11月25日(日)、有楽町朝日ホールにて特別招待作品『プラネティスト』が上映された。東洋のガラパゴスと呼ばれる小笠原諸島に住む「海のターザン」こと宮川典継さんと出会った監督が2014年~2017年の5年に渡り記録したドキュメンタリー。上映に先立ち、豊田監督、宮川典継さん、窪塚洋介さん、渋川清彦さん、中村達也さん、ヤマジカズヒデさんが登壇した。
壇上、豊田監督は今回で第10回、第12回に続き、3回目となるフィルメックス上映に誇りに思うと語り、「夕日の美しさ、原初的な地球の風景を見て感動しました」と小笠原の魅力を述べ、「僕の尊敬する仲間のアーティスト達を島に呼んでセッションを繰り広げ、みんなで夢を見ようという映画です」と挨拶した。
宮川さんは「美しいアイランドの自然を皆さんと映画でご一緒できてうれしい」と笑顔で会場に語りかけた。窪塚さんは「生きててよかったと思える景色は死ぬまでにどれぐらい見られるのか。その中の1つに小笠原という島があるのは間違いないです」と振り返り、「また(再訪して)宮川さんのお宅に泊めてもらおうかな」と語ると、宮川さんが「お待ちしてます」と笑顔で応えていた。

渋川さんは自身が第10回東京フィルメックス以来、2回目の東京フィルメックス参加であることを語り、当日は会場近くの宝くじ売り場に長い列ができていたことに触れつつ「夢を買うのもいいけど、小笠原に行ったらもっといい夢見れるよ」とアピール。中村さんは「長い船旅を終えて、島までドラムを持って行って叩いたりしました。」ヤマジさんは「東京にいながら小笠原を感じていただけると嬉しいです」と語った。


上映後、再び豊田監督が登壇しQ&Aが始まった。まず、市山尚三ディレクターより、「本当に素晴らしい映画を撮影していたんですね」と一言。次いで、本作の製作の経緯を尋ねた。豊田監督は「小笠原は人生に一度は行ってみたいと言われる場所」だと紹介し、本当は映画の撮影の舞台にしようと思ったが、タイミングが合わず行けなかったそうだ。森永博志さんが小笠原を舞台に描いた『PLANETIST NEVER DIES』という小説が好きだった豊田監督は、小笠原に行く際、森永さんに相談したところ、宮川さんに会うべきだとアドバイスを受けたそうだ。「小笠原には一航海(1週間)の予定が、気に入ってしまい1カ月いました。宮川さんと一緒にいるうちに宮川さんを主人公にしたドキュメンタリーを作りたいと思ったのが本作を作ったきっかけです」と語った。冒頭でも記した通り、本作は2014年~2017年に撮影された後、豊田監督は『泣き虫しょったんの奇跡』(2018)の撮影、編集に入ったそうだ。その後、本作の編集に入り、「2018年は小笠原返還50年なので今年に間に合わせたいと思いました」と語った。
会場からの質問で、本作を完成した後と撮影開始時で(心境が)変わった点はあったかと聞かれると、豊田監督は「自然に対して詳しくなりました。宮川さんに教えられながらいろいろなことを学びました。ネイチャーものの映画が、これからいっぱい撮れるな、と思いましたね」の答えに会場がどっと沸いた。
豊田監督の幸せとは何か?という質問に対し、「僕は“みんなが幸せになるまで自分の幸せはない”と思っています」と考えを語った。
劇中のドルフィンスイムについて、水中撮影も行ったのか?という質問には「水中はいろいろ撮っていましたが、ドルフィンスイムや窪塚さんのシーンは小笠原に在住のMANA野元学さんというカメラマンに撮ってもらいました」と答えた。「それ以外はほぼ一人で撮っている感じです」と述べていた。
監督が呼んだ出演者が小笠原の自然に触れることで生じた変化は予見していたかという質問には「予想は出来ていませんでした」と豊田監督。ディジュリドゥ奏者のGOMAさんのシーンでは演奏している時に、クジラがやってくるとは予想してなかったと説明し、「とりあえずやってみよう」ということで撮影していたそうだ。「(出演者の方々は小笠原にやってきて)いろいろ思うところはあったと思うが、想像はできていなかったです。ただ、ドキュメンタリーを作る前に構成はできていました」と振り返っていた。
作中に出てきた、「小笠原返還の歌」を唄った大平京子さんの英語表記がEdith Washingtonであったことに言及があり、前者が日本帰化後、後者が島返還前の名前であると答えていた。
小笠原に訪れた人たちはどんな人たちだったのかという質問に対し、「出演した人以外にも誘っていました」と豊田監督。しかし、台風の影響や時間の都合が合わず、来られない人がいた一方で、窪塚さんや中村さんは来てくれたそうだ。また小笠原では「お前まだ、小笠原に呼ばれてないな」という言い方をするそうだ。
小笠原の交通手段の拡充と孤立性についてどう思うかという質問には「イエス・ノーを言える立場ではありません。ただ、24時間船に乗るということが大好きです。そんな場所が世の中にあっていいと思います。島の人たちの気持ちもあると思います。正解はないと思います。僕は今の形が好きです。だからこそ惹かれました」と島への想いを観客に伝えていた。
会場からは本作を観て、小笠原の自然の雄大さに魅了された多くの観客が小笠原に行きたいと感想を語っているのが印象的であった。自然に触れることで魂が震える観客の熱量が会場に充満している中、質疑応答が終了した。
本作は2019年5月にテアトル新宿ほかにて公開予定である。ぜひご覧いただき、小笠原のダイナミックな自然を感じてほしい。





