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『二十四の瞳』作文コンクール授賞式
from デイリーニュース2012 2012/12/ 2
第13回東京フィルメックスの最終日となった12月2日(日)、東銀座・東劇では「木下恵介生誕100年祭」の10日目をむかえ、『二十四の瞳』(54)が上映された。また、上映後には、財団法人 岬の分教場保存会 主催『二十四の瞳』読書感想文コンクールの授賞式が行われ、受賞者の皆様をはじめ、審査委員長 山田太一さん(脚本家)、岬の分教場保存会理事長 塩田幸雄さん(小豆島町長)、壺井栄著作権継承者 加藤公市さん(原作者 壺井栄さんの孫)を檀上にお迎えした。
『二十四の瞳』は、1954年に制作された。美しい小豆島を舞台に高峰秀子さん演じる新任女性教師の大石先生と12人の教え子たちが、戦中から戦後の激動の時代に翻弄される姿を20年間に渡って描いた作品。この特集上映では、この日本映画史に残る不朽の名作を英語字幕とバリアフリー字幕付きデジタルリマスター版で上映した。
受賞式では、まず、審査委員長の山田さんが「私は20代の頃に木下作品の助監督を務め、その後も木下監督と一緒に仕事をしていた。制作からこんなに長い時間を経ても、今なお『二十四の瞳』が多くの人に観てもらえる作品であることを木下監督も喜んでいると思う」と挨拶した。上映中、会場の各所から観客のすすり泣く声が聞かれたが、山田さんは「泣く」という行為についても言及。「大石先生は、生徒たちを助けることはできなくても、一緒に泣くことはできた。その姿を見て、当時の観客は誰もが涙した。戦後の日本は、泣く人は負けた人・弱い人という風潮が続き、バブル期には大石先生は泣いているだけで何もしないではないか、という見方もあった。しかし、ここ最近は「泣く」という行為がまた認められるようになってきたと感じる。泣くことで苦労を洗い流すなど、泣くことの価値が日本の空気の中に少しずつ復権している。この時代に、若い人にも『二十四の瞳』を観てもらい、共感してもらえることは意味のあることだと思います」と語った。
続いて、同保存会理事長の塩田さんが登壇し、「あらためて作品を観て、人の生きることの意味・平和の大切さを感じた」と挨拶。塩田さんの祖母や近所の人たちも本作に出演していたそうで、懐かしく観たという。また、本コンクールについては、全国から357篇の応募があったとし、最優秀賞の小松原貴嶺さんの作品については「きめ細かく書かれた文に感動した」と話した。
壺井栄さんの孫である加藤さんは、「久しぶりに作品を観たが、やっぱりいいなと思った。制作当時は、映画の黄金期。優秀な監督や俳優が沢山いる中で、木下監督と高峰さんの組み合わせが、ベストだったと思う。『二十四の瞳』が今も読み継がれているのも、原作だけでなく、映画の力も大きいのではないか」と挨拶した。
最優秀賞を受賞した小松原さんは、ミュージカル『二十四の瞳』で岡田磯吉役を演じたという小学4年生。「みんなで助け合うことや大切な人を思うやさしさ、大石先生や生徒たち一人一人の強さを学んだ」と綴った。山田さんは、小松原さんの作品について「9歳という年齢で、『二十四の瞳』からこんなにも多くのことを感じてくれるのか、ということに感動した」と選評。コンクールには、小学生から80代まで幅広い年代層から応募があり、本や映画についてそれぞれの経験を踏まえて書いてあり、読み応えがある作品が多かったそうだ。とくに、最終選考に残った8篇については優劣がつけられないほど良い作品がそろい、審査員は途方に暮れたと審査の舞台裏を語った。
受賞者には、賞状と副賞が授与され、会場からは大きな拍手が沸きあがり、授賞式は閉幕した。
なお、受賞者は以下の通り。
最優秀賞 小松原貴嶺さん
優秀賞 仲川凛香さん
優秀賞 小野裕子さん
角川書店特別賞 苅北明穂さん
松竹特別賞 白草高歩さん
佳作 山口幸子さん
佳作 佐野文香さん
佳作 東出敦子さん
「木下恵介生誕100年祭」は12月7日(金)まで開催中。『二十四の瞳』は最終日11時より、東銀座・東劇で再び上映される。
(取材・文:小嶋彩葉、撮影:永島聡子)
『二十四の瞳』親子上映会
from デイリーニュース2012 2012/11/23
