。」ヤマジさんは「東京にいながら小笠原を感じていただけると嬉しいです」と語った。

上映後、再び豊田監督が登壇しQ&Aが始まった。まず、市山尚三ディレクターより、「本当に素晴らしい映画を撮影していたんですね」と一言。次いで、本作の製作の経緯を尋ねた。豊田監督は「小笠原は人生に一度は行ってみたいと言われる場所」だと紹介し、本当は映画の撮影の舞台にしようと思ったが、タイミングが合わず行けなかったそうだ。森永博志さんが小笠原を舞台に描いた『PLANETIST NEVER DIES』という小説が好きだった豊田監督は、小笠原に行く際、森永さんに相談したところ、宮川さんに会うべきだとアドバイスを受けたそうだ。「小笠原には一航海(1週間)の予定が、気に入ってしまい1カ月いました。宮川さんと一緒にいるうちに宮川さんを主人公にしたドキュメンタリーを作りたいと思ったのが本作を作ったきっかけです」と語った。冒頭でも記した通り、本作は2014年~2017年に撮影された後、豊田監督は『泣き虫しょったんの奇跡』(2018)の撮影、編集に入ったそうだ。その後、本作の編集に入り、「2018年は小笠原返還50年なので今年に間に合わせたいと思いました」と語った。
会場からの質問で、本作を完成した後と撮影開始時で(心境が)変わった点はあったかと聞かれると、豊田監督は「自然に対して詳しくなりました。宮川さんに教えられながらいろいろなことを学びました。ネイチャーものの映画が、これからいっぱい撮れるな、と思いましたね」の答えに会場がどっと沸いた。

豊田監督の幸せとは何か?という質問に対し、「僕は“みんなが幸せになるまで自分の幸せはない”と思っています」と考えを語った。

劇中のドルフィンスイムについて、水中撮影も行ったのか?という質問には「水中はいろいろ撮っていましたが、ドルフィンスイムや窪塚さんのシーンは小笠原に在住のMANA野元学さんというカメラマンに撮ってもらいました」と答えた。「それ以外はほぼ一人で撮っている感じです」と述べていた。

監督が呼んだ出演者が小笠原の自然に触れることで生じた変化は予見していたかという質問には「予想は出来ていませんでした」と豊田監督。ディジュリドゥ奏者のGOMAさんのシーンでは演奏している時に、クジラがやってくるとは予想してなかったと説明し、「とりあえずやってみよう」ということで撮影していたそうだ。「(出演者の方々は小笠原にやってきて)いろいろ思うところはあったと思うが、想像はできていなかったです。ただ、ドキュメンタリーを作る前に構成はできていました」と振り返っていた。

作中に出てきた、「小笠原返還の歌」を唄った大平京子さんの英語表記がEdith Washingtonであったことに言及があり、前者が日本帰化後、後者が島返還前の名前であると答えていた。

小笠原に訪れた人たちはどんな人たちだったのかという質問に対し、「出演した人以外にも誘っていました」と豊田監督。しかし、台風の影響や時間の都合が合わず、来られない人がいた一方で、窪塚さんや中村さんは来てくれたそうだ。また小笠原では「お前まだ、小笠原に呼ばれてないな」という言い方をするそうだ。

小笠原の交通手段の拡充と孤立性についてどう思うかという質問には「イエス・ノーを言える立場ではありません。ただ、24時間船に乗るということが大好きです。そんな場所が世の中にあっていいと思います。島の人たちの気持ちもあると思います。正解はないと思います。僕は今の形が好きです。だからこそ惹かれました」と島への想いを観客に伝えていた。

会場からは本作を観て、小笠原の自然の雄大さに魅了された多くの観客が小笠原に行きたいと感想を語っているのが印象的であった。自然に触れることで魂が震える観客の熱量が会場に充満している中、質疑応答が終了した。
本作は2019年5月にテアトル新宿ほかにて公開予定である。ぜひご覧いただき、小笠原のダイナミックな自然を感じてほしい。

取材・文:谷口秀平   撮影:明田川志保

【レポート】『盆唄』Q&A

11月24日(土)、有楽町朝日ホールにて特別招待作品『盆唄』が上映された。東日本大震災から4年が経過した後も避難生活を送る双葉町の人々に希望を与えたのは、100年以上前に福島からハワイに伝わった盆踊りが、ハワイの日系人に伝承されているという事実だった。「双葉盆唄」の伝統を絶やすまいと奮闘する人々の姿を、3年にわたって追ったドキュメンタリー。上映後のQ&Aには中江裕司監督と、企画・アソシエイトプロデューサーであり、写真家の岩根愛さんが登壇した。

映画を企画した岩根さんは、2006年からハワイの日系移民と関わっている。
「ハワイのボンダンスが好きで、写真を撮りに通っていました。一番盛り上がるのは、フクシマオンドという生演奏の唄。震災の年に唄のルーツが気になって調べ、被災した地域から伝わったものだと知りました。それから、ハワイと福島の盆唄奏者たちの交流に関わるようになりました」
双葉盆唄の奏者である、横山久勝さんたちが初めてマウイのボンダンスを見たとき、あまりの賑やかさに驚いていたという。20年以上、太鼓を制作していた横山さんだが、移住先での太鼓作りを諦めており、マウイの人たちに太鼓を一つプレゼントした。それまでのマウイの太鼓はワインの樽で作ったもの。初めて一本の木で作った太鼓を手にしたマウイの人々から「行き場のない双葉の盆唄も継いでいきたい」と提案されたそうだ。
岩根さんはドキュメンタリー『白百合クラブ東京へ行く』(03)で写真を担当しており、中江監督とは20年来の付き合いがあるが、監督は当初、映画を撮ることを断り続けていた。「僕は英語も話せませんし、既に多くの人が双葉町の映画を撮っていましたから」。その後、中江監督はNHKで沖縄系のハワイ移民のドキュメンタリーを2本連続で撮ることになり、縁を感じた。さらに、岩根さんの紹介で会った横山さんの存在も大きい。「横山さんの魂は今も双葉町にあるのだなと感じ、撮らなくてはと思いました。この映画は横山さんを撮っていけば成立するという予感もありました」と中江監督は語った。