劇中、200年以上前に富山から福島の相馬地方に移り住んだ人々の話がアニメーションで登場する。中江監督は「最初はドラマにしようかと思いましたが、アニメーションの方が想像力が働くのではないかと思いました」と言い、「撮影のときは双葉の人たちにいただいてばかり。出演して良かったと思えるよう、映画から彼らにメッセージを送れないかとずっと考えていました。僕の中ではアニメーションの部分がそう。100年、200年の単位で考えると、祖先はみんな移民なのではないかという思いも込めました」とその意図を語った。さらに、「やぐらの競演」を映像で残したいという横山さんたちの思いに応え、9台のカメラで撮影した2時間以上にわたる完全版も制作して双葉町の人々に手渡した。


ガザで撮影した映画としては、ドキュメンタリー「Give Peace a Chance」(94)や、「The Arena of Murder」(96)がある。前者は、1995年に暗殺されたイツハク・ラビン首相に取材したもの。イスラエルとガザの理想の関係が丁寧に語られているが、それは現在、私たちが目にしている状況とは全く違うものだという。ギタイ監督は、「Rabin, The Last Day」(15)も含めて、ラビン首相に関連する作品をいずれ日本でも上映したいと抱負を語った。


また、本作には「ウィリー・チャンさんに捧げる」という献辞が添えられているが、ジャッキー・チェンさんの作品のプロデューサーとして知られるウィリー・チャンさんとの縁について話が及んだ。ウィリー・チャンさんは、クワン監督の『ルージュ』(’87)と『ロアンリンユイ 阮玲玉』(’91)のプロデューサーを務めていたそうだ。長年現場でやってこられたウィリー・チャンさんは、ジャッキー・チェンさんとの仕事がなくなってから退屈だったのかもしれないと推察したクワン監督。本作を撮る前に、名前だけでもプロデューサーとしてクレジットして欲しいと依頼されたため、投資者とも相談し、理解を得ていたそうだ。ところが残念なことに、本作のクランクイン前に亡くなられてしまったという。
さらに、本作ではLGBTを扱っているが、今後もLGBTを扱うのかという質問が挙がった。これまでの作品では女性を描くことが多かったクワン監督だが、自身をフェミニストと称しているわけでもなく、「すべては登場人物の人間性からスタートしている」と説明。LGBTのテーマは、『藍宇~情熱の嵐』(’01)のほか、『ホールド・ユー・タイト』(’98)でも扱われているが、クワン監督は「登場人物に合わせて必要に応じて描いています。描きたい題材の中にたまたま同性愛者がいるという流れなのです」と述べた。
最後に、「もう一度、言わせてください。私は監督をするのが大好きです」と、クワン監督の力強い言葉で質疑応答が終了。久しぶりにメガホンを取ったクワン監督の作品を心待ちにしていた観客からは大きな拍手が贈られた。