第13回東京フィルメックスの初日となった11月23日(祝)、銀座のメゾンエルメス10階ル・ステュディオにて、『二十四の瞳』親子上映会が開催された。ル・ステュディオと、東京フィルメックスによる子ども向け映画ワークショップ「<映画>の時間」、および木下惠介生誕100年祭との共同で行われたこの無料上映会は、小学生から高校生までの子どもたちと保護者を対象としたもの。上映終了後、東京フィルメックスの金谷重朗さんによるレクチャーが行われた。
『二十四の瞳』は1954年に制作された。原作は壺井栄が1952年に書いた同名小説。長年にわたり、学校などで若い世代が読むことを推奨されてきた作品だ。高峰秀子演じる大石先生が小豆島の分教場に新米教師として赴任してくる最初の場面は1928年、今から83年前のこと。子どもたちが成長するに従い、満州事変から太平洋戦争へ、日本は激動の時代へと進んでいく。歴史の授業で学ぶ事柄だが、21世紀の子どもたちはどのように感じたのだろうか。「親子での上映会としたのは、家族でこの映画について話してほしいという思いからです。ぜひ、家に帰ってから感想を話し合ってみてください」と金谷さん。
主演の高峰秀子について、金谷さんは「日本を代表する女優といえば、必ず名前の上がる人」と紹介した。昭和初期から子役としてキャリアをスタートし、『二十四の瞳』当時24歳。その後も数えきれないほどの映画に出演し、2年前の2010年末に亡くなった。
続いて、この映画の「作者」である木下惠介監督について説明された。小説は一人の作家が書いたものだが、映画は出演者やスタッフ等、たくさんの人がみんなで作るもの。「でも、その中でも一番責任を持っている人が監督。『二十四の瞳』は木下監督の代表作です。涙を誘うような映画を作る人、というイメージがひろくありますが、実は様々なタイプの映画をたくさん撮っています」。木下監督は1912年12月5日生まれで、今年がちょうど生誕100年。それを記念して開催されている特集上映では、木下作品の多様性を楽しむことができるプログラムが組まれている。
金谷さんが「黒澤明の名前を聞いたことのある人はいますか?」と呼びかけると、何人かの子どもたちから手が挙がった。「有名な『七人の侍』は、『二十四の瞳』と同じ1954年の作品。キネマ旬報ベスト10で、『七人の侍』はその年の3位、『二十四の瞳』は1位でした。ちなみに2位は『女の園』という映画で、これもなんと木下監督の作品です」と、木下監督が当時とても人気があり、評価が高かったことが分かるデータが披露された。
また金谷さんは、木下監督についての映画が現在制作されていると紹介。子どもたちにも馴染みの深い『クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001)『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』(2002)を撮った原恵一監督の、初の実写作品となる。『はじまりのみち』(2013年公開予定)という作品で、木下監督が『陸軍』(1944)を撮っていた頃のエピソードだという。
『二十四の瞳』では、12人の子どもたちの小学1年の頃と、成長した5、6年生で、それぞれ弟と兄、妹と姉が同じ役を演じている。オーディションの際に「よく似た兄弟姉妹」を全国募集し、なんと3600組の応募があったという。「このように木下監督はアイデア豊かな人で、常に新しいことに挑戦していました」。日本で初めてのカラーの映画『カルメン故郷に帰る』(1951)を撮った監督でもある。金谷さんは、今日の上映会をきっかけに興味が沸いたら、日本の古い映画をぜひたくさん観て欲しい、と締めくくった。
特集上映・木下惠介生誕100年祭は東銀座・東劇にて第13回東京フィルメックス会期中に英語字幕付きで19作品が上映される。『二十四の瞳』は12/2(日)、バリアフリー日本語字幕付上映が行われる。また、会期後の12月3日〜7日にも英語字幕なしの5作品も加えて上映される。
(取材・文:花房佳代、撮影:関戸あゆみ)
第6回<「映画」の時間>『二十四の瞳』親子鑑賞会
from NEWS 2012/9/ 9
