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特集上映『木下惠介生誕100年祭』
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『陸軍』 The Army
1944 / 87分
©1944 松竹
出演:田中絹代、笠智衆、東野英治郎、上原謙、三津田健、杉村春子
【作品解説】
火野葦平の原作を陸軍省の依頼により戦時中に映画化。国策映画の枠組みを大きく逸脱するかのような細部の描写が光る。出征する息子を見送る母親を延々と捉え続けたラストシーンの移動撮影は、屈指の名場面となった。
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木下惠介
本名:木下 正吉、1912年12月5日 - 1998年12月30日。
静岡県浜松市生まれ。1933年松竹蒲田撮影所に撮影助手として入所。1936年に松竹大船撮影所へ異動し、島津保次郎監督の助監督となる。1940年に徴兵され、翌年に帰国。
1943年に『花咲く港』で監督デビュー。同作で山中貞雄賞を受賞するなど高い評価を集める。戦後第1作の『大曾根家の朝』(1946年)でキネマ旬報ベスト1に選ばれ、その後に続く作品でも興行と批評の両面で大きな成果を挙げた。中でも1954年に発表した『二十四の瞳』は興行面でのヒットだけでなく、米・ゴールデングローブ賞外国語映画賞など数々の賞に輝き、同年のキネマ旬報ベストテンでは、同作が1位、同じく1954年発表の『女の園』が2位となる。
また、日本初の総天然色(カラー)映画『カルメン故郷に帰る』(1951年)を発表した他、その続編『カルメン純情す』(1952年)ではカメラを傾けた撮影、『野菊の如き君なりき』(1955年)では画面を楕円に縁取ることで回想シーンを表現するなど、既成の映画の概念にとらわれない、斬新な手法にも積極的に挑戦した。
この新しい表現を追い求める姿勢は、1964年の松竹退社後に木下恵介プロダクションを設立する流れにもつながる。まだ黎明期にあったテレビドラマの分野でも、『木下恵介アワー』などで数多くの番組を制作し、脚本や演出も担当した。1969年には黒澤明、市川崑、小林正樹と「四騎の会」を設立する。
1988年発表の『父』が遺作となる。木下惠介監督のスタッフからは小林正樹、吉田喜重、山田太一、松山善三、勅使河原宏など、後々活躍する多数の映画人を輩出している。
生誕100年を迎える2012年は「木下惠介生誕100年プロジェクト」として、全国各地での記念上映や映像ソフトの発売、TV放送や出版、舞台化など様々な企画が催されている。5月のカンヌ国際映画祭クラシック部門では『楢山節考』、8月末のヴェネチア国際映画祭クラシック部門では『カルメン故郷に帰る』のデジタルリマスター版が上映され、海外での再評価の機運も高まりつつある。
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