特集上映 阪本順治

『ビリケン』
Billiken
作品詳細

日本 / 1996 / 100分
監督:阪本順治(SAKAMOTO Junji)

『どついたるねん』、『王手』に続いて“新世界三部作”の最後を飾る作品。通天閣に祀られている神様ビリケンが実体化するという奇想により大阪庶民のバイタリティーを描いたコメディ。杉本哲太が主演。

監督 阪本順治(SAKAMOTO Junji)

1958年生まれ、大阪府出身。大学在学中より、石井聰亙(現:岳龍)、井筒和幸、川島透といった“邦画ニューウェイブ”の一翼を担う監督たちの現場にスタッフとして参加する。89年、赤井英和主演の「どついたるねん」で監督デビューし、芸術推奨文部大臣新人賞、日本映画監督協会新人賞、ブルーリボン賞最優秀作品賞ほか数々の映画賞を受賞。満を持して実現した藤山直美主演の「顔」(00)では、日本アカデミー賞最優秀監督賞や毎日映画コンクール日本映画大賞・監督賞などを受賞、確固たる地位を築き、以降もジャンルを問わず刺激的な作品をコンスタントに撮り続けている。昨年は斬新なSFコメディ「団地」(16)で藤山直美と16年ぶりに再タッグを組み、第19回上海国際映画祭にて金爵賞最優秀女優賞をもたらした。その他の主な作品は、「KT」(02)、「亡国のイージス」(05)、「魂萌え!」(07)、「闇の子供たち」(08)、「座頭市 THE LAST」(10)、「大鹿村騒動記」(11)、「北のカナリアたち」(12)、「人類資金」(13)、「ジョーのあした─辰𠮷𠀋一郎との20年─」(16)、「団地」(16)、「エルネスト もう一人のゲバラ」(17)などがある。

ムービー

11/29 『ビリケン』Q&A

2019.12.01

11/29 『ビリケン』Q&A
有楽町朝日ホール

阪本 順治(監督)

市山 尚三(東京フィルメックス ディレクター)

日本 / 1996 / 100分
監督:阪本順治(SAKAMOTO Junji)

Japan / 1996 / 100min.
Director: SAKAMOTO Junji

ニュース

【レポート】『ビリケン』阪本順治監督Q&A

2019.12.01

11月29日(金)、有楽町朝日ホールで『特集上映 阪本順治』の『ビリケン』(96)が上映された。本作は、通天閣に祀られていた神様“ビリケン”が実体化し、様々な奇跡を巻き起こしていく奇想天外なファンタジーで、『どついたるねん』(89)『王手』(91)に続く阪本監督“新世界三部作”の掉尾を飾った作品である。上映後には阪本監督が登壇し、Q&Aが行われた。

拍手に迎えられて登壇した阪本監督はまず、ビリケンを主役にした経緯を明かしてくれた。過去二度、通天閣で映画を撮影した際は、撮影の都合上、ビリケン像を片付けていた。ところが、改めて映画を撮ることになり、「撮ってないものはなんだろう?」と考える中でビリケンの存在を思い出す。

「僕は『ベルリン・天使の詩』(87)のつもりで撮りましたが、記者会見で言ったら爆笑されました」と、当時を振り返った阪本監督だが、「通天閣とビリケンでしか成り立たない物語。東京タワーでは成立しない」との言葉通り、通天閣界隈ならではの人情が滲み出たユニークな物語となっている。

 

物語に込めた思いについては「通天閣界隈の街や居住する人、往来する人たちを見てもらいたいという気持ちが一番だった」と語り、さらに「神様というと、善い行いをした人を助けるイメージだが、どんな願いごとでも区別せずにかなえる話をやってみたかった」と続けた。

続いて、撮影当時の裏話に花が咲く。物語には、大阪がオリンピックの招致活動をしていたという時代背景が反映されている。そのため、通天閣の下に撮影用に『オリンピック誘致反対』の看板を掲げたところ、誘致委員会から阪本監督に抗議の電話が入ったという。これに対して阪本監督は、次のように回答。

「こんなインディーズ映画1本で潰れるような誘致だったら、やめた方がいいんじゃないですか」。

また、当時は阪神大震災直後で復興関連の仕事があったため、以前よりも日雇い労働者の数が多かった。そこで、現地の状況に詳しい阪本監督は、助監督に「日雇いの人を見かけたら、自分から近づいて『ご迷惑おかけします』と声を掛けろ」と指示。こうして彼らを味方につけ、野次馬の整理やエキストラなどの協力を得ることに成功する。本番中、指示を無視してしゃべり続けるエキストラには、「僕が『あなたは高倉健です』と耳打ちした途端、黙って腕を組むようになりました」というエピソードを披露し、会場の笑いを誘った。

そして、「クライマックスでは、400~500人のエキストラを動員していますが、そのうち半数は、野次馬として見物に来た現地の日雇い労働者」と語る当時の撮影現場を「一緒に映画を作った感じです」と懐かしそうに振り返った。

また、大阪を舞台に映画を撮ることについては、「梅田や難波で映画を撮りたいという気持ちはあまりない」と前置きした後、通天閣、新世界界隈に対するこだわりを、次のように語ってくれた。

「通天閣界隈は明治の末期から映画館や芝居小屋、遊廓などの娯楽が揃っていた街で、芸術や作り物を受け入れる度量がある。フィクションを作る上で、なんでもOKみたいな街。飛躍したい、映画のマジックを使いたいと思ったときに、そういうことをかなえてくれる場所」

だがその一方で、観光客が増えた今では「当時のような撮影は難しい」と、やや寂しそうな様子も。「NHKの朝ドラ『ふたりっ子』(96~97)をきっかけに年々訪れる人が増え、修学旅行の学生も立ち寄るようになりました。当時は通天閣の展望台も、お客さんがまばらでしたが、今は人がいっぱい」と、その変貌ぶりを語ってくれた。

とはいえ、「今後、大阪を舞台に映画を撮ってみたいか」との質問に対しては「あの場所がもうかなわないとすれば、どこかもっと面白い場所があると思うので、土地柄やそこに暮らす人たちに興味を持てば、そこでしか成り立たないものをまた考えたい」と意欲を見せた。

(文 井上健一、写真・明田川志保、白畑留美)