8月6日、ラピュタ阿佐ヶ谷にて「『二十四の瞳』親子鑑賞会」が開催された。小豆島の分教場を舞台に、大石先生と子どもたちの心あたたまる交流と戦争の悲劇を描いた永遠の名作だ。監督は今年生誕100年を迎える木下惠介。参加したのは杉並第一小学校PTAの呼びかけで集まった児童と保護者のみなさんで、中には祖父・母・子どもの三世代で来場した家族も。
夏休みが始まって約2週間、久しぶりに学校の友達と再会した子どもたちの元気な笑い声で、ロビーは賑やかな雰囲気に包まれた。
上映に先立ち、杉並第一小学校PTA会長の高橋由美さんが挨拶に立った。
「今日これから見る『二十四の瞳』は、子どもたちが戦争や貧困の犠牲になってしまう、それをどうすることもできない...そういう時代のお話です。でも、美しい自然や、先生や子どもたちの思いやりといった心の豊かさがたくさん出てきます。今日はこの映画を見て、戦争や貧困のこと、また心をどのように持って生きていけばいいか、そんなことを家族で考えるきっかけ作りになればいいなと思っています」
くしくも、広島に原爆が投下されてから67年目となるこの日。司会の岡崎 匡さんが子どもたちに「今日は何があった日か、知っていますか?」と呼びかけると、すぐに客席の子どもたちから「原爆の日!」という声が上がった。「この映画の中には、直接原爆のことは描かれていません。でも、戦争はいやだ、平和は素晴らしい、という強い願いがいっぱい込められています」と岡崎さん。
「この映画には、みなさんと同じ年頃の子どもたちが出てきます。自分たちと比べてどうだろう、なんてことを考えながら見てみてください」と岡崎さんが呼びかけ、上映が開始。156分と長時間の上映にも関わらず、子どもたちは最後まで集中して鑑賞していた。ラストシーンには、すすり泣く声も聞こえた。
上映後、子どもたちが映画について知ったことや感想をまとめられるよう配布された「しおり」を使いながら、作品についてのレクチャーが行われた。
1年生の頃の生徒たちと、成長した6年生の頃を演じた子どもたちは、それぞれそっくり。二つの時期を描くために、「子どもたちは、顔の似ている兄弟姉妹で選ばれました。だから、そのまま大きくなったようにそっくりなんです」と説明されると、会場からは意外な事実に感心した声が上がった。
『二十四の瞳』の公開は1954年。小学生の子どもたちにとっては遠い昔だが、その頃の状況を知るために近い時期でデータの残る<1958年の、映画館の総来場者数は何人でしょうか?>とクイズが出題された。ちなみに2010年の映画館への来場者数は1億7435万人。客席の子どもたちからは「テレビがなかったから、今より2倍くらい多いんじゃないかな?」という声。正解は、6倍以上の11億2745万人。「映画が最高の娯楽だった時代に大ヒットし、観客だけでなく批評家からの絶賛を集めたのがこの作品です」と岡崎さん。
その他、作中の時代背景や、監督の木下惠介、主演の高峰秀子についての説明に、子どもたちはしおりに書き込みしながら、熱心に耳を傾けていた。
最後に、来場していた杉並第一小学校の鈴木校長が登壇。「戦争が激しくなっていく頃の物語ですが、そんな時代の中で一生懸命生きてきた人々に思いをはせて、おうちに帰ってからも家族のみなさんとお話してください」と呼びかけた。
教職30年を超える鈴木さんは、「映画の中の一年生の時の子どもたちの顔は、みんなの一年生の頃の顔と同じだなと思いました。だけど、六年生になってからの表情は今の子どもたちとは随分違った。それはなぜなんだろうということを考えてみてください。"先生"の大切さということも考える機会にもなりました」と感慨をこめて語った。
帰り際、松竹株式会社からのお楽しみプレゼント『おかえり、はやぶさ』のペーパートイが手渡されると、子どもたちからは歓声が上がった。
この鑑賞会は杉並第一小学校PTAによる特別鑑賞会、松竹株式会社による木下惠介生誕100年プロジェクト、そして東京フィルメックスによる第6回<「映画」の時間>として、三者の恊働により実現した。松竹の木下惠介生誕100年プロジェクトでは、今後も各地でさまざまなイベントが開催される。11/23〜12/2に開催される第13回東京フィルメックスでは、特集上映が行われる。
また、第7回<「映画」の時間>も同期間に実施を予定している。
(取材・文/写真:花房佳代)
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