Q&Aで真っ先に手を挙げたアミール・ナデリ監督は、「ポジティブで、希望に溢れた作品でした。他のどのドキュメンタリーとも違う独自性もある。復興を願う人々の情熱や、故郷への思いが伝わり、心に響きました。音楽も素晴らしい!」と絶賛。中江監督は「辛い状況は映ってしまうだろうけど、それでこの映画を終わらせるわけにはいかない。どうやったら映画を救えるか、岩根さんと3年間話しました」と明かした。
劇中、200年以上前に富山から福島の相馬地方に移り住んだ人々の話がアニメーションで登場する。中江監督は「最初はドラマにしようかと思いましたが、アニメーションの方が想像力が働くのではないかと思いました」と言い、「撮影のときは双葉の人たちにいただいてばかり。出演して良かったと思えるよう、映画から彼らにメッセージを送れないかとずっと考えていました。僕の中ではアニメーションの部分がそう。100年、200年の単位で考えると、祖先はみんな移民なのではないかという思いも込めました」とその意図を語った。さらに、「やぐらの競演」を映像で残したいという横山さんたちの思いに応え、9台のカメラで撮影した2時間以上にわたる完全版も制作して双葉町の人々に手渡した。

中江監督は今夏もカメラを持たずに「やぐらの競演」を見に行った。現在は仮設住宅から復興住宅に移った人も増え、明るい兆しが見えたという。今後、双葉町の映画を撮り続けるかは未定だが、今回の上映で新たな発見もあった。「横山さんはハワイで、『もし双葉が復興したら、マウイの人たちに盆唄を教えてもらいたい』と言ったと思っていましたが、実際は『孫とか子どもの代になって、双葉が復興すれば』と言っており、復興への確信があったのだと気付いた。横山さんのその気持ちに今後も寄り添っていきたい」

圧巻の演奏シーンも見どころの本作。『盆唄』は2019年2月15日より、テアトル新宿ほか全国で順次公開される。
取材・文:宇野由希子   撮影:明田川志保

【レポート】『エルサレムの路面電車』『ガザの友人への手紙』Q&A

11月23日(金・祝)、有楽町朝日ホールにて特別招待作品『エルサレムの路面電車』『ガザの友人への手紙』が上映された。上映に先立ち、アモス・ギタイ監督が舞台挨拶に登壇し、作品紹介を行った。
『エルサレムの路面電車』は、様々な民族がモザイク状に混在して居住するエルサレムを東西に走る路面電車を舞台に、緩やかにつながるエピソードをオムニバス風に見せる。「36人の俳優が登場し、7つの言語が話されます。撮影現場は、様々な出自を持つ俳優たちの対話の場ともなりました」とギタイ監督。最新作の短編『ガザの友人への手紙』はイスラエルによるガザ封鎖の過激化を受けて発表したドキュメンタリーだ。イスラエル、パレスチナの俳優たちとギタイ本人が出演している。アルベール・カミュのエッセイ『ドイツ人の友への手紙』へのオマージュが込められているという。
上映後のQ&Aにはギタイ監督が再び登壇し、制作の背景を語った。『エルサレムの路面電車』については、現在のイスラエルはかなり緊張状態にあるが、最初に出演依頼した俳優全員が、イスラエル人、パレスチナ人、マチュー・アマルリックさんのような海外の俳優も含めてすぐに引き受けてくれたことは幸福だ、と述べた。

撮影は実際の車両で行っている。世界中から来た人がたまたま乗り合わせる車両は、エルサレムという街の象徴でもある。
エルサレムは3000年の歴史があり、3つの一神教の聖地が1平方kmほどに集中している。しかも、いずれの宗教も街を支配しているわけではない。その複数の文化や宗教の層を表現した。
「この映画ではある種、楽観的な将来像を描こうとしました。小さな衝突は起こり続けるにしても、何らかの共存は可能ではないか。今のように激しい暴力や憎しみがぶつかり合うのとは違う共存の仕方が、将来には可能かもしれないと思ったのです」
ガザで撮影した映画としては、ドキュメンタリー「Give Peace a Chance」(94)や、「The Arena of Murder」(96)がある。前者は、1995年に暗殺されたイツハク・ラビン首相に取材したもの。イスラエルとガザの理想の関係が丁寧に語られているが、それは現在、私たちが目にしている状況とは全く違うものだという。ギタイ監督は、「Rabin, The Last Day」(15)も含めて、ラビン首相に関連する作品をいずれ日本でも上映したいと抱負を語った。


会場にはアミール・ナデリ監督の姿もあり、「25年間、あなたの映画を見続けてきましたが、最も新鮮な映画だと思いました」と賛辞を述べた。その発言を受けて、ギタイ監督は「自分自身を再発明し続けることが一番難しい。映画祭のレッドカーペットに惚れ込んでしまわないように、映画をつくるときはタキシードではなく、Tシャツを着直して仕事に行くことが大事」と語った。また、この作品で実現できたこととして、「普段なら一緒にいるはずがない人を隣り合わせにすることができた。例えば、ユダヤ教の正統派は男女は隣に座らず、パレスチナ人とイスラエル人は出会うことが難しいこともある。異なる文化、宗教、背景を持つ人たちが一緒になり、その対話の中から作品が生まれたのは私たちアーティストにとって非常に幸せなこと」と喜びを語った。
ここで予定時間となり、Q&Aは終了。会場に詰めかけた大勢の観客から、ギタイ監督に大きな拍手が送られた。
取材・文:宇野由希子    撮影:明田川志保

【レポート】『8人の女と1つの舞台』Q&A

11月22日(木)、有楽町朝日ホールにて特別招待作品『8人の女と1つの舞台』が上映された。本作は、舞台復帰をめざすかつてのスターなど8人の女性たちが繰り広げるバックステージを描く。上映後にはスタンリー・クワン監督が登壇しQ&Aに臨んだ。フィルメックスで上映された監督の作品は本作で3作目となるが、監督本人の来場は初めてだ。クワン監督は、「今回はなんとしても来ようと思いました。このように大きな劇場で、皆さんに観ていただき、本当に嬉しく思います」と挨拶した。

市山尚三東京フィルメックス・ディレクターから本作の制作のきっかけを尋ねられたクワン監督は、劇中に登場した劇場について語り始めた。その劇場は、香港のランドマークであるシティホール。3年前に香港政府がこのホールを壊すと発表し、多くの人がニュースを聞いて猛反対したそうだ。クワン監督は、シティホールが多くの人にとって「映画祭、舞台、音楽、展覧会を楽しむとても神聖な場所」であると捉え、シティホールへの思いを本作に込めたことを明かしてくれた。幸い、シティホールを壊す計画はなくなり、一時的に閉鎖し全面的に改修されることになったそうだが、「英国統治時代の名残が改修後に全く別ものになるのではないかと心配」というクワン監督。

ここ10年ほど映画を撮っていなかったクワン監督だが、その理由について、香港映画人と中国との関わりを踏まえて説明した。90年代半ばから終わりにかけて、香港の映画監督たちは、映画に対する真摯な姿勢、確立された映画システム、ジャンルの専門性などが買われ、中国に招かれて中国で映画を撮るようになったそうだ。ただ、中国で香港映画を撮るわけではないので、なかなか環境に馴染めず、クワン監督は、監督としてではなく、中国の若手監督を助けるプロデューサーとして映画と関わっていたという。「シティホールが壊されるというニュースを聞いて何かをしなければと思い、映画を撮るために中国側からも投資を募ったところ、結果的に上手くいきました。というのも、合作は必ずしも中国で撮らなくてもよく、そのおかげで本作が出来上がったのです。私はやはり監督をするのが大好きです」と、監督として映画に関わる喜びを語ったクワン監督。
 また、本作には「ウィリー・チャンさんに捧げる」という献辞が添えられているが、ジャッキー・チェンさんの作品のプロデューサーとして知られるウィリー・チャンさんとの縁について話が及んだ。ウィリー・チャンさんは、クワン監督の『ルージュ』(’87)と『ロアンリンユイ 阮玲玉』(’91)のプロデューサーを務めていたそうだ。長年現場でやってこられたウィリー・チャンさんは、ジャッキー・チェンさんとの仕事がなくなってから退屈だったのかもしれないと推察したクワン監督。本作を撮る前に、名前だけでもプロデューサーとしてクレジットして欲しいと依頼されたため、投資者とも相談し、理解を得ていたそうだ。ところが残念なことに、本作のクランクイン前に亡くなられてしまったという。
さらに、本作ではLGBTを扱っているが、今後もLGBTを扱うのかという質問が挙がった。これまでの作品では女性を描くことが多かったクワン監督だが、自身をフェミニストと称しているわけでもなく、「すべては登場人物の人間性からスタートしている」と説明。LGBTのテーマは、『藍宇~情熱の嵐』(’01)のほか、『ホールド・ユー・タイト』(’98)でも扱われているが、クワン監督は「登場人物に合わせて必要に応じて描いています。描きたい題材の中にたまたま同性愛者がいるという流れなのです」と述べた。
最後に、「もう一度、言わせてください。私は監督をするのが大好きです」と、クワン監督の力強い言葉で質疑応答が終了。久しぶりにメガホンを取ったクワン監督の作品を心待ちにしていた観客からは大きな拍手が贈られた。

取材・文:海野由子 撮影:吉田(白畑)留美

【レポート】「タレンツ・トーキョー2018」オープンキャンパス 〜海外セールスと国際共同製作 一般的な傾向とアジア映画に焦点を当てて〜

第19回東京フィルメックスと並行して開催中の人材育成事業「タレンツ・トーキョー2018」のオープン・キャンパスが11月22日(木)にあり、メイン講師のひとりでフランスの大手映画配給・制作会社MK2 Filmsマネージング・ディレクターのジュリエット・シュラメックさんが「海外セールスと国際共同製作 一般的な傾向とアジア映画に焦点を当てて」と題して講演した。

シュラメックさんは、MK2 Filmsで映画のワールドセールスや共同製作を担当。同社は海外の著名監督の作品を600本以上扱っており、シュラメックさんもジャ・ジャンクー、パヴェウ・ハヴリコフスキ、黒沢清、河瀬直美、深田晃司、濱口竜介といった監督の作品を手がけてきた。講演では、セールスエージェントの視点から、国際映画祭で映画を売るための様々な戦略を具体的に紹介した。

今年のカンヌ国際映画祭のコンペティション作品21本のうち15本、昨年は19本中10本のワールドセールスをフランスの会社が扱った。「これにはフランス特有の歴史がある。シネマはフランスで発明され、カンヌもここで開催されます。映画館の入場料収入の11%を政府に納めて劇場や映画製作の支援に回す仕組みもある。このようにダイナミックでよく管理されたシステムの存在が先ほどの数字につながっています」とシュラメックさん。国際共同製作では、映画振興組織のCNC(国立映画センター)とフランス国内のテレビ局、配給会社の三者が主要な資金源。単に資金を出資するだけでなく、フランスの人材が製作にも関わるなどの「フランス的な要素」を盛り込むことも求められる。「共同製作とは、資金面だけにとどまらない、よりアーティステックなものなのです」

製作者から映画の国際的な権利を買い取って世界各地の配給会社に販売するセールスエージェントの仕事も「単に権利を売ってお金を儲けるだけではない」と言う。海外向けのタイトルの決定、ポスターや予告編などのマーケットツールの作成、プレミア上映の時期、プレス対応など、作品をより多くの国々に届けるために様々な戦略を立てる。また脚本段階から撮影後のポストプロダクション段階まで、資金面でのサポートも担当するという。
マーケティングでまず大切なのが、作品の題名を決めること。「すべての作品名は製作者や監督を交えて議論した上で決定します。数週間かかることもある。タイトルが、マーケットでの作品のポジションを決めることにもなるからです」

例えば、河瀬監督の『2つ目の窓』は奄美大島の海が中心的なモチーフなので、水をアピールした「Still the Water」に。深田監督の『淵に立つ』はそのまま英語に訳せなかったため、「音楽」と「家族の調和」という二つの意味を重ねて「Harmonium」と名付けた。濱口監督の『寝ても覚めても』も英訳は不可能。「決定するまでかなり大変でしたが、結局『Asako I&II』に。ゴダールなどのヌーヴェルヴァーグ作品のような新しさと古き良きエレガンスを兼ね備えた作品なので、このヌーヴェルヴァーグ的なタイトルは成功しました」

写真や予告編、ポスターの作成も重要な仕事。予告編は一般観客向けの「トレーラー」、バイヤー向けの「プロモリール」の2種類を作る。プロモリールは作品内容をより詳しく伝えるため、トレーラーよりも長めのことが多い。サンプルとして上映した河瀬監督の『あん』のプロモリールには、トレーラーには出てこないらい病をめぐる場面も登場した。

こうした戦略の主舞台となるのが国際映画祭。サンダンス、ベルリン、カンヌ、香港、ヴェネチア、トロント、釜山などの有力映画祭は期間中に会場内にマーケットを併設し、ここで作品の権利が取引される。どの映画祭でプレミア上映するかは映画のその後を決める重要な要素。「特にアジア映画は欧米の映画祭への参加が大きな意味を持つ」と言う。

日本映画の実例も詳しく紹介された。まず、MK2では初の河瀬監督作品となった『2つ目の窓』のケース。2014年5月のカンヌのコンペティションでのプレミア上映を目標にしたが、マーケティングは同年2月のベルリンから展開した。「年明け早々でどこの社もまだ映画を買っていないので資金的に余裕があり、カンヌ向けの作品への期待も高い。撮影が終わったばかりでしたが、ぜひともベルリンでプロモリールを流したくて、河瀬さんから直接ラッシュ映像を送ってもらって作成しました」。
 
カンヌのコンペ入りを果たすと、次の重要課題は上映日。「カンヌは水曜日に開幕し、翌週末に終わる。最初の週末から月曜日にかけてが一番人気のタイミング。コンペ作品は毎日17時・20時・22時の3回上映枠があり、20時が最もいいとされる。約20本の作品が揃ってこの枠を狙うのですから、まさに闘いです」。結局、上映日は火曜日に。時間はプレスがバイヤーや一般客が同じ会場で見る17時をあえて選んだ。「ジャーナリストは自分の好みははっきりしていても、その作品が一般受けするかどうかはわからない。だから、様々な客層と一緒に鑑賞し、終映後に観客の感想も聞ける17時にしました。悪くない選択だったと思います」。上映終了後のスタンディングオベーションは11分とこの年最も長く、SNSでも情報が広まり、作品は40か国以上に売れた。

河瀬監督の『あん』は、2年連続のカンヌは難しいだろうとヴェネチアのコンペを考えたが、製作者側の意向を受けてカンヌの「ある視点」部門に。「これはかなり難しい決断でしたが、上映枠にも恵まれ、世界70カ国に売れました。食べ物が出てくるので『2つ目の窓』より売りやすかった面も。公開も成功し、フランス、スペインでは大人気、スウェーデン、スイス、ドイツでもヒットしました」

国際的な知名度がある河瀬監督とは違い、深田晃司監督の『淵に立つ』の場合は、認知度ゼロからの出発だった。プロモリールをベルリンで上映してプリセールをいくつか決め、バイヤーの間に「日本から何かいい作品がカンヌに出るらしい」という噂を広めていった。カンヌの選定委員会にもかなり早い時期から接触した。「『深田晃司とは何者?』という状態だったからこそ、新鮮な目で見てほしかった。セレクションの終盤にはかなりの大作が入って来るので、その前に選考委員にいち早く見てもらい、新たな才能を”発見”してもらおうと熱心に動きました」。2016年のカンヌ「ある視点」部門に入り、審査員賞を受賞。「スリラーの要素があったので、日本映画がなかなか売れない米国の配給会社も食指を伸ばしました」

濱口監督の『寝ても覚めても』も、同じ戦略を使い、ベルリンからセールスを立ち上げた。こちらも海外ではまだ無名の監督ということでプロモリールに力を入れた。「最初に作ってもらった映像はいまいち。この作品には女性の感覚が必要だと考え、個人でやっている別の映画編集者に改めて依頼し、素晴らしいプロモリールを作ってもらいました」。今年のカンヌのコンペでプレミア上映され、米国を含む28地域に販売された。

「作品の成功はディテールの良し悪しにかかっている。どの作品を誰にやってもらうかの選択は重要。ディテールにとにかくこだわれ! と申し上げたい」。パートナーの配給会社を決める際も、「会社の大きさよりも、映画を理解し、一緒に戦略を構築し、どうすればその国で成功できるかを具体的につかんでいる点を重視する。私たちが映画セールスに賭けるのと同じパッションを持って配給してくれる相手を見つけることが重要です」と話す。

こだわりの一端を示すポスターの数々も会場のプロジェクターで紹介した。『淵に立つ』ではシーツの間から浅野忠信さんが顔をのぞかせるカットを採用した。「とてもパワフルな写真。新鮮でスリリングな作品だということが一目でわかり、好評でした」。カンヌのバイヤー向けに作成した『寝ても覚めても』のポスターは、ヒロインが開いたドアの向こうに2人の男性が立っているカットを使った。「『これは何だ?』と思わせる謎めいた雰囲気。この映画の本質である一人二役ということも訴えたかった」。
 
ただし、手塩にかけたポスターやタイトルが公開時には別のものになることも珍しくない。『淵に立つ』のフランス公開用ポスターは障子の向こうに日本庭園が広がる和室でオルガンを弾く人物のカットに。『寝ても覚めても』は美しい女性を前面に押し出したいという配給会社の希望でヒロインのアップに桜を散らした。「フランスでは『日本映画のポスターには桜が必須』とも言われ、これが標準パターンになっています」。ポスターを見比べることで、バイヤー向けと観客向けのアピールポイントの違いや、世界各地のマーケットの嗜好が伝わってくる。

参加者との質疑応答では、国ごとの販売戦略の違いに関する質問が複数寄せられた。芸術作品なのでバージョンを変えることはぜす、検閲でカットが必要な場合は契約しないことも。また、中国向けでは検閲が厳しい劇場用とより緩やかな配信用に分けて権利を販売するケースもあるという。イスラム圏では性描写のほか豚肉もタブーになるため、中東の航空会社に機内上映用作品を売る際に「ソーセージの場面をカットしてほしい」といった「珍しい条件」が加わることもあるという。いずれの場合も「製作者側とその都度相談して対応しています」。映画学校の学生からはセールスエージェントにアプローチする方法を尋ねた。「私たちとの窓口になるのはプロデューサー。なので、若い監督はいいプロデューサーと組んでほしい。監督・プロデューサー・セールスエージェント・各地の配給会社が信頼とスキルを備えたで適切なコネクションを持つことが大切です」
 

シュラメックさん自身が濱口監督の存在を知ったのも、信頼する知人の勧めがきっかけだった。「土曜日に子供をシッターさんに預けて『ハッピーアワー』に駆けつけ、大いに気に入りました。配給のパートナー選びもプロモツール作成も、結局は人と人とのつながりが一番大切です」。細部を大事にし、目標に向かって様々なアイデアを実行に移し、それぞれの分野で信頼できる仲間を増やす。そんなベーシックなことの積み重ねが、様々な国の観客に映画を届けている。

文責:深津純子 撮影:吉田(白畑)留美

【レポート】国際批評フォーラム「映画批評の現在と未来を考える」シャルル・テッソンさん基調講演

第19回東京フィルメックスの関連イベントのひとつ、国際批評フォーラム「映画批評の現在と未来を考える」の基調講演が11月22日(木)に有楽町朝日ホールスクエアBで開かれ、フランスの映画評論家のシャルル・テッソンさんが、現代の映画批評の役割や将来像などについて自身の体験を交えて語った。

テッソンさんは1979年から映画評論を始め、フランスの映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」などに執筆、同誌の編集長も務めた。アジア映画にも詳しく、黒澤明監督やアッバス・キアロスタミ監督に関する著書を刊行。2012年からは、長編2作目までの新人監督を対象にするカンヌ国際映画祭の批評家週間のアーティスティック・ディレクターに就任。また、パリ第3大学(新ソルボンヌ大学)で教鞭を取り、外国映画の製作費を助成するフランス国立映画センター(CNC)の「シネマ・デュ・モンド」の会長も務める。

多彩な顔を持つテッソンさんだが、「私自身は、映画評論家という言葉はあまり好きではない。アーティスティック・ディレクターとして見ていただきたい」と語る。「批評家週間では、その名の通り、プロの映画プログラマーではなく批評家が作品を選びます。単に映画を批評するだけでなく、国際的な観衆に向けて映画を選ぶことはいい経験になっています。多様な映画を見る機会に恵まれるし、これはどういう映画なのか、世界やフランスにとってどんな意味を持つのか……と、様々な疑問を持つことができる。以前よりも実際的な形で映画を見るようにもなりました。時には作り手から話を聞いて参考にすることもあるし、先方から『長すぎない?』などと聞かれればそれにも答える。一人の観客として見たり、製作者と同じような立場で見たり、自分の中で様々に思考を変えるのです」

批評家としての仕事では「映画との対話」を大切にしているという。「映画とは何か、映画はどのように進化しているのか、美的な観点、倫理的な観点はどうか、映画をめぐる関係性、現代の映画にその作品が何を持ち込んでいるのかといったことを考えます。つまり『対話』するのです。そうやって様々な思考をめぐらすことが、映画批評につながるのだと思います」

仕事の中心になるのは試写会で新作を見ること。「時間に限りもあるのですべてを見ることはできないけれど、なるべく多くの作品を見るようにしています。映画を扱うメディアは多いけれど批評家にとって新たなチャンスになるものばかりではないので、おのずとエネルギーは見ることに注がれる。それは大切なことです。文化のアドバイザーと言ってもいいかもしれませんが、映画を50本見て、一番おすすめのものは全ページ、2番目は半ページ、最後は写真無しでほんの数行書くといったことを毎週毎週やっています」

批評を書くためには自分の意見を表明しなければならない。だが、好き嫌いだけを語る文章は「あまりにお粗末」。健康診断や車のパーツ点検のように、音響や撮影などを部分ごとにきりわけて評価するやり方も「あまりいいとは思わない」と言う。

「私自身は、映画を見たら一晩ほど時間をあけたい。映画評論家として年に400本以上見ていますが、2カ月前に見た作品に心が捕らわれたのなら、それが私にとって意味のある映画だということになります。映画を見てから現実に戻るわけですが、そこに変革が現れる。2か月に再度見る時には、自分の頭の中にあるものと現実の間に乖離が生じます。アイデアがどんどん頭の中で膨らみ、2回目に見るときはさらにレベルが上がっていることもある。間に経験をはさむことは有益です」

若い頃は一生懸命メモを取りながら映画を見たが、いまはほとんどの場合、記憶に頼っているという。「私にとって重要なのは、映画が何を望んでいるかということです。映画は時に傲慢で、時に荒々しく、時にはシャイなこともある。つまり、見る者に語りかけて来るのです。それをどう受け止めるか。予想外の展開に虚を突かれることもあるし、肩透かしを食らうこともある。単に美しいと感じるだけだったり、何が何だかわからないことも。それでいいのだと思います。そんな風に、映画とは何か、映画はどうありたいのかを経験することは大切です」

ただし、現在の視点だけで映画を判断すると見落とすものもある。「映画批評家としては、様々な映画文化を旅して、現在だけではなく過去に何が起きたかもとらえたい。1984年に香港に行き、様々な映画を発見したことがあります。後にウォン・カーウァイ監督の作品を見たとき、それらの映画を想起しました。ある映画がそもそもどういうところから来たのかを知った上で批評を書くのと、知らずに書くのとでは大違い。自分が映画史に通暁しているとは申しませんが、過去の蓄積を活用することは重要だと思っています」

批評家の仕事を長く続ける上では、楽観性も大切だという。「物事を前向きにとらえず、『昔の方がよかった』と言うだけの人は、別の仕事を探した方がいい」。テッソンさん自身も、楽観主義者を自認する。批評家週間の作品選定で様々な国の新人作品と向き合う際は、その国の歴史や社会背景に関心を寄せ、映画に近づこうと心がける。「そうしない限り、新しい発見はできません」

楽観性と並んで大切にしているのは寛大さ。「映画よりも賢い映画評論家を私は好きではありません。『自分はなんでも知っている』『君が何をしたいかわかるけれど、僕の方が賢いよ』と言うような映画批評家は苦手なのです。自分の感情を表現し、たとえ失望したとしても、映画を寛大に受け止めたい。『君が何を言いたいのか全部お見通しだ。作りたいのはこういうことだろう』と頭ごなしに決めつけるのはよくないし、危険だとすら思います。寛大さや好奇心は映画批評家にとって重要な要素。少なくとも、私自身はそういう要素を持って作品と向き合うことを心がけています」

そうやって出会ってきた映画作家の名前を世界地図に落とし込んでいくと、時代の変化がわかるという。「1950年代の『カイエ・デュ・シネマ』は欧米色が強かった。そこに例外的な存在としてに黒澤明や溝口健二らの作品が加わりました。60年代になるとヌーヴェルヴァーグの大島渚や吉田喜重ら新しい監督が現れた。セルジュ・ダネーはメキシコの商業映画に着目し、インド、香港、エジプトなどにもハリウッドとまったくつながりのない大衆映画が人気を博していた。1980年代にはアジア映画が世界中の批評家の注目を集めました。今ではどの国にも映画があることが知られ、国際映画祭でも上映されています」「批評家も、例えばタイやシンガポール、インドネシアとその他の地域はどう違うのかといった地政治学的なことも考えるようになりました。欧米中心の時代には“その他大勢”扱いだった国がそうではなくなってきた。こうした国々の作品にも虚心坦懐に向き合わなくてはいけない。いまは批評家にとって、いい意味で競争が激化しています」

では、映画批評家を取り巻く状況はどうなのか。映画大国のフランスでも、「映画批評をメインにして食っていくのは厳しい」という。「新聞などの伝統的メディアに書く人もいますが、1ワードいくらで書くしかない人もいる。映画館でのトークショーなどの副業をする人もいますが、出演料が出るとはいえ、それだけで生活できる額ではない。けれども、大学で教えていると、素晴らしいことに批評家志望者の若者はけっこういるんですね。ネットにも志望者はたくさんいる。生活を支えられる仕事かどうかはさておき、批評家の数は増えているのかもしれません」

逆に、新興国では批評家の不在を嘆く声をよく耳にするという。国際映画祭で脚光を浴びても、自国の批評家がいないため、地元の観客にきちんと作品の存在が伝わらないのだ。「フランスで好評だったカンボジア映画も自国ではきちんと見られない。コロンビアでは政府が新人監督に助成しているのに、批評家がいない。ジョージア(グルジア)の国立映画センターのディレクターも『作品を国際映画祭に出しても、いざ上映するとさっぱり。国内に有力な批評家がいないので観客を導けない』と話していた。これは問題です。カザフスタンやアゼルバイジャンでも新しい監督が育ち、東京フィルメックスのタレンツ・トーキョーでもラオスなどの企画発表を聞いた。作品は次々作られ、政府も支援しているけれど、映画が完成した後はどうなるのか。人々にこんな作品があるんだよと知らせる役割がこれらの国々には必要です。フランスとは違う意味での戦いがあるのです」

批評家として活動して40年近くたった今も、他の人が書いた批評を読んで様々な発見があるという。「彼には見えたが私には見えないものがある、それは何故なのだろうと考えることがあります。ひとり一人と作品との関係を批評家が作ってくれるのです」。ただし、ネット時代の到来で、批評の形は揺れている。「新興国では映画と観客をつなぐ批評家の役割が極めて重要です。それぞれの国でも、批評は転換点にあるのかもしれません。ヴェネチアやカンヌの声を反映する必要はないのかもしれないし、そこから出てくる批評を参考にしてもいい。批評を通して、世界中でいろいろなことができるのではないか。私はそんな風に考えています」

質疑応答でも、テッソンさんは「対話」の重要性をたびたび説いた。「製作者にとっては批評家は怖い存在。どうしたら健全な関係を作れるのか」との質問には、キアロスタミ、ジャ・ジャンクー、ホン・サンスら様々な監督との交友に触れ、双方がホスピタリティーを持って語り合える関係作りの大切さを語った。映画批評家をしていて良かったと感じるのはどんな時かという問いには、「いい映画を見たとき」と即答。「しばらくは別の映画を見たくなくなる。極上のワインを飲んだ後に、他のものでぶち壊しにしたくないのと同じです」

 批評家週間やシネマ・デュ・モンドの仕事で世界各地の新しい才能を発掘してきただけに、各地の状況に話が及ぶとひときわ言葉に熱がこもった。「いまは南アジアのプロジェクトに優秀なものが多い。このエリアは注目です」。東京フィルメックスでも出会えることを期待したい。

文責:深津純子 撮影:村田麻由美

【レポート】『華氏451(2018)』Q&A

11月23日(金)、有楽町朝日ホールで「特集上映 アミール・ナデリ」の『華氏451』が上映された。本作は、本を読むことが禁じられた世界を舞台に、違法に所持された本を摘発、焼却処分する“ファイヤーマン”として働く男の姿を通して、管理社会を痛烈に風刺したドラマ。原作はレイ・ブラッドベリの名作SF小説で、1966年にはフランソワ・トリュフォーが映画化したことでも知られる。上映後には脚本を担当したアミール・ナデリさんがQ&Aに登壇。客席からの質問に答える形で、製作の舞台裏を語ってくれた。

登壇したナデリさんは、まず共同で脚本を手掛けたラミン・バーラニ監督との関係を説明。2人の出会いは、ナデリさんがニューヨークのコロンビア大学で仕事をしていた時。何度も挨拶してくるバーラニ監督を当初は避けていたものの、やがて根負けしてその理由を尋ねたところ、「あなたの映画を見て育ったので、いつか一緒に仕事がしたい」と答えたことから、親しくするようになった。以後、バーラニ監督の『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』(14)でも共同で脚本を執筆するなど、映画製作において密接な関係を保っている。

そんなバーラニ監督についてナデリさんは「弟のような存在」と語り、「繊細で頭がよく、アメリカ文学にも精通。男優の演出が上手で、素晴らしい演出家」と評価。お互いに馬が合うらしく、「2人でチームとして仕事をして行こうと考えている」とのこと。

本作の製作に当たっても、「物語は現在のアメリカ社会に当てはまる。今の時代、こういう小説を映画化しなければいけない」と2人で話し合い、アメリカの大手製作会社HBOに提案。これが認められて製作がスタートした。ナデリさんがイラン出身で、バーラニ監督の両親もイランからの移民であるため、「イラン人2人がこの映画を作ったんです」と冗談交じりに語り、場内の笑いを誘った。なお、ナデリさんのクレジットは脚本のみだが、実際には編集も手伝っているほか、作品の雰囲気づくりなどにも関わっているとのこと。

また、製作に当たってはフランソワ・トリュフォー監督の66年版も意識。「トリュフォーの作品はもちろん素晴らしいが、ロマンティックな雰囲気。今、同じように作るとバランスが崩れるので、今回は女性の出番を減らそうと話し合った。また、アメリカ社会の話に置き換えるのも難しかった」と、再映画化の苦労を語った。

さらに、大規模な作品のため、出演者の顔ぶれも豪華だ。主人公モンターグを『クリード チャンプを継ぐ男』(15)、『ブラックパンサー』(18)のマイケル・B・ジョーダンが演じるほか、『キングスマン』(14)、『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』(17)のソフィア・ブテラなど、ハリウッドスターが顔を揃える。中でも強い印象を残すのが、マイケル・シャノン。2度のアカデミー賞候補歴を持ち、『シェイプ・オブ・ウォーター』(17)などでも活躍する名優だ。任務に忠実でありながら、複雑な内面を覗かせるモンターグの上司を巧みに演じている。

ナデリさんは「マイケル・シャノンは『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』にも出演しており、我々のスタイルを良く知っている。ハンフリー・ボガートのようにモダンで頭がいい」と称賛。さらに、「この映画では3人のキャラクターを中心に撮った。マイケル・B・ジョーダンもソフィア・ブテラも素晴らしかった」と、主要な役を演じた他の2人に対する賛辞も忘れなかった。

本作は日本での劇場公開は未定ながら、映画専門チャンネル「スターチャンネル」で放送予定。今回の上映を見逃した人も、この機会に視聴してみてはいかがだろうか。

取材・文: 井上健一 撮影:村田麻由美

【レポート】『マジック・ランタン』舞台挨拶、Q&A

11月20日(火)、有楽町朝日ホールにて特集上映「アミール・ナデリ」の一本として、最新作『マジック・ランタン』が上映された。古びた映画館で映写技師として働く若者ミッチを主人公に、現実と幻想、映画へのオマージュが混淆された現代のお伽噺。上映に先立ち、ナデリ監督が舞台挨拶に登壇した。

特集上映では、ナデリ監督の自伝的映画であり、自らの初恋を描いた『期待』(74)に続く、2作目の上映となる。ナデリ監督は本作について、「いつか『期待』(74)のような作品をつくりたいと思っていました。長年、女性への愛を心のどこかに隠し、山を壊したり、火事を起こしたり、数々の乱暴を行いましたが、やっとその気持ちを取り出してこの映画をつくりました」と紹介。「私の作品を観たことがある方は、この作品を観ると驚くと思います。私も自分が作ったと思えない。私が作ったことを一度忘れて観てください」と観客へ呼びかけた。

上映後のQ&Aに再び登壇したナデリ監督は、本作の制作のきっかけとなった不思議な出来事について語った。ナデリ監督はアメリカで半年間、溝口健二監督の映画の修復に携わっていた。ある晩、暗い道を歩いていたとき、人の気配を感じて振り向くと、なんと溝口監督が立っていた。そのとき、溝口監督から背を押されたような気がして、この映画をつくる決心をしたのだという。ナデリ監督が以前、知人からDVDをもらい、「何度も何度も観た」と言うのは溝口監督の『雨月物語』(53)。「夢と現実を行き来する、魔法使いのような映画。いつか自分でも作りたいと思っていました」と語った。

観客からの最初の質問は、印象的な音の使い方について。ナデリ監督は「映画は音のためにつくっているようなもので、最初から考えている。いつもは映画音楽を使わないが、ハリウッドの近くで映画をつくると音楽を入れないといけないな、という気持ちになった」と明かした。『CUT』(11)や『山<モンテ>』(16)では、自然音や効果音を音楽の代わりに使った。本作で劇中に鳴る不思議な音は、『山<モンテ>』(16)で使った音を入れたという。

また、扉から女性の手が現れるシーンは『期待』を踏まえたものかとの質問には、「そうです。あの『手』のためにこの作品を撮りたかったのです」と答えた。キャスティングのとき、なかなか自分のイメージに合う女性がいなかったが、腕に目のタトゥーを入れているソフィー・レーン・カーティスさんに会ったとき、この人だと思った。夢と現実を行き来するイメージを、その腕が全て語ってくれるのではないかと思ったという。

本作には、ナデリ監督が「『映画に愛をこめて アメリカの夜』(73)のときから恋をしている」というジャクリーン・ビセットさんも出演している。事務所はなかなかOKしてくれなかったが、フランスの映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』でナデリ監督の特集が組まれ、幸いビセットさんが読んでいた。本人から映画に出たいと連絡があり、出演が決まったそうだ。ナデリ監督は「ビセットと最初に会ったとき、私の映画に出るなら、毎日ベジタリアンの私にサンドイッチをつくってほしいと言ったら、彼女は約束を守ってくれました。現場のランチはビセットの手作り」という羨ましいエピソードも明かしてくれた。

まだ多くの手が挙がっていたが、ここで時間となりQ&Aが終了。ナデリ監督は「カット!ありがとう!」「次の映画で!」と観客に声をかけ、舞台を後にした。

追記
第17回東京フィルメックスで上映された『山<モンテ> 』(16)は、2019年2月よりアップリンク吉祥寺での公開が予定されている。

文責:宇野由希子 撮影:明田川志保

【レポート】『ハーモニカ』舞台挨拶、Q&A

11月23日(金)、有楽町朝日ホールにて、「特集上映 アミール・ナデリ監督」より『ハーモニカ』(’74)が上映された。本作は、1970年代にイランで制作されたアミール・ナデリ監督の初期作品のひとつで、自伝的作品でもある。上映前には、ナデリ監督が「Good Morning! Good Morning!」とにこやかに登場し、「他の国とは違って日本ではこうして朝早くからシネフィルが集まってくださいます。ありがとうございます」と挨拶した。


上映後にあらためて登壇したナデリ監督は、開口一番、「とても悲しい作品でしたね」と、久しぶりに本作を鑑賞した感想を語った。本作は、ナデリ監督が、イランの子供向けの映画を制作する児童青少年知育協会を拠点にしていたときに制作された作品で、今回は福岡市総合図書館所蔵の35ミリフィルム上映となった。

当時は純粋な気持ちで映画を作っていたため、海外で上映されることを念頭に置いていなかったというナデリ監督。イラン革命当時、『ハーモニカ』と『タングスィール』(’74)がイラン革命を後押ししたと周囲から言われたという。子供たちは『ハーモニカ』を観て、大人たちは『タングスィール』を観て行動を起こしたと。自分は政治的な人間ではなく、ただ、自分が体験した、貧しい町に暮らす子供たちの生活を描きたいと思っていただけで、後から政治的な意味合いを持つようになったと説明した。

また、ナデリ監督は、ハーモニカを権力の象徴のようにとらえたという観客からのコメントに対しても、敢えて権力というもの、権力者というものを意識していたわけではなかったと応えた。ただ、「この映画を観ると、人類の歴史を語っているようにも思えます。子供たちの姿がとても痛々しいです」と、やや複雑な表情を浮かべた。しかし、イラン革命後にアメリカからイランに戻ったとき、学校にはアミールという名前の子供が多く、作品を観た母親が子供に名前を付けたのではないかという話を聞いたという。本作がイランの社会に与えた影響の大きさを物語るエピソードだ。

本作では子供たちの生き生きとした表情が印象的だが、登場する子供たちはすべて素人で、現地で選ばれたという。「自分が撮りたい映像の中に、子供たちを入れるのは大変でしたが、子供たちもカメラの中で普通の生活をしてくれたので助かりました」と撮影時を振り返ったナデリ監督。

さらに、ラストカットで一変する画面の色についての質問を踏まえて、カラー(色彩)について話が及んだ。ラストカットの色は意図的で、「子供たちの中で革命が起きたような感じ」にしたかったそうだ。当時、モネ、ピサロ、ゴーギャン、ゴッホの作品を観て、印象派を意識した色彩(カラー)に力を入れていたナデリ監督は、ゴーギャンやゴッホのように、自然でプリミティブな映像で子供たちの姿を撮るために、自動車やプラスティックなどモダニズムの象徴となるものを消したという。児童青少年知育協会では、自由に何でも作ることができ、フィルムも豊富に用意された環境だったため、1シーンに20テイクかけることもあったとか。

東京フィルメックスでは、「特集上映 アミール・ナデリ監督」と題して4作品を上映してきたが、急遽、追加作品として『タングスィール』の上映が決定した。「『タングスィール』は革命そのものです。ぜひご覧ください!」と、ナデリ監督の呼びかけでQ&Aは終了。朝早くから駆け付けた熱心な観客から、大きな拍手が寄せられた。

文責:海野由子 撮影:吉田(白畑)留美